このところ近況というより「平家物語ノート」になっているが、当分はこの調子が続きそうになってきた。
アニメの方も続きを見て、4話と5話は皇室に嫁いだ徳子が世継ぎを出産し、ますます平家は権勢を増す。
そして清盛を抑える役どころの重盛の死と、ますます平家が図に乗って、ますます滅びの道へと進んでいく流れになる。
「火の鳥」と比べるとアニメは細かいエピソードの描かれ方が丁寧で、人物像もかなり異なる。アニメの徳子と重盛は、いずれも理性的で穏やかで、人としての悩みや苦しみを持った厚みのある存在となっている。
乱世編の徳子や重盛は、脇役の中でも一段低い、雑な描かれ方をしており、まったく重みのないキャラクターである。
一方で、妙に似ている面もある。それは平家の横暴や運命の非情さが描かれる中で「赦し」が出てくる点である。
乱世編では主人公の弁太が、盗癖のあるヒノエという女と一緒になるくだりがあって、ここで一切合切を盗まれても赦しを与える。
再度、同じことをされても赦すというのは度を越しているが、宗教的な、外部から与えられた教えとしての「赦し」ではなく、ごく自然に主人公の性格として描かれている。
アニメの方は徳子がやはり運命や権力に翻弄され、公私ともに悲劇的な道を歩みながらも、自発的にそれらを赦す、という場面がある。
大きな悪や運命の力に比して、個人はそれを達観しつつ「赦す」しかない。それは人間の持つ特殊な叡智であり、希望である反面、個人の無力と、悲しさと、やるせなさが伝わってくる。
おそらくそれは現代(現在)に至るまで、世界のあちこちで起きている(あるいはそのように強いられている)普遍的な思想と態度である。