魑魅魍魎調伏センター
ぴのこ
魑魅魍魎調伏センター
ごうん、とエレベーターの稼働音が響いた。
地下四階に着いたエレベーターの扉がゆっくりと開く。地上から運ばれてきた真冬の寒気が、地下の暖気と混ざり合う。
照明に照らされたエレベーターから薄暗い地下室へ、おそるおそると足を踏み入れたのは制服姿の女子高生だった。その手には、くしゃくしゃの折り目がついた一枚のポスターが握られている。
この“
「あ、あの……ちみもうりょう……?センターって、ここで合ってますか……?」
天井で瞬く電灯が室内を淡く照らすばかりの薄暗い事務所を、女子高生は不安げに見回した。事務所の異質な空気に気圧されたのか、尋ねる声はひどく頼りない。
「どうもどうも!お客さんやな?」
事務所の奥から、朗々とした声が響いた。
声の主はにこやかな笑みを浮かべながら女子高生の元へと歩み寄っていく。皺と笑い皺が入り混じった、五十一の齢を迎えた男の笑顔は人の良さそうな好人物にしか見えない。しかし首から下の筋骨隆々の肉体が、言い表しようのない威圧感を放っている。
山を思わせる大男を、彼女は警戒と困惑の入り混じった表情で見つめていた。
「ようこそ、魑魅魍魎調伏センターへ」
分厚い筋肉に覆われた、掘削機のような手が
「センター長のトドオカや」
■
「私はアミっていいます。よろしくお願いします」
「オウ、こっちこそよろしく頼むで」
握手として成立していないような大小の手の接触を済ませると、トドオカはアミに背を向けて事務所の奥のデスクへと戻っていった。
「今やっとった作業の片付けを済ませてくるさかい、そのへんの椅子を用意しとけや」
「は、はい。失礼しま……きゃっ!」
アミが腰を掛けた椅子は、木材が軋む音を立てたかと思うと粉々に崩れ去った。床に尻餅をついて目を丸くしている彼女を
「おん」
すぐさま手で
アミは椅子を壊してしまったことに気付くと、顔面を蒼白に染めた。トドオカはそんな彼女に駆け寄り、大柄な体を折り曲げて手を差し伸べる。
「……大丈夫か?怪我はしとらんか?」
「いえ、怪我は無いですけど……椅子を壊しちゃって……あの、弁償とか」
アミは慌てた様子でトドオカと椅子の残骸へと交互に視線を飛ばす。不安と申し訳なさがその表情には現れている。
しかしトドオカはアミに怒りの断片も見せず、ただ微笑むのみだった。
「弁償なんか気にせんでええ。こんなものを置いとったワシが悪いんや。壊したからって気に病む必要なんてあらへんで。なにしろこいつは、座れば壊れる椅子やさかいな」
「座れば壊れる……?なんでそんなものが……?」
「実はなあ、これは壊した人間を祟る、呪いの椅子なんや。この椅子には……あー、幽霊が取り憑いとるさかいな」
その言葉に、アミの喉から短い悲鳴が漏れた。
「のっ……呪い!?」
「拝み屋の先生に作ってもらったもんなんやが、費用は一脚で一千万やで。ホンマ、ええ商売しとるわ」
トドオカはアミから視線を外し、忌々しげに舌打ちを飛ばす。“一千万”という価格を聞き、アミは再び顔を青白くした。
「そ、そんな高いものなら弁償しないわけにはいかないですよ。実家のお父さんとお母さんに相談して、なんとかしてみるので……あっ、でも、その呪いと私の呪いを先にどうにかしてほしくて」
全身をわなわなと震わせながら、アミはどうにか言葉を紡ぐ。
トドオカはそんなアミの様子に、余計なことを言ったと思ったのだろう。しまった、という顔を浮かべ、唇を引いて笑みを象った。
「なあんて、冗談や冗談!幽霊なんかおるわけないやろ。人は死んだらそれまでや。死者の呪いなんかあらへん。この世には不思議なことなんて何もあらへんのや」
両手をぱっと広げ、明るく告げる。けれどもアミの沈鬱な表情は変わらなかった。むしろ先ほどより
一拍置いてから、アミはトドオカの瞳をじっと見て言った。
「でも、ここは心霊現象に遭ってる人も助けてくれるんじゃないんですか?」
アミが手に持っていたポスターが、トドオカの眼前に突き出される。
ポスターの下部に書かれた“どんな被害でもご相談ください!”の文章の下に記された“犯罪・心霊など”という字をアミは指し示した。
