「新史太閤記」は全集版が近所の図書館にあるが、行くのが億劫だったので、未読の短編の秀吉関連作を読むことにした。
まず司馬遼太郎の「胡桃に酒」。これは明智光秀の娘で後に洗礼を受けることになる細川ガラシャ夫人の生涯を描いた作品、というと恰好いいが、実際は「美人すぎる妻を他の男に見せたくない」という変な夫の執着が悲劇と喜劇を生む、といった要約の方が正しい気がする。
実際に、夫人が庭師と挨拶を交わしただけでも夫が激怒して庭師を斬り殺す、など狂気の沙汰である(それを夫人が無表情で見ている)。
そこへ天下を取って以降、ちょっとおかしくなった秀吉の魔の手が伸びてくる、という筋で、いざとなったら部屋ごと爆破させるために、夫人の特別室は四周が火薬でびっしり、医者といえども男は絶対に寄せ付けない、となると半分くらいコメディのようなノリで、笑えない悲喜劇といった味わいになる。
もう一つ、山田風太郎の「忍法明智十兵衛」も読んだ。これも明智光秀に関わる話で、人体の一部を切ってもトカゲの尻尾や蟹の鋏のように再生できてしまう、よって首を切ってもまた別の顔が生えてくる、という忍法をめぐる意外なドラマ……、というかこれもやはり喜劇と悲劇と奇想と史実がまぜこぜのフィクションであった。
それにしても明智光秀は、本能寺の変の前からつかみにくい人物で、戦国武将なのに医学を学んでいるとか、若い頃は諸国を遍歴していたとか、外貌も含めて想像しづらい、興味深い人物である。という訳で、秀吉関連の短編を読むつもりが光秀関連の二作になってしまった。