栞(しおり)が落ちるまでの数秒間

佐々木ぽんず@初投稿

栞(しおり)が落ちるまでの数秒間

放課後の図書室は、凪いだ海のように静かだった。


 窓から差し込む西日が、古い本の背表紙を琥珀色に染めている。この時間、図書室に残っているのは、図書部の佐藤湊と、同じ図書部員の白鳥結衣(しらとり ゆい)の二人だけだ。

 二人は大きな閲覧机に並んで座り、新刊図書のラベル貼り作業をしていた。


 結衣は学年でも指折りの優等生で、忘れ物ひとつしない。その指先はいつも正確に、迷いなくラベルを本の背に貼り付けていく。

 ふと、佐藤は隣に座る彼女の気配が、いつもより近いことに気づいた。


 結衣が資料を確認するために体をわずかに傾けるたび、制服の袖が小さく擦れる。彼女の使う石鹸の香りが、春の風に乗ってふわりと鼻腔をくすぐった。

「……あの、佐藤くん。この本、ちょっと読んでみて」

「ん?」

 結衣が差し出してきたのは、一冊の恋愛小説だった。


 佐藤は作業の手を止め、彼女が指し示した紹介文に目をやる。

「……このお話に出てくる二人、なんだか、今の私たちに似てるなって思って」

 結衣は少し照れたように視線を落とし、ページをめくる指を止めた。


​「……似てるって、どのへんが?」

「ええと……放課後の図書室で、こうして二人だけで作業しているところ、とか。……それから」

​ 結衣の声が、少しだけ震える。


 彼女は手を伸ばし、偶然を装うように、佐藤の手に自分の指先をそっと重ねた。

 触れた皮膚から、彼女の緊張が熱となって伝わってくる。


 佐藤の心臓が、自分でも驚くほど大きく跳ねた。彼女は真面目だ。冗談でこんな距離の詰め方をするはずがない。


​「……白鳥さん」

「……佐藤くん。私、この物語の続きが、すごく気になってるの」

 結衣は重ねた手を離さず、上目遣いで佐藤を見つめた。夕日に照らされた彼女の瞳が、潤んだように光っている。

「二人はこのあと、ただの部員同士じゃいられなくなるの。お互いのことが気になって……勉強も、部活も、手についても手に付かなくなっちゃうんだって」

 それは告白に近い、精一杯の言葉だった。佐藤は、彼女の手を優しく握り返した。

​「……俺も、その続きが気になってきた。とりあえず、その本を読み終わったら教えて。俺も読みたい」

 佐藤が静かに答えると、結衣は一瞬驚いたように目を丸くし、それから春の花がほころぶような笑顔を見せた。

 その瞬間、彼女の膝の上から一枚の栞が、ひらりと床に落ちた。

 

 落ちるまでのわずか数秒間。

 二人の間に流れる時間は、どんな物語の結末よりも、甘く、温かな色に染まっていた。

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