モールにいると蘇る、咄嗟には言えなかったこと
錯千メイハ
第1話:星にゴネても無駄だから
子供の頃、近所に新しく建設されたショッピングモールと絶交していた。
そうはいっても向こうは巨体をドーンと構えているだけで、こっちが勝手にプイと横向いているだけなのだが、とにかく事態は深刻を極めていた。
最初の頃は私だってそんなひねくれた気持ちではなかった。むしろ逆だ。
「ついにこの最果てのような街にも文明の風が吹くぞ」
と、更地に杭が打たれた日からむず痒い高揚感を胸に秘めていた。
心の中ではファンファーレと共に「ようこそ、退屈な日常を打破するキラキラした未来!」と胴上げまでしかねない勢いだったのだ。
ところがどうだ。建物自体は立派に完成し、モダンな外観が威容を誇っているというのに、なかなかテナントが入る気配がない。
実際はともかく子供のころの私にはそう感じた、という話だ。
広大なガラス張りの入り口には「Coming Soon」という紙が、秋風に吹かれてペラペラと寒々しく揺れているばかり。私の期待もしおしおと萎んでいった
「もういいよ。君には期待できない。愛想が尽きたよ」
私は誰に頼まれたわけでもないのに、勝手に期待して勝手に裏切られた気分になり、凄まじい勢いで反転アンチと化していた。
「もう絶対に行ってあげないからな。私のスニーカーの靴底は未来永劫このモールの床を踏まないって決めたんだ」
モール側には痛くも痒くもない謎の掟を心の中で制定した。これは私の崇高なプライドの問題なのである。
よくよく考えてみれば、この救いようのない性格はランドセルを背負っていた頃から何ひとつ変わっちゃいない。
――当時、クラス中の話題を根こそぎさらっていた超人気ゲームの新作が出ると聞いて、私は胸を躍らせていた。
しかし、開発側の事情なのか大人の都合なのか、発売日は蜃気楼のように遠のき、延期に延期を重ねた。
「桜の咲く春に」と言われて、ピンク色の花びらがアスファルトを埋め尽くすのを眺めながら待っていたら、いつの間にか葉桜になり、毛虫が落ちてくる季節になった。「入道雲が湧く夏には」と言われて、けたたましく鳴いていた蝉たちが一斉に死に絶え、路上に転がる骸を蟻が運んでいくのを見送ることになった。
私は当時の友人と、埃っぽいカーテンの陰で、志士のような顔つきで結束を強めていた。チョークの粉が舞う教室の隅っこで深刻な表情を浮かべて話し合ったのだ。
「あんなに待たせるなんて酷すぎると思わないか? だからさ、もう買わないようにしようよ。売上が落ちれば、メーカーだって少しは反省するはず」
「まったくその通りだ。言葉で文句を言う段階は終わった。これからは行動で示す時だ。絶対に買わない同盟を結成だ」
「買わない」というか、小学生なので正確には「親にねだらない」という話なのだが。
私はその夜、夕飯のハンバーグを箸でつつきながら、親に向かって高らかに宣言してしまった。
「あのゲームのことなんだけどさ、誠意が感じられないから、もう買ってなんて言わないことにしたよ。だから安心していいよ」
今にして思えば愚かだ。買わないにしても、買ってねと言っておけば、後々何か別の交渉カードとして使えたはずなのに。
そして宣言通り、私は意地を張って嘆願しなかった。
数日後、その買わない同盟を結んだはずの友人が私の家に遊びに来た。
手にはあのゲームのパッケージがしっかりと握られていた。
「え……。それ、買ったの?」
「え? うん」
私が震える声で尋ねると、友人は悪びれる様子も微塵も見せず言った。むしろ私が買ってないことが意外そうな感じで、スナック菓子を口に放り込み、バリバリと音を立てていた。
この時、喉元まで出かかった言葉は山ほどあった。
「ゲームなんて子供っぽいよ、もう高学年なのに」
「どうせ親に泣きついて買ってもらっただけのくせに得意気になるな」
「指を舐めた手でゲームに触るなよ」
だが、私はそれをグッと飲み込んだ。喉の奥が熱くなるほど我慢して「へぇ、よかったね」と言ったのだ。
そんな健気な私を、誰か褒めてあげてほしい。
友人はコントローラーを握りながら無邪気に言った。
「そんなに意地を張らないでさ、君も買ってもらったらどう? このステージ、一人でやるより二人で協力プレイしたほうが絶対に楽しいよ。変なプライドなんて捨てちゃいなよ。逆に子供っぽいよ」
私は危うく友人の反転アンチになりかけた。
だって本当は、喉から手が出るほど、いや、内臓が飛び出るほど欲しいのだ。なのに、自分で自分の首を絞めるような高潔な宣言をしてしまった手前、引くに引けない状況に陥っているだけなのだ。
とにかく、私は一度へそを曲げると、テコでも動かない岩のように頑固なアンチになる性質を持っていたし、そのころから精神構造はまるで成長していないということだ。
――話を戻そう。