「私、これを見て来たんです。ここなら、呪われた私を助けてくれるんじゃないかって。呪いなんか無いっていうなら、私は何に襲われたんですか!?」
瞳にさざなみを
涙の雫が床に落ちたのと、トドオカが唇を開いたのは同時だった。
「……まずは落ち着きい」
驚くほどに、優しい声色だった。まるで幼い子供に接する時のような。
その声の柔らかさに、アミも思わず気勢を削がれている。
「ワシはエスパーやない。嬢ちゃんの身に何が起きたか、話してもらわんとわからん」
トドオカは事務所の壁に立てかけられていたパイプ椅子を、片手でまとめて持ち上げた。もう片方の手でそのうち一脚を掴むと、器用に広げてアミの足元に置く。
続けてその前にもパイプ椅子を設置し、巨岩のような腰を椅子のクッションに下ろした。前傾姿勢になって両手を組み、微笑みを湛えながら穏やかに告げる。
「さあ、今度は座っても壊れん椅子やで。ゆっくりでええ。嬢ちゃんの話を聞かせとくれや」
アミが椅子に座ると、初めてトドオカとの視線の高さがほぼ同じになった。アミは半開きの唇の奥で言葉を転がすようにしばらく言い淀んでいたが、やがて意を決したように語り出した。
「……私、死んだ彼氏に……いえ、殺した彼氏に呪われたんです」
■
私は高校一年で、陸上部に入ってます。
うちは大学付属高校で、大学にはエスカレーター式で進学できます。とはいえ評定は大事ですから、部活をやっていたほうが有利だと思って始めたんです。ですが、今年の夏からは顔を出さなくなって……最近また復帰しましたが、そのせいで呪われてしまって……。
あの頃は、こんな暗い将来が待ってるなんて思いもしませんでした。彼氏が生きていた……あの頃は。
うちの陸上部では、大学で陸上をやっている先輩たちとの合同練習があるんです。
大学生の彼氏と出会ったのも、その合同練習の時でした。
彼は私の走りのフォームに悪い癖があるのを見抜いて、改善できるようになるまで親身に指導してくれたんです。その優しさに惹かれて、思わず告白してしまいました。ちょうどマリさん……ああ、彼の元カノで、大学陸上部のマネージャーをしてる先輩です。マリさんと別れた直後だったらしいのでタイミングが良かったんでしょうね。私たちは無事に付き合い始めることができました。
彼氏が私にとって無くてはならない存在になるまで、そう時間はかかりませんでした。彼氏が近くにいてくれると、運動のパフォーマンスが驚くほど上がるって気づいた時にはなんだか嬉しい気持ちになりました。
いつしか、長距離マラソンのランニング練習の時には彼氏に並走してもらうようにお願いするのが当たり前になっていました。彼が隣で走っていてくれれば、それだけで調子が良くなるから。
そんなこと頼まなければ、彼は死ななかったかもしれないのに。
あれは殺人的な日差しが降り注ぐ、真夏の猛暑日のことでした。
どんなに暑かろうと練習は休みにはなりません。私はその日も、彼氏と一緒に走り出しました。彼氏は前日の晩にマリさんに呼ばれて大学の友達と飲み会をしてきたらしくて、二日酔い気味だったのに。ビタミンのサプリを多めに貰ったから大丈夫だって言われても、止めれば良かったのに。
走り出して、しばらく経った頃でした。
隣から聞こえる彼氏の息が、急に荒くなったんです。走り疲れて息が乱れたんじゃない。明らかに異常だってわかる息遣い。
心配になって目を向けると、彼氏は全身から滝のような汗を噴き出しながらふらふらと走っていました。苦しそうに歪んだ顔の中で、目つきだけが虚ろで。
熱中症だ。
私がそう気づいた瞬間に、彼氏の体がぐらりと揺れました。地面に仰向けに倒れた彼の体は全身が
すぐに人が来て救急車を呼んでくれたけど、手遅れでした。酷暑は、彼の命を呆気なく奪っていったんです。
……いいえ、夏の暑さのせいにしたら駄目ですね。私のせいです。私が一緒に走ってなんてお願いしなければ、彼は死ななかった。何もかも、私のせいです。
だから、彼氏は私を恨んだんでしょう。
あの一件以来、私は部活に出なくなって、学校と家を行き来する以外にはほとんど何もできない生活を送っていました。自室でぼうっとしながら、ベッドの上で天井を眺め続けるだけ。暗くなったらアレクサに「明かりをつけて」って、冷えてきたら「エアコンを切って」と頼むだけ。自分のことも自分でできない、最低の暮らしをしてました。
