Sun sane
西海子
Sun sane
目が覚めたのは、清潔なシーツに包まれたベッドの上でだった。
「……」
ぼうっと辺りを視線で睨め回すと、飾り気のない無機質な部屋だということが分かる。
体は……動く。
持ち上げた左手を軽く開閉して、異常がないことを確認してから体を起こした。
「……」
無言のまま、ベッドを降りる。
床――フローリングだ。
少なくとも、収容所などではないらしい。
人間が生活するための部屋だと考えてよさそうだ。
素足がペタペタと床に触れる。
ひやりとしているが、嫌な感触ではない。
ざらついたコンクリートよりは遥かにマシだ。
部屋に一つだけのドア。
窓はない。
そのせいで、今の時刻は分からない。
息を吐いて覚悟を決めると、ドアノブを掴んだ。
ふわっと、甘い匂いがした。
ドアの向こうは、日光が差し込む穏やかなダイニングキッチンだった。
ダイニングテーブルに頬杖をついて座っている男、は……。
「
ぞわっと、背筋が震え上がった。
そんなはずはない。
そんな、はずは。
だが、枯野は……あの時よりも十年は歳を重ねた男は、あの頃のままの人を食ったような笑いを口の端に刻んでいた。
「ようやくお目覚めか、
朽葉、と俺の名を呼ぶ声も、あの頃のままで。
――お陰でこれが夢なのだろう、という当たりは付いた。
だって、枯野は、俺が殺したはずだ。
なのに、なのに……枯野は笑っている。
俺に殺されたことこそが幻だったかのように、歳を取って。
三十半ばぐらいの枯野が。
「夢だな?」
「――酷い、ダーリン! 俺達、ミックスベリーパイを一緒に作った仲じゃない!」
「捏造はやめろ、お前とそんなものを作った記憶はない」
俺の返答に、枯野が我が意を得たり、とばかりに薄く笑った。
「イチゴ、ブルーベリー……そんなもの、俺達には手に入らないもんな?」
「……つまり、都合のいい夢ではない、と言いたいのか?」
「せいかーい、お前のそういう察しの良いところ、マジで愛してる」
「黙れ、殺すぞ」
「キャー、こわーい。――まぁ、座れよ。話してやるから」
瞬間、電子音が鳴った。
咄嗟に身構える。
体に染みついた反応だった。
それを見て肩を竦めた枯野が立ち上がった。
「オーブンの音だ、焼き上がっただけだよ」
「何が?」
「――お前が寝てたから、今日はシトラスパイ。起きると分かっていたらミックスベリーパイにしたのに」
枯野がオーブンに向かい、キッチンミトンを嵌めて取り出したのは、爽やかな甘い匂いの正体だった。
黄色とオレンジ色が見える。
――シトラス、パイ。
枯野はそれをテーブルの中央に置くと、今度はコーヒーを淹れ始めた。
――馬鹿な。
コーヒー豆? インスタントコーヒーですら貴重品な、この世界で!?
唖然と眺めている俺に、枯野は「座れよ」と再度俺を促して、コーヒーと切り分けたシトラスパイを差し出した。
自分の眉間に皺が寄っているのが分かるが、取り敢えず手近な椅子に腰を掛けた。
目の前に、黄色とオレンジ。ブラックのコーヒー。
視線を持ち上げると、枯野は相変わらず薄く笑っていた。
「熱々でも美味いのは保証するぞ」
「こんなもの作れたのか、お前」
「朽葉、俺と何年一緒にいたんだよ? こんなことも知らなかったのか」
「……説明しろ」
俺の圧を感じたのだろう、枯野はマグカップを手に取って一口飲み込んでから穏やかな口調で話し出した。
「お前は、あー……どこまで憶えてる?」
「お前を殺した」
「……マジか。そこからかよ……」
ため息を吐かれ、俺の指先が苛立ちでテーブルを叩き始めた。
それを見て取ったのだろう、枯野の表情が少し引き締まる。
――真面目な顔をしていればマトモな人間に見えるのにな、こいつは。
「お前が俺と殺し合いをしたのは、今から十一年前のあの夜の翌日だ」
「理解している……十一年前?」
「お前は十一年、眠っていたんだよ。正確に言うと違うがな」
何を言っているんだ、こいつは。
相変わらず、まともな精神はしていないらしい。
俺が目を眇めたことを察して、枯野は肩を竦めた。
「俺達が殺し合いをする羽目になった理由は?」
「――組織の代理戦闘、アカシックレコードへの接続権の争奪戦」
「で、お前は、俺を殺した」
「そうだ」
「報告に戻った朽葉は、そこで始末された。当然だ、戦闘員が刃向かって来たらご老人達は為す術がないからな」
――始末された。
つまり……俺は枯野を殺した後に、契約を反故にされて殺されたのか。
…………?
