第2話:名前を呼ばれる

 管理局と名乗る人たちは、想像していたよりも静かだった。

 武装もしていないし、声も荒げない。

 ただ、手続きだけがやけに早い。


「まずは、落ち着ける場所へ行きましょう」


 年上の女性がそう言って、俺から半歩だけ距離を取った。

 さっきまで俺を囲んでいた人たちも、自然と道を空ける。


 ――訓練されている。


 その事実に、背中が冷えた。


 建物の中は白かった。

 白い床、白い壁、白い天井。

 清潔で、安心できるはずの空間なのに、俺は椅子に座るまで息を止めていたことに気づかなかった。


「お水です」


 紙コップが置かれる。

 俺はすぐには手を伸ばさなかった。


「……飲まなくても、大丈夫です」


 そう言うと、女性は少しだけ困った顔をして、でもそれ以上勧めなかった。

 代わりに、別の質問が来る。


「お名前を、教えてもらえますか?」


 名前。


 一瞬だけ、迷った。

 ここで嘘をつく意味はあるのか。

 分からない。


 でも、嘘をつく気力もなかった。


「……柊です」


「柊、さん」


 その呼び方が、微妙に引っかかった。

 苗字だけなのに、距離が近い。


「下の名前も、よろしければ」


 視線が、俺の顔をまっすぐ捉える。

 逃げ場はない。


「……翔。

 柊 翔です」


 その瞬間、空気が変わった。


 小さく、息を呑む音。

 誰かが端末を操作する気配。

 女性は一度だけ頷いてから、柔らかい声で言った。


「柊 翔さん。

 こちらでは、あなたは“保護対象”になります」


 やっぱり、という気持ちと、最悪だ、という気持ちが同時に来た。


「……それは、どういう意味ですか」


「危険から守られる、という意味です。

 あなたは、この世界では――」


 言葉が選ばれる。

 慎重に、丁寧に。


「とても、希少です」


 希少。

 人に使う言葉じゃない。


「男女比が、極端に偏っています。

 男性は、全体の……千分の一以下」


 千分の一。

 数字を聞いた瞬間、さっきの視線の理由が、全部つながった。


 だから、あんなに近かった。

 だから、あんなに優しかった。


 理解した途端、胃の奥が気持ち悪くなる。


「ですから、生活の支援と、居場所の提供を行います。

 ご家族も、すでに手配されています」


 家族。


 その単語が、胸を殴った。


「……家族?」


「はい。

 柊さんを受け入れる家庭です」


 受け入れる。

 言い方が、どうしても制度的だ。


 俺は、無意識に拳を握っていた。


「血縁、ですか」


「いいえ。

 ですが、法的にも社会的にも、家族として扱われます」


 母の顔が、脳裏をよぎる。

 最後に見た、あの安心した表情。


 ――やめろ。


 ここで思い出すな。


「……拒否はできますか」


 自分の声が、思ったより落ち着いていて、少し驚いた。


 女性は、少しだけ黙った。

 その沈黙が、答えだった。


「完全な拒否は、難しいです」


 やっぱり。


「ですが、配慮はします。

 無理に距離を詰めることはありません」


 配慮。

 また優しい言葉だ。


 信用できない。


 ◇


 用意された家は、静かな場所にあった。

 大きすぎず、小さすぎず、生活感のある家。


 玄関の前で、俺は立ち止まった。


「……今から、会いますか」


 案内役の女性が聞く。


「はい」


 逃げても、どうせ同じだ。


 ドアが開く。


「――兄様?」


 最初に聞こえたのは、その呼び方だった。


 小柄な少女が、目を輝かせてこちらを見ている。

 年は……中学生くらいか。


「兄様! 本当に、兄様なんですね!」


 距離が、一気に縮まる。

 俺は反射的に一歩下がった。


 少女は、その動きに気づいて、ぴたりと止まった。

 そして、慌てて笑う。


「あ、ごめんなさい……

 その、急に近づいたら、怖いですよね」


 理解が早い。

 それが、逆に怖い。


「私は……妹です。

 今日から……」


 言葉を選んでいる。

 俺の反応を、ちゃんと見ている。


「……一緒に、暮らします」


 奥から、もう一人出てきた。


「無理に話さなくていいのよ」


 柔らかい声。

 年齢は、俺の母と同じくらい。


「疲れているでしょう?

 今日は、休むだけでいいから」


 その言い方。

 その距離感。


 完璧すぎる。


 ――作られている。


 そう思ってしまう自分を、止められない。


「……ありがとうございます」


 とりあえず、そう言った。


 二人は、ほっとしたように微笑んだ。

 その笑顔が、胸に刺さる。


 母も、あんなふうに笑っていた。


 俺を見て。

 安心して。


 だから――


 俺は、心の奥で、静かに線を引いた。


 この人たちは、敵じゃない。

 でも、味方でもない。


 信じない。


 名前を呼ばれても。

 家族と呼ばれても。


 柊 翔は、もう誰にも心を預けない。


 それが、生き残るための最低条件だと、

 俺は知っている。

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