いい高校に受かったからって田舎のお父さんお母さんにマンションまで借りてもらったのに、何をやってるんだろうって自己嫌悪に苛まれてました。一人暮らしして、ちゃんと自立して……なんて入学時に思い描いていたことが全然できてないなって。
やっと気持ちを整えて、また部活に顔を出したのは冬に入ってからでした。このままじゃ良くないって、体を動かさないと心が沈む一方だって気づいたんです。
復帰した私に、部活の友達やマリさんたち先輩方は優しく接してくれました。特にマリさんは頻繁に電話をくれるようになって、夜遅くまで通話に付き合ってくれるほど親身になってくれて。マリさんは大学四年で私と歳は離れてますけど、もう友達だって断言できるくらいの仲です。
そんな風に、周りの人たちのおかげで私は元の活力を少しずつ取り戻していきました。
でも……そんな私を、彼氏は快く思わなかったんだと思います。
昨日のことです。
私は昨日の晩、こたつで温まりながら課題をこなしていました。もう真冬ですっかり寒くなってきましたから、近頃は食事をするにも勉強をするにも私はこたつの中でやっています。
一日分の課題が終わりかけた、午後十時半ごろ。マリさんから電話がかかってきました。マリさんから着信がある時間は、だいたいいつも十時半から十一時くらい。電話が始まった日は、スピーカーにして作業しながら雑談を延々と続ける流れがお決まりです。でも、昨日の私はつい寝落ちしちゃいました。気が付けばこたつに入ったまま横になっちゃってて、朝を迎えていたんです。
目が覚めた時、喉に違和感がありました。
風邪を引いた時のようなイガイガ感?いや、そうじゃない。渇いてる。喉がからからに渇いている。
そう気づいた時、頭の奥で雷のような激痛が走りました。脳を直接殴られたような錯覚を感じるほどの、命の危険さえ抱く痛み。
私は思わずこたつから転げ回るように飛び出して、その場で体を丸めました。両手で頭を覆いながらうずくまって、頭痛が収まるのを待って。少しだけ痛みが落ち着いた時に、這うようにして部屋の隅まで向かって、床に置いてあったペットボトルを掴みました。寝転がりながら蓋を開けて、中の水を一気に全部飲んだらやっと楽になったんです。
思考に余裕ができたおかげで、その時やっと気づきました。何か様子がおかしいことに。
パジャマが汗でびっしょり濡れていて、冷たい。部屋の中が、やけに寒い。
まさかと思って、エアコンの設定を確認しました。私はいつも自動モードに設定してるし、昨日の夜も確かに自動だったんだからこんなに寒くなるはずがないって思いながら。
エアコン、冷房になってました。それも設定上で可能な最低温度にまで。
部屋の中を極寒に変える勢いで、エアコンは朝までずっと稼働してたんです。そして、下半身を温めるこたつの熱で出た汗を、冷房の風が冷やして乾燥させ続けてました。もう少し目が覚めるのが遅れてて脱水がもっと進行してたら、干からびて死んでたかもしれないって気づいた時、ぞっとしました。
だって、汗を流し続けて、からからになって死ぬって、それって。
熱中症で死んだ彼氏と同じような死に方じゃないですか。
■
「……なるほどなあ。そんで怯えた嬢ちゃんは、そういえばウチのポスターが三日前に郵便受けに入ってたのを思い出してゴミ箱からそれを引っ張り出し、住所を確認してこのビルの地下に来たってワケやな」
「えっ……なんで。そこまでは話してないのに……」
「簡単な話や」
トドオカはアミの手に握られたポスターを指差した。
「ウチの従業員がそのポスターを市内のありとあらゆるお宅に投函したんは三日前。とはいえあまりに怪しいポスターや。軽く目を通しただけで丸めて、ゴミに捨てたんやろ。折り目を見ればわかるで」
「そ……れは……ごめんなさい」
「いやいや、責めとるわけやないんや。そんな気味悪いデザインのポスター、ワシでも捨てるさかいな」
それを察してか、トドオカはまた穏やかな声音を発した。
「ええか嬢ちゃん。オマエを襲ったんは、彼氏くんの呪いなんかやない。外因性の事象を、自分の世界の中で“呪い”やと取り違えてしもうてるんや。この世には幽霊なんてものはおらん。勝手に怨霊にされとったら、彼氏くんが気の毒やで」