だとしたら、この状況は何なんだ。
俺が殺した枯野が生きていて、組織に始末された俺も生きている?
「意味が分からん。ここは天国だとでも言いたいのか?」
「朽葉、お前、自分が天国に行けると思ってんのか? 意外とおめでたい頭してるんだな」
「冗談だろ、行くなら地獄だ」
「俺もな」
「だから、なんなんだ、一体」
苛立ち紛れにカップを掴んでコーヒーを口に迎え入れた。
――あぁ、この苦みと香り。
久しく感じられなかったものだ。
「まず、お前は俺を殺してない」
ポロリ、と枯野の口から零れた言葉に、全身が硬直した。
「は?」
「お前が撃ち抜いたのは俺の影。俺の能力は知ってるだろ?」
「物理法則を無視したエネルギーの射出……つまり、幻覚で俺を欺いたのか?」
「そう。で、お前は俺を殺したことを確認して巣に帰った。そこでお前は待ち構えていた始末屋に殺された」
……筋は通っている。
真面目に喋っている時の枯野の言葉は非常に分かりやすい。
事実しか言わないからだ。
だからこそ、意味が分からない。
「お前が生きている理由は分かった。俺が生きている理由が分からない」
「ん? なぜ?」
「こちらのセリフだ」
「いや……その状況で俺が生きてるなら、やることは一つだろう?」
枯野は行儀悪く手掴みでシトラスパイを掴んで、むしゃりと噛り付いた。
頭の中であの日の光景が蘇る。
確かに枯野の心臓を撃ち抜いた。
感情なんていう捨てたはずのものが疼いて、手が震えた。
死体を確認して背を向ける。
あぁ、そうだ……。
「ミックスベリーパイ……」
「……」
「子供の頃の、約束だったな。こんな馬鹿みたいな世界を終わらせて、ミックスベリーパイを食べようって」
「…………」
枯野は黙ったままだ。
俺を試しているように。
だから、思考をひたすら垂れ流す。
「それからアジトに戻って、中に入った途端に、暗転した」
「――正解」
枯野の冷たい声。
だと、したら。
「おい」
「ん?」
「枯野、お前――世界を書き換えたのか?」
「そうだよ」
何でもないことのように言った枯野は、くるりと指を回して笑った。
「お前を殺した世界なんて要らない。だったら俺が直接アカシックレコードをいじればいい。そんな簡単なことで、ハッピーエンドだ。素晴らしい、世界は愛に満ちて、馬鹿げた争いは姿を消す。深淵はこちらを見ていないのだから、手を伸ばせば俺の勝ちだ」
始まった。
こうなるとどこまでも脱線していくのは分かり切っていた。
「枯野」
「んー?」
「アカシックレコードは?」
「人間にはアクセスできないように深淵に落とした」
「真面目に答えろ」
むぅ、と唇を尖らせた枯野はてへっと笑った。
「両組織を諸共壊滅させてから、世界を書き換えて、お前が生存している世界を確定させた後、アカシックレコードは……」
枯野が言い淀んだ瞬間、理解してしまった。
「お前が、持っているのか?」
「うん、向こうの部屋に置いてある」
「――馬鹿か? 世界運営機だぞ!? 誰もが欲しがるものを……!」
「もう欲しがる奴なんていないから」
カラリとした声が耳を通り抜けていった。
「は?」
「アカシックレコードなんて、新しい世界には要らないから。全人類の記憶から消した。あ、俺と朽葉は別な?」
「何を……」
「窓から外見てみろ」
促されて、フラフラと立ち上がる。
陽光が眩しく溢れる窓から、外を眺めた。
なんだ、これは。
「緑溢れ、穏やかな日常の営みが街を満たす。今、世界は俺の指定した通りに穏やかな日常に包まれている」
「馬鹿な……」
「朽葉、お前が寝ていたのは、三日間だよ。俺が組織を壊滅させて、アカシックレコードを解析し、世界の書き換えを終えたのが三日前だ」
三日前。
世界は、三日前に書き換えられた。
つまり……俺は、三日前に生きていることが確定した、のか?
「十一年前から、三日前に時間が飛んだんだよ、お前は」
馬鹿げている。
馬鹿げているが……こいつならやりかねない。
それぐらい、枯野という男は平然と狂っているのだ。
「さて、朽葉」
「――なんだ」
カタン、と椅子から立ち上がった枯野は、眩しいぐらいに輝く笑みを浮かべた。
「なぁ朽葉、ミックスベリーパイ、作ろうか」
俺のために世界を意のままにした男が、何の邪気もなく言ったことに。
――俺は心底ゾッとした。
Sun sane 西海子 @i_sai
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