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私が倖せになるために 修正中について

 一部改修をしておりましたが、改修部分が大きくなってしまい(削る前の初稿を絡ませたところ)現在の読者様の読む速度に改稿がおいつかなくなりました。そんなわけで第十三話以降を下書きに戻し、修正が終わり次第、逐次公開することに致しました。
 
全編公開の節は、是非再度ご一読頂ければ嬉しく存じます。

15件のコメント

  • 頑張ってくださいね。楽しみにしています。
  •  TwitterのTLで流れてきたツイートですが、3日に一度くらいに更新が読まれやすいかも。です。
     でも、サイトにもよるので、マイペースでどうぞです~。
  •  アメ様 ただ読むだけは大丈夫なのでしょうね。ごゆるりと。

    私のは、できてからでも結構ですからね。頑張ります。(頑張るなんてことば言ったの何年ぶりだろ)
  •  風火さん
     そうなんですか。皆さんいろいろと分析してるんですね。それにしても、カクヨムの、読者による人気作品の選考って本当に訳が判りません。私なんかそこでまず無理。
     
     3日に一度の更新ですか。私には結構ハードル高いです。3日はまだ推敲中かも。でも、書きためといて小出しにしましょうかね。(笑)
  • 赤雪さん

    おはようございます。
    自分のことばかりで申し訳ないのですが、『マフラーの赤い糸』、赤雪さんの言葉を参考に改稿しました。少し変わった気がしますが、改稿前と改稿後、どちらがいいか、未だに迷っています。
    お時間がありましたら一読されて、意見を頂けるとありがたいです。
    よろしくお願いします。
  •  花香様

     分かりました。光栄です。でも、私が感じることは、『あくまで個人の見解です』って奴でお願いしますね。

     書評はまたここで。
  •  天音 花香 様 

     成る程。マフラーを最後のダメ押しに使ったわけですね。
     面白いです。とてもよくなっていると思います。

     ただ――ラスト1行が、私としては引っかかりました。
     
     「ある意味」と読者の視点を広げたその後に「本当に……」という強い意志があり。それを引き戻す、「かもしれない」と言う言葉で、意志の決定を放棄する。

    削った方がスッキリするのでは、と思います。

     それと、意図した文中に、私は……私は、と重なりますので、どちらかひとつにした方がくどくなくなるのではないかしら。

     もう一つ気になるのが、『紡ぐ』の用い方です。名曲『糸』の歌詞で、すっかりポピュラーになった言葉ですが、「紡ぐ」のは、摘み取りながら織り重ねていくという意味ですから、1人称での言葉としては「幾つもの言葉を(私が)紡いでいく」ときに使います。
    人(春翔君)から、紡がれる という用い方は、状況に言葉が合っていません。

    私的には、

    その五分後。二人で自転車を押しながら夕日の中を帰る途中。春翔君が呟いた言葉、「あのマフラーは岸田さんに使って貰う方が僕も嬉しい」に、思考だけでなく息まで止まりそうになることを私はまだ知らない。

    だけでも、充分伝わるのではないでしょうか。

     以上まったくの個人的見解で、作者の意図に影響を与えるものではありません。(笑)
  • 赤雪 妖さん

    すみません、今気がつきました。

    赤雪さんのご指摘にはいつもなるほどと感心します。

    「私は」が二度使われているのは気付きませんでした。削りました。
     
    紡ぐ、なるほどです。そういう意味が含まれているようでしたら違いますね。そこも言葉としました。

    最後の一文はすみません。入れたいのですよ。本当はこうでした! という種明かしと強調、そして少し笑いも感じて欲しくて。
    でも、分析で確かにと思うところもあり、文をシンプルに変えようと思います。

    お忙しいのに、本当にありがとうございます!
    勉強になります!
  • おはようございます。

    赤雪さん早起きなんですね。
    私は主人が早く会社に行くので起きてるだけなので、主人を送り出してからは二度寝しちゃいます。

    あの、『酔い痴れた』の部分ですが、私はいいと思います。皆んな本当に酔いしれたのだし、最後の時間に酔いしれたという意味にもなりますから。酔いしれた、けれど、また現実に戻って行く。というのも分かります。

    あくまで私の意見ですが。
  • 赤雪 妖さん

    あの、ここに書くべきかとても迷ったのですが、ちょうど作風について悩んでいる時なので、書かせていただきます。

    ご指摘の通り、秘密のノートでは相手に謝らせるシーンがあり、マフラーには相手に「僕のこと好きでしょ?」と確認するシーンがあります。

    でも、それを私の作風と言われるのは少し悲しく思います。そういうシーンがない拙作もあるかと思います。

    キャラクターを作るにあたって、個性はありますよね。
    でも、同じキャラクターがずっと出てくるわけではないので、拙作ごとに違うキャラクターがキャラクターなりに悩んで奮闘していると自分では思っています。
    確かに理想の人格というのはありますが、そういう人間たちだけの作品は同じような作品になる気がします。
    そして、私の書きたいのは日常のリアルみたいなので、人格者ばかりだとリアル感は無くなる気がします。