「呪いじゃないって……それなら、なんで」
ぱん、とトドオカは両手を打ち鳴らした。アミの両肩がびくりと跳ねる。
「この世には不思議なことなんて何もあらへん。霊なんてどこにもおらん。せやけど確かに、魑魅魍魎は
合掌の形を取る両の手の奥で、刃で切り込みを入れたようなトドオカの目が
「嬢ちゃんを蝕む呪い……ワシが祓ったるで」
■
「まずは第一の呪いから祓ったろか。嬢ちゃんは自分が彼氏くんを死に追いやったと、そう思っとるんやな?」
「は……はい。私が彼をランニングに連れ出さなければ、彼は死ななかったんですから……」
「そこが間違いや」
トドオカの人差し指が、アミに向かってぴんと突き出される。その指に射抜かれたかのごとく、アミは硬直した。
「彼氏くんは普段から嬢ちゃんの長距離ランニングに付き合っとったんやろ?なあ、落ち着いて考えてみい。いくら少し体調が悪かろうと、日差しの強い真夏日だろうとや。日常的に走り込んどる健康な若者が、そんな簡単に脱水症状を起こして倒れるもんやろか?」
「それは……」
「彼氏くんが倒れた時、発汗と痙攣以外にもうひとつの異常があったやろ。それは何やった?」
「確か……あの時は……」
アミは自身の発言を振り返った。記憶を辿って答えを掴み、勢いよく声を発する。
『地面に仰向けに倒れた彼の体は全身が痙攣していて、大量の尿が漏れ出してどんどん広がって行って』
「そう、すごい量の尿を漏らしてました!まるでずっと我慢してたみたいに……あれ?でも走って汗かいて……そんなに出ることってある……?」
「ええね」
操られるように答えたアミに、トドオカは微笑みと称賛を返した。
「嬢ちゃんの言う通りや。彼氏くんの尿失禁は不自然。ワシくらいの歳になればトイレが近うてかなわんが、一般的な若者は……ましてや運動で発汗しとる奴がそんな量の尿を溜めるとは考えにくいやろ。もっとも、利尿作用のあるものを大量に摂取した場合ならその限りやないがな」
「利尿作用……例えば、コーヒーとかですか……?でも、彼は走る前にそんなものを飲んでなんか……」
「確かに、これから走るって時にコーヒーなんか飲まへんやろな。あれには多量のカフェインが含まれとるさかい。せやけど嬢ちゃん、その日の彼氏くんはあるものを飲んどったんやろ?」
「飲んだもの……」
『ビタミンのサプリを多めに貰ったから大丈夫だって言われても、止めれば良かったのに』
「ビタミン……待って!そのサプリがカフェインとか別のものにすり替えられてたら……!?」
「ええやん!」
称賛の声量が一段上がった。出来の良い生徒を導く教師のように、トドオカは愉しげな笑みを深める。
「飲み会でしこたま飲んだ翌日っちゅうんは、アルコールのせいで朝起きた時点で脱水が起きとるもんや。おまけに内臓疲労で体調も鈍る。そんな日に炎天下で運動しようって時に、利尿作用のあるサプリなんか飲ませたらどうなるやろか?すでに脱水気味の体からさらに水分が追い出され、ハードな運動が致命的な行為と化す状態になる。もうわかるやろ嬢ちゃん。彼氏くんは、オマエらが走る予定を狙った第三者に殺されたんや」
「……第三者って、誰に」
「ビタミンのサプリを貰う相手となると誰やろか。まあここは監督や他の部員の可能性もあるやろな。せやけど、一番可能性が高いのは部員の体調を管理する役割の奴や。例えば……マネージャーとかな」
アミは
「サプリをすり替えることが可能な立場で、前日に彼氏くんに酒を飲ませ二日酔いにできた人物。なあ嬢ちゃん。彼氏くんはその前の晩に、飲み会に行ったって言っとったな。彼氏くんは、その飲み会に誰に誘われたって言っとった?」
『彼氏は前日の晩にマリさんに呼ばれて大学の友達と飲み会をしてきたらしくて、二日酔い気味だったのに』
二度三度と息を吸い、吐息に辛うじて音を乗せるようにして、アミはようやく答えを口にした。
「……マリさんです」
「あっぱれや!」
大きな両手で幾度かの拍手を贈り、トドオカは大袈裟な調子でアミを褒め称える。気づけば口元はさらに吊り上がり、白い歯が見え隠れしていた。
「だ、だけど……!そうとは限らないじゃないですか!マリさんがサプリをすり替えた証拠なんて無いし……!」