大学生になっても私バーサスモールは依然として続いていた。
私はモールの粗探しをするプロフェッショナルになっていた。郵便受けに入ってくるモールの折込チラシを、虫眼鏡でも使うような勢いで隅々までチェックし、誤字脱字を見つけてはほくそ笑んだりしていた。
「快眠」を「洗眠」と誤字しているのを見つけたことがある。眠ることで脳みそを洗濯して、購買意欲を植え付けるつもりだろうか。そんな妄想に近い解釈をして一人で喜んでいた。ここまで執着していると、もはや一周回って一番の熱狂的なファンなんじゃないかと思う。
ただ、そんな憎きモールでも唯一の例外があった。それは最上階にある映画館である。私は幼い頃から、映画館という場所が無性に好きだった。といっても、肝心の映画のストーリーや演出なんてものは、これっぽっちも覚えていないことが多い。
あの外界から完全に遮断された、薄暗くて静謐な空間に身を置くこと自体が好きだったのかもしれない。
体重を預けるとゆっくりと沈み込む、ふかふかのベルベットの椅子の感触。
夏場でも少し肌寒いくらいに効きすぎた空調の、ひんやりとした人工的な空気。
ルールには反するけど、エントランスから漂ってくるキャラメルポップコーンの甘く香ばしい匂いと、バターの濃厚な香りが混ざり合ったあの誘惑には勝てないし、まあ許してやろうという気になった。
私は例のゲームソフトの友人を誘って、モールの最上階へと足を踏み入れた。
友人は仮名として「星」とする。
「この映画が最高なんだよ。前評判もすごいし友情が泣けるらしいからさ」
星は悪びれもせずに熱く語っている。
映画の内容はよく覚えていないが、たしか悪の組織に洗脳されたらしい親友が、激しい戦いの末に正気を取り戻しかつての友との約束を果たす、というような内容であった気がする。隣を見ると、星は首をガクンと垂れて、気持ちよさそうに寝息を立ててぐっすり眠っていたことは覚えている。
――上映が終わり、場内がパッと明るくなる。
星は充血した目を少し潤ませながら熱っぽく語り出した。
「いやぁ、感動したね。やっぱりさ、幼い頃に交わした約束こそが、何にも代えがたい一番大事な宝物なんだ」
私は信じられない気持ちになった。星の顔をまじまじと見つめた 。何を言ってんだ、と言いたげな視線を送る私に目もくれず、星はまだ恍惚とした表情で語っている。ひょっとしてあのゲームソフトの件も綺麗さっぱり忘れているのだろうか。
この星といて思ったことがある。
私が映画館を好きな理由は、誰にも邪魔されずに一人になれる孤独が確保されているからなのかもしれない。
ただ、映画館には苦い思い出もある。
昔行った映画館の入り口付近には、ゲームセンターが併設されていた。コインがジャラジャラと景気よく落ちる金属音、格闘ゲームの必殺技を叫ぶ声、UFOキャッチャーのアームが動くモーター音。
「そこのゲーセンで泣きわめいたことがあったんだ。床の冷たさを背中に感じながら、大の字にひっくり返って、手足をバタバタさせてダダをこね続けたことがあった。あのゲームをやらせてくれなきゃ、ここから一歩も動かない!って」
「でもさ、ふと我に返ると、もっと小さい幼稚園児くらいの子たちが、私の周りでゲームをやりはじめちゃってさ。なんか急に自分が猛烈に恥ずかしくなってきちゃったのよ。しかもその子たちが、顔を真っ赤にして涙でぐしゃぐしゃになりながら泣き叫ぶ私を、珍獣でも見るような目で遠巻きに眺めていたし」
「そうなるともうダメだね」
「羞恥心で死にそうになっていることを親も察してさ。ニヤニヤしてるんだよ」
「で、どうしたのそこから」
「もう止まれないから、白い目で見られようが、この世の終わりの如く喉が裂けるほど騒ぎ散らしてやったよ。それ以来、トラウマになってその映画館には行けなくなった」
星はポップコーンの空き箱をゴミ箱に投げ入れながら、やれやれといった顔で言った。
「きみ、昔から本当に頑固だもんねえ。……覚えてる? あの時のゲームソフトのことだよ。君が頑なに買わない、買わないって念仏みたいに言うからさあ。君に付き合って、結局買わなかったんだよね。二人して意地張ってさ」
私は立ち止まり、星の背中を見つめた。
洗眠されたのだ、このモールに。きっとそうだ。
それとも、私の記憶自体が、長い年月の中で都合よく改竄された誤りなのか。
ひとまず、楽しそうに歩く星を呼び止めて問いただすことは無意味だ。
仮に私の方が正しかったとしても「そんな昔のことを根に持ってるなんて、やっぱり子供っぽいね」と笑われて終わるだけだし。
私はため息を一つつくと、モールの出口から差し込む光に向かって歩き出した。
モールにいると蘇る、咄嗟には言えなかったこと 錯千メイハ @kunikako12
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