    私の作風はまだ定まっていません。
    でも、私に書けるジャンルは限られているからこそ、色々なものを書いていきたいと思います。

    このコメントが不快にさせるなら申し訳ないのですが、ちょっと傷つきましたので書いちゃいました。
    すみません。

    でも、赤雪さんのご指摘にはいつも考えさせられていてとても感謝しています。
    これからの作品に活かせればと思います。
    ありがとうございました。
  • 傷をつけちゃいましたか。それは申し訳ないのですが、どうも、ただ褒めるだけというのが違うような気がするんですよね。こんなにいい素養を持っているのだし。と思うと、どうしてもおかしいところはおかしいと言い、この考えは何故なのかと訊いてしまう。

     これ読むと傷口が広がるかも知れないので、読む読まないははお任せしますが、
     まったく悪意は無くどちらかというと、好意しかないのだという前提で書いていることをご理解頂けると助かります。

     ある時期法律事務所で準備書面を作っていたので、人の文章の欠点を見つけるのが上手くなってしまったという弊害を抱えています。ただし自分にはメチャ甘いのですが。それは世の常って奴で。

    さて。
     一か八か。別の表現では、伸るか反るかとも申しますが。
     語源は博打の丁か半かだといわれています。

     確率は50パーセントで、得るか失うかという事ですよね。

     相手に自分が好意を持っていることを伝えるのに、何故一か八かで伝えるのか、それがどうしても理解できません。

     つまり、好意を持つ → 友達になる → 相手の気持ちを確かめる → 自分の気持ちを伝えて二人で「好き」を育むというプロセスによって「愛」に成長させるものだと一般的には考えられています。このプロセスの利点は、気持ちのズレを見つけた時点で、その位置をキープできることにあります。友達であり続けることができる。ということです。

     小学生の時、好きになって忘れられない相手に再会した。しかも同じ教室、あの時と同じ隣同士という奇跡の配置。天の配剤、神のなせる技。

     しかし、この隣同士になったという奇跡を主人公は、小学校の時と同じく、意思の伝達には使わなかった。彼女が使った手段は、思いの丈を綴った秘密のノートで、「見て」と言えばそれで決着が付くのに「見るな」と言って相手に持たせる不自然さ。作者はこのノートにとことんこだわります。 それならうっかり落としたとか、忘れた、にしたらまだ自然な気がするが 主人公は50パーセントの確立で自分の恋を伝えられなくしています。
     その理由は自分の運命の選択権を相手にも渡してリスクをマネージメントしているということかなと、想像はできます。

     まあ、そういうのを書くのも作者の自由だから、書けばいいのだと思う。
     しかし、書けば読者は、この作者はこういう見方をする人だとイメージを作る。書くだけ書いて、いやそのイメージは違うと言ってもそれは読者の領域だ。通るはずがない。
     現に寄せられたコメントから読者が持つイメージは、「想いを通すのに道具を使うのが上手い作者」だ。
    できれば将来、作家になったときのためにも辛口の書評になれて、打たれ強くなっておいたほうがいいと老婆心ながら考えるのですが。

  • 赤雪 妖さん

    こんにちは。何度も何度もこちらのお答えを読み返しました。
    赤雪さんが悪意からおっしゃっているとは初めから思っていませんので大丈夫です。
    ただ、自分のプライドなどが邪魔して傷付いたのです。

    恋愛のプロセスについては、友達になるという過程はある方とない方があると思いますし、友達になっていたとしても、告白することで友達には気まずくなって戻れなくなることも多々あり、色々な場合があると思っています。

    そして、問題の『秘密のノート』についてですが、こちらを読んで確かにと思いました。ただ渡すだけで気持ちは伝わるのにあえて駆け引きをする必要があるのか? 本当に好きだったら、そんな妙なリスクを取る必要があるのか? 相手に委ねるというのはまさにその通りで、青子はたぶんまともに言う勇気がなく、伝わるなら伝わればいいな、と思ったのですが、それにしても「見ちゃダメ」と言って相手に罪悪感をもたせるのはよくないやり方ですね。
    この拙作はこういう夢を見まして、使えないかなと思って書いたのですが、浅はかだったかもしれないと思っています。でも、好きな人に自分の持ち物を持っててもらうっていうのは、私としてはドキドキすることなので、そういうシチュエーションは今後、小説書くときに使うかもです。

    それで、作風についてですが、何作か読んだだけで分かるものではないと私は思ってました。色々読んで頂いて初めて伝わるものだと。でも、私の作品の初めてが『秘密のノート』の方もいるわけで、そうなると、こういうのは好みではないから、他の読むのやめようとなる可能性はあるのだと赤雪さんの文章を読みながら思いました。なので、『秘密のノート』はもしかしたら非公開にするかもしれません。確かにノートの使い方がこうである必然性みたいなのに乏しいし、赤雪さんのように姑息だと感じる方もいらっしゃると思うので。