「無論、その通りや。こんな話はこじつけに過ぎんし、他に可能性はいくらでもあるわな。この段階で真犯人は絞れん。今の話で一番大事なことは……嬢ちゃん、彼氏くんが死んだんはオマエのせいやないって伝えたかったってことや。オマエが自分を呪う必要なんざどこにもあらへん」
トドオカは目を細め、唇を弓なりにして微笑んだ。
「さ、次は第二の呪いを潰したろか。嬢ちゃんを脱水で殺しかけたっちゅうやつやな。オマエはこれを、死んだ彼氏くんの呪いやと思って怯えとった」
「……それも、真相は違うってことですか」
「そうや。さっきの話と同じく、他人の悪意が隠れとるだけや。ワシはさっき、彼氏くんにカフェインか何かを盛った奴は絞れんって言うたな。せやけど今回は絞れるで。嬢ちゃんを害することが可能だった奴は、状況的に一人だけや」
太い指が一本、そっと立てられる。
「まず、嬢ちゃんはマンションで一人暮らししとるんやったな。一千万円でも相談すればなんとかなるくらい、裕福なご両親のことや。娘が不自由せんように上等な部屋を、上等な家電を揃えてくれたんやろ。ええご両親を持ったなあ」
「え、ええ……」
「そんな嬢ちゃんの部屋は、家電をIoT化しとるんやろ?照明も、エアコンもや」
『暗くなったらアレクサに「明かりをつけて」って、冷えてきたら「エアコンを切って」と頼むだけ』
アミは一拍遅れてから、迷ったように頷いた。もしかすると“IoT化”という言葉の意味がわからなかったのかもしれない。
「要は“アレクサ”と呼びかければ、家電の操作ができる環境ってことが重要や。さて、最後の質問やで。昨晩の嬢ちゃんが眠りに落ちた後で、その部屋に声を響かせることができた人物が一人だけおるやろ?“アレクサ、冷房を入れて温度を一番低くして”とかな。それは誰や?」
「あ……」
『一日分の課題が終わりかけた、午後十時半ごろ。マリさんから電話がかかってきました。マリさんから着信がある時間は、だいたいいつも十時半から十一時くらい。電話が始まった日は、スピーカーにして作業しながら雑談を延々と続ける流れがお決まりです。でも、昨日の私はつい寝落ちしちゃいました』
ようやく真相を悟ったのだろう。アミは愕然としたまま、唇を震わせている。
「そもそもこたつで寝るのがあんまり良くないことや。こたつに長時間入っとると体温が過剰に上がり、睡眠中の発汗で脱水を起こしやすくなる。嬢ちゃんの喉が渇ききっとったのはそのせいや。さらに、下半身は温められて血管が拡張しとるのに上半身は冷えて血管が縮こまっとるとヒートショックの状態になりかねん。こたつの中と外の温度差が激しいほど、死の危険性は高まるんや。冷房を最低温度にまで下げとったあたり、殺意に満ちとるなあ。マリっちゅう奴は」
その名に反応したかのように、アミの片眉がぴくりと動く。それでも言葉は何も出てこない。思考を脳内で整理しきれていないのだろう。無理もない。親しいと思っていた相手が自分を殺そうとしたなどと聞かされれば、常人なら平静を保てるはずがない。
「こたつで温まる習慣が嬢ちゃんにあることも、家電をIoT化しとることも、マリはおそらくオマエとの会話で知っとったんやろ。そしてマリはこの計画を立てた。エアコンを操作し、嬢ちゃんをヒートショックで殺そうっちゅう計画や」
トドオカがつらつらと言葉を連ねるたびに、アミの顔面から血色が引いていく。やがて推理は収束し、最終局面に差し掛かった。
「せやけど嬢ちゃんが眠った後で電話越しに冷房をつけるためには、オマエに寝落ちしてもらわんとアカン。せやさかい、何度も何度も電話をよこして、ずっと待っとったんやろ」
「……何を、ですか」
「オマエの寝息が聞こえてくる、その時を」
その一言で、アミの全身から力が抜けたように見えた。
アミはぐったりと
「こんなん、推理ってほどのもんでもない。あまりにも簡単な話や。嬢ちゃんでも冷静になれば気づけたと思うで。せやけど嬢ちゃんは優しい子や。呪いの椅子に座ったと聞かされて、まずこっちの懐の心配をしてくれるくらいにな。その優しさのせいで、真っ先にお友達を疑えなかったんやろ」
「……それでも、です」
ぼそりと、絞り出すようにアミは呟いた。
