自衛隊が災害派遣でなぜ活躍できるかというと、軍隊は基本的に社会インフラが整っていない領域での自活を求められ、その機能を担う能力を保持しているからだ、ということが一つ。
もう一つがなかなか語られないのだが、自然災害と敵軍による侵攻は、容赦なく、ある種の無倫理に人々の生活を破壊する点で一致しているということだ。
生活への破壊を食い止め、あるいは破壊された生活を応急処置し、その後の復興に繋げるに至るまでの道筋において、敵軍への対応と自然災害への対応は酷似する。
「そんなことは無い、戦争は人殺しの行為で災害派遣とは違う」という向きもあろう。
しかしそもそも戦場を思い浮かべてしい。
「人殺しの行為」と聞いて多くの人は、いわゆる「殺人事件」を思い浮かべるのではないか。
その多くはいわゆる至近距離で発生する。
多くは室内で、屋外でも通り魔の刃傷沙汰のように、殺害者が、誰かは知らねど標的を定めて密着して攻撃している。
戦場は違う。
そもそも戦争の勝利とは、適性拠点の制圧が最終段階で、そのためには歩兵の駐屯が必須となる。
その歩兵の主力武器は小銃で、射程距離が三百~五百メートルほどある。
拳銃の射程距離が三十メートルほどしかないのとは違う。
相手方の小銃も同じだけの射程距離を持っている。
五百メートル向こう、いや、三百メートル向こうでも相手の人影なんてろくに追えない。
自然、弾の飛んでくる元にむかって撃ち込むことになる。
相手も集団なら、こっちも集団だ。
百メートルも離れたら、適性兵士の姿なんて人影みたいなものだ。
仮にその人影が倒れる様子を見られたとしても、その原因が、自分の撃った弾によるものか、となりの僚友の撃った弾によるものかなどわかるはずもない。
ともかくも、適性陣地からの攻撃が止み、自軍が十分な戦力を維持していれば進む。
ようやく適性陣地に到達してみれば、死んだ者は取り残され、生きていた者は撤退している。
この状態で亡くなった適性兵士の致命傷が誰の弾だったかなんてわかるはずもない。
戦場は人殺しの行為なんてできない。
ただ敵の攻撃が止むまで、こちらも攻撃するだけだ。
戦争は人殺しの行為なんかではない。
あたかも、言葉の通じない津波が街をのみ込むように、
言葉の通じない崖崩れが集落を飲み込むように、
「平和的に話し合って解決しましょう」という言葉の通じない適性兵士が街を支配しようと侵略してきて、その適性兵士を問答無用に見方の兵士が追い払ってくれるに過ぎない。
大型河川の土手が決壊し川の水が溢れても、川の水を生涯憎んで水を忌避する人なんていない。
水が引けば土手の強化や河川の浚渫を頃みることもできようが、まずは鉄砲水を止めなければならない。
そんなとき自衛隊が黙々と土嚢を積み上げてくれる。
その姿を頼もしく思っても、よもや「水の自然な流れをせき止めるのは自然破壊だ」という人はいない。
敵兵からの部隊ぐるみでの、遠方からの攻撃に反撃するのも、決壊した土手に土嚢を積むのも同じことだ。
自然災害で失われた人命は戻らない。
適性兵士の攻撃で失われた人命も戻らない。
後には、ただ生き残った人々がいて、復興という新しい生活が始まるばかりだ。
今日は十二月八日、大東亜戦争の開戦記念日だ。
無敵と恐れられた米国第七艦隊の主力戦艦群が、当時猿と同列視されていた日本人によって壊滅的な打撃を受けた日だ。
三月十日や、八月六日、八月九日のように爆撃機が意気揚々と市民を虐殺したのとは違う。
リメンバー パールハーバー、結構なことだ。
日本人こそ忘れてはいけない。
この日は、敵海軍に壊滅的な打撃を与えた記念日だということを。
……こんなこと書いてるから、今日の徹攻兵のPVはゼロなのかも知れませんです、はい。
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