店内であなたの名前を呼ばれても、反応しないでください
@sa21914
夜の現在地
その話を聞いたのは、いつもの配信だった。
夜。ベッドに寝転びながらスマホを眺めていると、画面の中で少しギャルっぽい配信者がマイクに近づいてきた。
「ねえねえ、聞いてよー。今日さ、友達と――△△ちゃんね。ご飯行ってきたんだけど、その帰りにめっちゃ変な話聞かされてさ」
コメント欄が一気に流れ始める。
〈△△ちゃんといつも一緒だよねw〉
〈仲良しなのホントに尊すぎる〉
〈なに、怖いやつ?〉
「いや、マジで。普通にコンビニ寄ってさ。グミ買いたくてw それでさ。そのコンビニの話なんだけど……なんかさ、店内で自分の名前呼ばれたら、絶対に反応しちゃダメなんだって」
〈こっわ。そういう話ありがちだけど〉
〈なにそれ〉
〈都市伝説じゃん〉
「でしょ!? 私も最初ネタだと思ったんだけどさー、あとから『そういう噂あるよ』って言われてさ。先に言えよ!って感じだよねww」
〈ホラーモードきた〉
〈可哀想w〉
〈どこのコンビニ?聞いた事ない〉
「ん?何?〈どこのコンビニ?聞いた事ない〉――えっとね、焼肉いきたいってなって、ちょっと有名なとこ行こうよ!ってなったの。みんな知ってる?最近テレビ出てた…そうそう!それ!めっちゃ美味しかった!
その帰りに行ったコンビニなんだよね。信号渡った向かいにあるやつ。」
たばこを吸いながら別の事をぼんやり考えていた俺は、配信に意識を向けた。
――今、何て言った?あそこの焼肉?めっちゃ近いところじゃん。まじか。来てたんだ。
俺がその言葉を反芻している間に、彼女はもう別の話題に移っていた。
「え!そうそう。名前呼ばれてたら、マジでどうすんのって話じゃん。
何が起こるかも分かんないし。普通に怖くない?まじで△△ちゃんそういうの後出しするんだよねw」
彼女は少しだけ声を落として、笑いながら続けた。
「私、一人暮らしじゃん。友達とかもあんまり家に呼びたく無いタイプだから、トイレとかお風呂でこの話思い出したら、ちょっと怖いんだよね。あはは」
画面の中の彼女は笑っている。
コメント欄も、軽いノリで埋まっていく。
でも、なぜかその言葉だけが、俺の頭に残った。
――名前を呼ばれたら、反応してはいけない。
意味なんて分からないのに、
妙に現実的なルールだった。
……そういうのって、思い出した時に地味に怖いんだよな。
そのまま配信は別の話題に移り、
俺もスマホを置いて眠った。
翌日の夜、
冷蔵庫を開けると、ビールがもうない事に気づく。
たばこも、残りわずかしかない。
折角、明日は休みなのに。
「……行くか」
近くのコンビニでいいはずなのに、
なぜかあの配信の話が、頭から離れなかった。
俺は自転車の鍵を取って、外に出た。
夜の空気は少し湿っていて、街灯のオレンジ色がアスファルトににじんでいた。
イヤホンを片耳だけに突っ込み、スマホで音楽を流しながら自転車を漕ぐ。
配信の話は、もうほとんど頭から抜けていた。
十分もしないうちに、見慣れたコンビニの看板が見えてくる。
何度も前を通ったことはあるけど、実際に入るのは初めてだ。
信号の向かいに、例の焼肉屋が見える。
「あそこに来てたのか……」
もしかしたら、会えるかもしれない。
馬鹿げた期待を胸に、コンビニの方を向く。
別に古くもないし、暗くもない。
ごく普通の、どこにでもあるコンビニだった。
少しだけ騒がしい店内ラジオと一緒に、あの匂いが流れ出てくる。
揚げ物と、雑誌と、コーヒーが混ざった、いつものコンビニの匂い。
「いらっしゃいませー」
レジの方から、少しだるそうな女の店員の声が聞こえた。
顔も見ずに言っている感じで、別に違和感はない。
俺はビールの棚に向かい、適当に缶を二本カゴに入れる。
ついでに弁当と、サラダを入れた。
後は、たばこだ。
レジへ向かう。たばこの番号を伝えると、店員が怠そうに持ってきてくれる。
店内ラジオが流れていた。
新商品の案内か何かで、内容はまったく耳に入らない。
俺の後ろにも客が並ぶ。
店員がカゴの中から商品を取り出し、無言でバーコードを読み取り始める。
ピッ。
ピッ。
機械音だけが、やけに大きく響く。
そのときだった。
――……◯◯。
一瞬、自分の名前が聞こえた気がした。
はっきりした声じゃない。
店内ラジオのノイズの隙間に、紛れ込んだみたいな、曖昧な音。
俺は、思わず耳に意識を集中させてしまう。
……今の、俺の名前?