    ただ、確かに私の小説には小道具が出てくるものが多いのですが、「想いを通すのに道具を使うのが上手い作者」というのは悪いばかりの印象ではないと私は思っています。こういう物の使い方ができるんだと思われたらそれはそれで嬉しいです。特に短編では有効的かなと感じています。
    恋愛もの特に短編のハッピーエンドの作品は同じようになりやすい。そんな中に、あ、ぴーこ印象的だったなとか、手帳、そういうのもあるよねとか、思って覚えていただけるのであればありだと思います。
    でも、主人公や相手の魅力が足りない自覚はあるので、そこは今後磨いていこうと思います。

    作品から私、若いと思われがちなのですが、かなり年です。なので作家は目指して果たしてなれるか分からないし、私の目標としてはフィクションの本を一冊でいいから出す、というものです。作家なんてそんな大それた目標を持てるような実力はないと思っています。
    でも、書いてる限りはいい作品を作りたい。その気持ちに変わりはないので、頑張ります。

    それと、人間なので、やっぱり傷つくことはありますよ。それは言わせてください。でも、自分で望んで募った感想なので、落ち込んでも糧にするつもりです。
    ありがとうございました。今後もよろしくお願いします。

  •  天音さん。今日は。

     まず以下の文について、

    > 恋愛のプロセスについては、友達になるという過程はある方とない方があると思いますし、友達になっていたとしても、告白することで友達には気まずくなって戻れなくなることも多々あり、色々な場合があると思っています。


    何のためのプロセスかということについて ご理解が頂けてないのだと思います。

    一般的な恋愛について、人は先ず目視、次に言動によって好意の1段階が始まります。
    すると好意を持った相手のことをより知りたくなりますがその為には相手と腹蔵なく話せる環境が必要になります。この環境の共有を許し合った関係を「友」といいます。

     当然どこまで自分の事を知らせるか、知らせないかという自由を有する関係です。


     友になれば多くの情報を交換することができます。恋愛に於ける友の段階は相手の気持ちを知ることですからここで自分がどう思われているか、相手に好きな人がいるのか、どんな人が好きなのかを知ることができます。ただし、ここは自分の想いを相手に告白する場所ではありません。
     告白して断られ気まずくなるのは、この段階で告白するからなのです。

    ここは、 今後の自分はどうするかを確かめる場所なのです。相手に好きな人がいるかもしれないし、或いは誰かと恋愛をしたいと思ってるかも知れません。それがわかれば、あきらめるか友として応援するか、自分への好意を深めて貰えるように親切にするか、自分を相手の理想に近づけるべく努力をするか、選択をするための情報集めができます。

    だから私は前回、相手の心が自分に向いてないことを知った段階では、当然告白してないのだから友達でいることも選択できると書きました。


    実際に大学時代の友人で、美人だというだけで交際を申し込んで成功した奴は一人もいませんし、仲間の女性の一人は、私と話したことも無いのに交際申し込む奴がいるんだよ。信じられない。と迷惑がっていました。
    友達という過程を経ずして恋愛関係になる。それは今や相当特殊なケースになっているかも知れませんね。

     天音さんのご健闘をお祈りします。



  •  天音さん。済みません訂正します。
     
     社会人、ある大学、ある高校について、ホントに軽易に「付き合ってくれ」
    「ええよ」といってその日のうちに彼と彼女になるケース。(友達関係無し)
     結構あるよって言う奴がいました。
     恋なんかなくてもいいという風潮はとても理解できませんけどね(だって勿体ないじゃないですか)

     
  • 赤雪さん

     何度もごめんなさい。
     お返事読みました。
     確かに理想はそうだと思いますが、友達に本当になってしまってからの恋人になるのはとても難しいと私は思います。私は男性の友達数人いますがお互い仲良い友達! と思うからそれ以上はすすみません。
     逆に私の場合ですが、好きになって、でも好きだからなかなか話しかけるのが上手く出来なくて何年も友達にもなれず片想いのままというの、多かったです。それは恋に入らないのでしょうか? 
     まあ、主人とも友達の関係はなく、先輩でしたが、仲良い先輩でもありませんでした。でも、お互いなぜか惹かれあい、恋に落ちて、告白することで両想いだったことが分かり、結婚して10年以上の関係です。
     私が思うに、好きになるというのはそんなに理論的なものでなく、心が動いて仕方ないことだと思うんです。だから冷静な判断が出来なくなる。だから告白するタイミングなんてわかりません。そんなに冷静でいられません。相手の気持ちなんてわかりません。何となく嫌われてないかな、とかよく思われてないかもとかその程度じゃないかな。

     なんか小説じゃなくて恋愛観を交わすことになりましたが、私はそんな風に感じました。
     だから小説でどんな恋愛があってもいいんじゃないかな。

     すみません。しつこい人になってしまいました。
     でも、赤雪さんが恋愛に対して凄く誠実だから指摘をされたのはよく分かりました。

     赤雪さんの短編も読ませて頂きますね。
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