「ん?」
「まずは、ありがとうございました。私の相談にお付き合いしてくださって。私が抱えていた呪いを……祓ってくださって。けれど……それでも、私はまだ友達を信じたいです。推理を聞いて、それが真相だと言われて、ただ受け入れるだけじゃ私は納得しきれません。ちゃんと自分自身で最後まで確かめたい。私が寝ぼけて冷房を入れただけの可能性だって、まだありますよね?」
アミの
「そうやな、その通りや。安全は保証したるさかい、ちゃんとお友達と話しておいで。“魑魅魍魎調伏センター”の名前も、ワシの名前も出してええで。その代わりな……」
トドオカは唇に人差し指を当て、悪戯ぎみに微笑みながらひとつ囁く。それを聞いたアミは、頷くとともに勢いよく立ち上がり、ぺこりと頭を下げた。早足にエレベーターへと向かい、乗り込む直前で振り返る。
トドオカはまだ椅子に座ったまま、穏やかな微笑を浮かべながら手を振っている。俺も
エレベーターの扉が閉まる直前、トドオカと俺に向かってアミはまた口を開いた。
「本当にありがとうございました。お二人とも」
■
「トドオカさぁん。また推理に人の心が抜けてましたよ。あの子に伝えてない点があったでしょ」
エレベーターが地上へと戻って行った直後、俺はトドオカに話しかけた。
「なんや先生。言うべきことはキッチリ言うたやろ」
「動機ですよ動機。犯人がなぜそんな行動に出たのかの理由を話していない。動機を説明しない探偵なんてあなたの他にいないんよな」
アミを殺そうとしたのは、まず間違いなくマリという女だ。となればアミの彼氏の件も、十中八九マリの仕業だろう。
マリはアミの彼氏の元交際相手だった。アミが彼氏と付き合い始めた時期は、ちょうど彼氏がマリと別れたばかりだった頃だったという。
「嫉妬でしょうねえ。どんなに取り繕っても人間の魂の根源にこびりついてる、薄汚い感情。自分は別れたのにあの女はどうしてって。いや、もしかしたら別れたばかりってのも彼氏の嘘かもしれん。アミと付き合いたいからマリを捨てたのかもしれませんよね。トドオカさんはどう思います?」
俺は言葉を紡ぐのを止め、隣のトドオカに水を向ける。トドオカは心底興味が無さそうな顔を浮かべた。
「知らんがな。ホンマどうでもええねん。痴情のもつれだのなんだのって話は腐るほど舞い込んでくるが、恋愛がどうこうで非合理的な行動に繰り出す連中の気持ちは何度考えても理解できん。理解できんものをペラペラと説明しようとする探偵こそおらんやろ。いやそもそも探偵ちゃうねん」
一連の言葉を語る口調は、まるで芸人のノリツッコミのようなテンポだった。トドオカが俺に向ける眼差しは常に冷淡だが、なんだかんだで付き合いの良い人だと思う。
「そうですね。あなたは脳みその線が切れてて恋愛感情というものが理解できない。それに留まらず、音楽、スポーツ、芸能……世間では一般的なそれらを楽しむ回路ってものが欠落しとる。そのせいで紆余曲折ありカタギの世界に適合できず、俺みたいな拝み屋と組んで闇の商売を営むに至った品性下劣な男。薄汚い畜生。それがあなたなんよな」
最後の“な”を言い終わらぬうちに、俺の腹部を凄まじい衝撃と激痛が襲った。トドオカが俺を一瞥もせず、俺の腹に裏拳を叩き込んだのだ。
たまらず倒れ込む。喉の奥から血の苦味と胃酸の刺々しさが迸る。
「ええから黙って与えた仕事だけをせえや、先生。椅子を用意しとけって言うたのにオマエがすぐ動いてパイプ椅子を出さんから、嬢ちゃんが呪いの椅子に座ってもうたんやろが。神をすぐさま抑え込んだのは褒めたるがな、椅子の修復費用は減額や。そいつのためにも、さっさと次を作ったれや」
トドオカは冷たく告げ、事務所の奥へと歩いていく。巨体がデスクの前にどかりと座る音が耳に届く。
目も開けられないほどの苦痛に侵されながらも、俺の唇は吊り上がっていく。喉から漏れ出す笑い声が止められない。今日もついトドオカを罵倒してしまった。それが愉快で仕方ない。
「ひっ……ひひっ……」
うっすらと目を開く。視界の端で、土着神が俺を祟り殺そうと三本の腕を伸ばしているのが見える。俺が弱っていると思って油断したのだろうか。鬱陶しい。邪魔をするな。
この愉悦の邪魔をするな。
「おん」