心臓が、一拍だけ強く打った。
配信で聞いた話が、頭の奥から浮かび上がる。
――名前を呼ばれても、反応してはいけない。
いや、待て。
今のは、たぶん聞き間違いだ。
カクテルパーティ効果ってやつだろう。
雑音の中で、自分に関係ある音だけを拾ってしまう、あれ。
よくあることだ。
じっとりと手汗が滲む。
だけど今の……反応したことにならないよな?
何も起こらない。
店内ラジオも、普通に流れ続けている。
俺は、少しだけ息を吐いた。
そのとき、レジの店員が顔を上げて言った。
「……レシート、いります?」
いつもの、どこにでもある確認。
「いや、大丈夫です。いらないです」
そう答えた。
なのに。
彼女はレシートをちぎり、俺の方に差し出してきた。
俺は少し戸惑いながら、それを受け取る。
「……?」
店員は、俺の顔を見ないまま、低い声で言った。
「レシート、持っていきな」
それだけだった。
理由も、説明もない。
胸の奥に、小さな棘が刺さったみたいな感覚。
でも、深く考えるほどのことでもない。
聞こえなかっただけかもしれない。
俺はそのまま、受け取ったレシートをレジ横のゴミ箱に入れた。
店員は、何も言わずそれを見ていた。
俺はビニール袋を持って、店を出た。
外の空気が、さっきより少しだけ冷たく感じた。
自動ドアが閉まった瞬間、店内の騒がしい空気が背中から剥がれて、夜の静けさが一気にまとわりつく。
何も起きてない。
酒とたばこと晩飯を買って、帰るだけ。
自転車のハンドルに手をかけたまま、俺は一度だけ、店の看板を見上げた。
例の話も、全部“店の中”の話だ。
だから――ここを出たら終わり。
そう自分に言い聞かせて、ペダルを踏んだ。
街灯の光が、アスファルトに細長い影を落とす。
さっきまで気にしていなかった音が、急に増える。
車の走る音。誰かの笑い声。遠いサイレン。
そして、何より。
自分の耳が、自分の名前を探している。
――呼ばれた、気がした。
ただの聞き間違い。
雑音の中で自分に関係ある音だけ拾う、あれ。
理屈は分かるのに、どうしても考えてしまう。
「……ちょっと落ち着け」
反応するな。
声に出すな。
“え?”だけでもダメだとしたら?
ふと、レジの女店員の顔が浮かぶ。
だるそうな目。
「レシート、持っていきな」と言った声。
……あれも、気にしすぎだ。
いらないって言ったのに渡してくる店員なんて、別に珍しくない。
ただの癖だ。
そう、ただの癖。
ただの聞き間違い。
なのに、心臓はいつもより速く脈打っている。
このまま一人で帰ったら、余計なことを考える。
風呂に入って、ふと「名前」って単語を思い出して、変にゾワッとする。
そういうのが一番嫌だ。
俺はスマホを取り出して、通話アプリを開いた。
友達の名前をタップする。
――自分からかける。
これは安全だ。
罠じゃない。
普通の行動だ。
呼び出し音。
すぐに繋がった。
『なに?どうしたの?』
相手の声が、いつも通りのテンションで耳に入ってきて、俺は少しだけ安心する。
「いや、別に。たばこが切れそうでさ。今帰り」
『は?それだけ?w じゃあLINEでよくね?』
「いやいや。ついでに飯も買ったんだけどさ」
『いいじゃん。何買ったの?』
他愛もない。
どうでもいい。
でもそれが、今はありがたい。
俺は信号待ちで片足を地面につけながら、弁当の話だとか、最近の好きな配信者の話だとか、適当に喋った。
相手も適当に相槌を打つ。
笑ったり、少し盛り上がったりして、脈を打つ速度が元に戻っていく。
……ほら。
大丈夫だ。
ふと会話が途切れたとき、友達が言った。
『で、お前さ。なんか用事あったんじゃないの?』
――お前。
その単語が、妙に耳に残った。
名前じゃない。
ただの呼び方。
普通の会話。
でも頭の中の警戒が、一段上がる。
“名前”じゃなくても、
呼ばれたことに反応したらダメなんじゃないか?
