司馬遼太郎「手掘り日本史」を読み直すと、平家物語の時代を「義経」で書いているとのこと。
義経を軍事的な天才として描いて、兄との確執も書いているらしい。
ついついゴシップ的な興味から歴史を見てしまうので「そういう風に見ているのか」という感心をもっとした方がよい気がする。
また、
「城下町であった東京と、町人の町であった大阪とでは、フライパンにしみついた油のちがいがあって、それが東京人・大阪人それぞれの体臭になっている。これはなかなか抜けきれるものではないようですね。」
なんていう譬え(フライパンにしみついた油)にも痺れる。
これもまた物の見方が鋭いからで、司馬遼太郎というより「レトリックうま太郎」とでも呼びたい。