たった一言、そう唱える。
それだけで土着神は硬直し、怯えた犬のように縮こまった。
■
「トドオカって奴どこ!?早く出て来いよ!おい!トドオカ!」
エレベーターが開くとともに、嵐のような女が事務所にどかどかと踏み込んできた。甲高い怒声を撒き散らす、やかましい女だ。
女は事務所のエレベーター側にいた俺を
「あんたがトドオカ?」
「いかにも。俺が闇社会の黒幕、呪いの王ことトドオカなんよな」
考えるよりも先に俺の口が動き、ついトドオカと名乗ってしまう。こうなっては仕方が無い。
女がどんな反応をするか興味があったが、女が口を開くよりも俺の頬にトドオカの拳がめり込むほうが早かった。
「喋るなって言うとるやろが」
気づけば俺はトドオカに殴り飛ばされていた。
俺には重度の虚言癖がある。俺はトドオカに対してしか本音を語れず、それ以外の人物にはつい口から出まかせを言ってしまうのだ。そのため、俺が事務所にいる最中に来客が訪れても決して喋らないよう念押しされている。
「いやあ、えらいすんません!その変態のことは気にせんでください。ワシがトドオカです。ご用件はなんですやろか?」
俺に向けたゴミを見るような目が嘘のように、トドオカは一瞬で笑みを象った。だが、どこか作り物じみている。女の正体を薄々と察しているのだろう。アミに向けていたような慈しみに満ちた笑顔ではなく、まるで張り付けたような笑顔だ。子どもや善人には優しいトドオカだが、ろくでもない人間には一切の慈悲が無い。
目の前で平然と行われた暴力に、この
「あんた、アミに何か吹き込んだでしょ!アミがさあ、“マリさんが犯人なら正直に言ってほしい”とか急に言ってきたの!詳しく聞いたらここのトドオカって奴がそう言ってたって。何?私が冷房を入れたとかカフェインを盛ったとか、なんの証拠があって話してんの!?ていうか、あいつを殴ろうとしてもなんかパンチが止まるし、それもあんたの」
「先生、嬢ちゃんはコイツにカフェインの話をしとったか?」
少し苛立ったようなトドオカの声が、マリの言葉を遮った。俺は口内の血の味を飲み込んで返答する。
「してないですねえ。術でちゃんと見守ってましたけど、あの子トドオカさんの言い付けを守ってその情報は伏せてましたよ。俺は感動しました!人を信じて……約束を守って……ああいう綺麗な目をした純粋な子ばかりなら世界は平和になるんだ……ドブのように濁った眼球に腐った人間性が表れてるトドオカさんとは大違い」
俺の返答は、丸太のような脚による強烈な蹴りで中断された。右の太ももに叩き込まれた一撃を受け、骨の一部が砕け散ったような感覚が走る。思わず目をつぶると、瞼の裏の暗闇に閃光が散っていた。
虚言癖の俺であるが、トドオカに対しては本音を語れる。より正確に言えば、トドオカには本音しか語れない。そうでなければ痛めつけられるとわかった上で、心の内から湧き上がるこんな感情を口になどできない。
「なるほどなあ。オマエ、使われた薬物がカフェイン剤やってなんで知っとるんや?」
「え……いや……」
トドオカは事務所の入り口近くに置かれた“呪いの椅子”をちらりと一瞥する。かつて愛媛で祀られていた土着神を宿らせた、新調したばかりの椅子だ。
マリに向き直ったトドオカは、また仮初の微笑みを象った。穏やかな笑みの中で瞳だけが笑っていない。
「来客を立ちっぱなしにさせて悪かったなあ。ほな、座ってもらおか」
筋肉の塊のような右腕が、マリの肩をがしりと掴む。そのままトドオカは、力任せにマリの体を椅子に沈ませた。
「ぎゃっ……!?」
マリの悲鳴と、椅子の破砕音が同時に響く。椅子が粉々に砕け散った瞬間、椅子に宿っていたものの禍々しい気配が立ち上った。
黒い影のような無数の腕が、虚空から現れる。それらはマリの脚を、腕を、腹を、首を撫で回し包み込む。まるで、捕食のように。
「何……なにこれ……!?なんかいる……嫌っ!なに!?」
人ならざるものの姿は見えずとも、感触は知覚できる。得体の知れないものが全身を這う感覚に、マリはすっかり恐怖に呑まれてしまった様子だ。
「並外れて強力なモンの中で、人に祀られとるものを神と呼ぶ。そういうモンは
土着神に蝕まれて必死にもがくマリを見下ろしながら、トドオカは淡々と語る。