……いや、考えすぎか?
俺は自分からかけた。
相手は友達だ。
こいつが俺のことを呼ぶのは普通だ。
それでも、用心するに越したことはない。
俺は、黙った。
『……おーい?どうした?』
返事をしない。
沈黙のまま、数秒だけ時間を置く。
『おい、聞こえてんの?』
俺は、わざと明るい声を作った。
「あ!ごめん。電波悪かったわ」
『は?w 山奥に住んでたっけ?w』
「ちげーよ。で、さっきの話だけど――」
俺はそのまま会話を続けて、普通のテンションに戻していく。
問題ない。
今のは、回避できた。
前方から、パトカーが一台ゆっくり走ってくるのが見えた。
赤色灯は回ってない。ただ巡回しているだけ。
片手で自転車を漕いで通話してるのは、普通にまずい。
「悪い、警察来たから。切るわ」
『おー、またな』
通話を切った。
パトカーはこちらに何の関心も示さず、そのまま通り過ぎた。
……何もない。
俺は少し笑った。
自分の臆病さが、可笑しくなった。
「怖い話好きなくせに、マジでビビりだな」
独り言が出そうになって、また口をつぐむ。
今のも、反応か?
――いや。もういい。
マンションが見えてきた。
鍵を開けて部屋に入る。
電気をつける。
俺は袋からビールを取り出して冷蔵庫に入れ、弁当を机に置いた。
たばこを一本取り出して、火をつける。
煙を吐いた瞬間、やっと肩の力が抜けた。
ふと、スマホを開く。
動画アプリ。
いつもの癖で、好きな配信者のチャンネルを探す。
生配信じゃない。
今日は、配信休みのようだ。
俺が選んだのは、ずっと前のアーカイブだった。
一年前の、ゲームをやってるだけのやつ。
何も関係ない、平和な回。
画面の中で彼女が笑って、ゲームのキャラにツッコミを入れている。
俺は少しだけ安心して、コメント欄を開いた。
――今のライブじゃない。
ただの過去動画。
俺は、他愛もない感想を打った。
『10分46秒のくしゃみ、可愛すぎ』
コメントを送って、俺はスマホを机の上に置いた。
画面の中では、相変わらず一年前の彼女がゲームに夢中になっている。
もちろん、何も起こらない。
起こるはずがない。
これはただの過去動画で、
ライブ配信ですらない。
……なのに。
イヤホンの向こうで、
彼女の声が、ふいに変わった。
「……あ、ちょっと待って」
ゲームの音が小さくなる。
マイクを触るような、かすかなノイズ。
「やだ、ミュートし忘れてた。
今のくしゃみ、めっちゃ豪快じゃなかった? 恥ずかし」
その言い方が、妙に“今”のテンションだった。
俺は、思わず画面を見つめる。
一年前の動画だ。
編集もされていない、ただのアーカイブ。
俺の動画に対するコメントなんて、読み上げられるはずがない。
なのに、彼女は続けた。
「……10分46秒のくしゃみ、可愛すぎ、って。
やめてよw」
心臓が、強く跳ねた。
俺のコメントだ。
今、打ったばかりの。
画面の中の彼女が、こちらを見ていないはずなのに、
なぜか視線が合ったような気がした。
そして、少しだけ間を置いて、
彼女は名前を呼んだ。
「――◯◯君」
ハンドルネームじゃない。
それは確かに――俺の“名前”。
「……え?」
思わず、声が出た。
その瞬間、
背中を、氷水でなぞられたみたいな感覚が走る。
やばい。
反応した。
声を出した。
“特定された”。
俺は、スマホから目を離せなくなっていた。
画面が、一瞬だけノイズで歪む。
次の瞬間、
映っていたのは、あのコンビニだった。
レジの上にある、防犯カメラの視点。
蛍光灯に照らされた、店内。
そのレジ前に。
そこに、
俺が立っている。
さっき、確かに、店を出たはずの自分が。
それは、配信者の声じゃなかった。
スマホのスピーカーじゃない。
部屋のどこかから、声がした。
「いまいくね」
画面の中の“俺”が、
ゆっくりと、こちらを向いた。
店内であなたの名前を呼ばれても、反応しないでください @sa21914
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