えーとですね。
本人としてもわかっているのですよ。
撫子小唄が小説作品としてみた時に、未熟な状態にあるって。
いや、作者本人としては、撫子小唄はあれで完成なんです。
ちゃんと完結しますし。
ただ、一話、一話の間の物語とか、誰かの台詞を受けて、その登場人物はどう思ったとか、そういう肝心な部分を、おもっきし読者の起想にゆだねてるんですね。
だから、人によっては「なんだこれ(わけわからん)」と読み止めてしまう方も多かろうと思っているのです。
ただ、本気で言葉を選んで、本気で書いた作品ではあるんですよ。
もともと安楽樹という十七歳のキャラクターがいて、いささか寂しい二人暮らしをしていて、そこに至るまでの道筋を描いたのが「撫子小唄」なのです。
物語なんて、省略すればなんでも、ああして、そうして、こうなった、となりますが、「撫子小唄」も正直、さらっと、
ああして、そうして、こうなった
を書き結んで終わるつもりだったんですよ。
それが、三弦木撫子さんの日常を描く中で、いろんな登場人物が出てきて、それをできるだけ
さらっと、
書こうとしたのが今の「撫子小唄」の姿なのです。
山本七平が、
作者の抱く世界と、
読者の抱く世界と、
訳者の抱く世界と、
訳本の読者の抱く世界は、
どれも重なることがない、という趣旨のことをいっていました。
その点でいくと、「アデル・ヴォルフ」の読者同士の抱く世界は重なる部分が多いと思うんです。
でも、「撫子小唄」の読者同士の抱く世界はかなり、重ならないんじゃないかと思います。
そんな作品ですが、毎日更新しています。
すると、毎日ハートをくださる人がいるんですね。
描き手の私が言うのも何ですが、「この方は、どうしてこんなに追いかけてくれるんだろう」と不思議な気持ちを抱いてしまいます。
でも、アップした後に、「今日もハートが付くかな」と期待している自分がいるのも事実でして。
そんなわけで○○○○○さん、いつもご愛読ありがとうございます。
いま一と月ほど、おつきあいください。
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