新潮社のイメージに関係する話題では「三島賞・山本賞」もある。創設された時点では、もろに「芥川賞・直木賞」にぶつけてきた感が明白であった。
当時はライバル心満々だったのに、30年が過ぎてみると何となく前座というか、テレビ番組の前説というか、弟分というか、
「兄貴には勝てないっすよ~」
的な、格下の存在になっている。
三島賞を受けた作家は「次はいよいよ芥川賞ですね!」と編集者やファンから応援されそうな感じである(山本賞も同様)。
なぜ、そうなってしまったのだろうか。戦略的に芥川賞・直木賞サイドが高度な技を駆使しているとは思えないし、一時期は頓珍漢な選評が話題になったほどで、明らかに芥川・直木賞の方の分が悪かった。
そもそも名前の価値や評価からして「直木三十五」と「山本周五郎」では勝負にならないほどの大差である。
「芥川龍之介」と「三島由紀夫」の比較でも質はともかくとして、量的には三島が圧倒している。何しろ芥川龍之介は長編がゼロ、三島は数十作が今でも文庫で読める。世界レベルの評価となると、やはり勝負にならない差がある。
選考委員にしても、三島・山本賞の創設時のメンツは目がくらむような豪華さである。私が当時の新潮社の社員だったら、
「100%こっちの勝ちだぜ! 30年後が楽しみだな!」
と高笑いしていたであろう。実に歴史とは不思議なものだ。