塚本邦雄の歌には「われ」もよく出てくる。
自分自身を廃した作風と書かれていることもあって、確かに「現実そのもの」「自分そのもの」を素朴に描くということはない。
けれども生涯を通じて「われ」の登場する歌は結構あるのだ。
・水に卵うむ蜉蝣よわれにまだ惡なさむための半生がある
・われに昏き五月始まる血を売りて来し青年に笑みかけられて
・百年後のわれはそよかぜ地球儀の南極に風邪の息吹きかけて
「僕」や「私」ではなくて「われ」。今や、ほとんどの日本人はただの一度も「われ」を使わずに死ぬのではないだろうか。
複数形の「われら」、「われら何々世代」という表現も見かけなくなって久しい。
そういえば「〇月」も多い。特に五月や夏のイメージが強くある。