日本人が日本語を守るすばらしさの一つに、一千年前の文学でも「日本語で」読める、というものがある。
キエフは歴史的にも「キエフ大公国」として知られ、ムソルグスキーの組曲、「展覧会の絵」の一曲、「キエフの大門」でも知られる。
原発再稼働大賛成派の私だけれども、それだけに、それだからこそ、チェルノブイリ原発事故や、もんじゅの体たらく、福島原発の、時の菅直人政権の責任など、決して忘れてはいけないことだと思う。
言葉を変えるのは、歴史を分断することだ。
そんなことをするなら、福島原発の処理水だって「精製水」に変えて欲しい。
それだけの事をしている。
「精製水の海中放出」に何の問題があろうか。
ブルーハーツも唄うに違いない。
「ちょるのーびりとはいいたくねえ」
それに福島も分県して欲しい。
海岸沿いの福島県と、内陸部の「会津県」に。
言葉を軽々しく変えるものにとって、会津の桃はさぞかしうまかろう。
4月2日追記:会津県なんて分県しなくても、会津の桃は旨いです。
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