「そのうち読む」と考えて、とりあえず買っておく……、このような経緯で買った本が我が家には山ほどある。
積読山脈である。
しかし、大江健三郎の本が結構あるので、それをこれから読むとすると宝の山のようでもある。本当に「そのうち読む」が「いま読む!」になったのかと思うと感慨深い。
同じような世代の作家でも、安部公房なんかは「いま読めない」→「たぶん今後も読まない」という判断のもと、買わずに生きてきたのだ。
こういう風に、「読むべき」「読まなくてもいい」の判断は少しずつ変わるものだ。
同じように、若い頃にはそのまま信じていた作家の主張も、時間が経つとそうでもなくなってくる。
たとえば倉橋由美子は「資料を積み上げて小説を書くようなのは碌なもんじゃない」的なことを言っていて、それを読んで「そうだそうだ」と思っていたが、今となると資料が必要な歴史小説の方が信用できる。
逆に、若い作家が特有の感性や感覚を売り物にした小説はもう読みにくい。
もうひとつ例を挙げると、筒井康隆は「作家は政治的な発言をするべきではない」と言っていたのだが、どちらかというと今は全く政治的な発言をしない方が旗色が悪い。
今の筒井康隆が好戦的な発言をしても、少しも面白くもないし、誰も批判せず喜びもせず、世間も何も反応しない。