「先生がそいつらを叩きのめし、調伏し、何かの物品に宿らせて新たな“祠”とする。その祠をワシらは祀り、定期的に供物を捧げたることで連中をまた神に戻して制御しとるんや。祠を壊すと祟られるって話はよく聞くやろ?トリガーは破壊や。ワシらはクズどもに祠を壊させ、神の供物にすることでこの世を綺麗にしていく掃除屋をしとるっちゅうわけや。双方ウィンウィンのええ話やろ?」
纏わりつく無数の腕が、マリの体を吞み込んでいく。マリを食い潰す影は少しずつ縮小し、彼女の存在をこの世から消し去ろうとする。
「普段なら有償でやっとることやが子供から金は取れんし、何よりオマエみたいなクズの存在を知ったら黙っとれん。今回は特別に無料サービスや」
トドオカは膝を曲げて屈み、マリと視線を交える。罪人に判決を言い渡すかのような、重々しい声色でゆっくりと語る。
「悪いことをすれば報いを受ける。罪には罰が与えられる。オマエがそうなっとんのはなんも不思議やない。当たり前のことや」
影はもはや頭部の大きさにまで縮み切っている。その隙間から、涙に塗れて懇願するような瞳が覗いていた。
「この世には、不思議なことなんて何もあらへんのや」
マリを包み込む黒の球体が、極限まで縮小していく。黒点と化したそれは、やがて静かに消えて行った。
■
「トドオカさんって、優しいですよね」
後片付けを行いながら、俺はなんとなく思ったことを口にした。
トドオカは苦虫を噛み潰したような顔で俺を凝視している。心底、気味が悪いと感じていそうな顔だ。
「なんや急に気色悪いこと言いおって。普段の暴言のほうがまだマシや」
「わかってると思いますけど本心ですよ。あなたは人として当然の感覚を持たずに生まれたばかりに悪い連中に虐げられ、表社会から放逐された化け物。悲しい世界の被害者。そしてクズどもを穢らわしい
「さっきと言うとることちゃうぞ」
トドオカは頬を引きつらせて額に青筋を立ててはいるが、今回は拳が飛んでこない。珍しく称賛の言葉を贈った俺を警戒しているのかもしれない。
「……だけど、あなたはあくまで悪人しか殺そうとしない。世界の全てを憎んでもおかしくない過去を背負ってもなお、善人を慈しみ子供を守ろうとする。それはあなたが優しい人で、その心には愛があるからに他ならないんよな」
「……」
返事は無かった。雄弁なトドオカにしては珍しく押し黙っている。
許せない。俺の言葉程度で沈黙するなんてトドオカの反応じゃない。
今度こそ言葉を引き出すべく、俺は一枚の紙を尻ポケットから取り出して広げた。
「そんなあなたの存在を俺は宣伝したい!パワハラモラハラ上等、品性下劣な全身ハラスメント人間だけどカタギには優しい仁義の男、トドオカ!これが世間にあなたを知らしめるために作った新ポスターです!」
トドオカの顔面が大々的にプリントされたA4用紙だ。写真の周囲には、俺が思いつく限りのトドオカを表す語句を盛り込んだ。
ポスターの上下を手で持ってトドオカの眼前に掲げる。その瞬間に拳がポスターを突き破り、俺の鼻をめきりと潰した。
「オマエこんなん配ったら今度こそどうなるかわかっとんやろな。この前も勝手にポスター作ってばら撒きおって。客なんざワシのツテで探す分だけで十分なんや」
「げほっ……いいじゃないですか。おかげであの子に感謝されたでしょ」
鼻からどくどくと溢れ出す血を拭いながら俺は答える。アミに礼を告げられた時、トドオカが確かに嬉しそうにしていたことを俺は忘れていない。
「やかましいわ。余計な厄介事が増えるやろが。オマエのせいでまた同じような話が舞い込んできたらどうすんねん」
トドオカがそう言ったちょうどその時、エレベーターの稼働音が鳴った。光を宿したかごが、上から滑り落ちてくる。
トドオカは舌打ちを飛ばし、俺の襟首を掴んで事務所の奥へと乱暴に放り投げた。“引っ込んでいろ”という意味だろう。
エレベーターから降りてきた小学校高学年ほどの少年に、トドオカは優しく微笑んで明るく告げる。
「ようこそ、魑魅魍魎調伏センターへ」
魑魅魍魎調伏センター ぴのこ @sinsekai0219
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