なぜ野球の打率は「〇割〇分〇厘」なのか

床擦れ

なぜ野球の打率は「〇割〇分〇厘」なのか

 とある”元野球選手youtuber”の動画を見ていた時のこと。

「なんで、打率の表記は%じゃなくて何割何分って言うの?」

 という疑問が提示されていました。

──たしかになあ

 とは思ったものの、当時の自分は答えが出せず…

 そのまま、何か月も経ってしまいました。


 しかし、先日ですかね。

 外出し、散歩していると、ふと何かが降りてきました。

 それまでは何も考えていなかったはずなのに、突如として

──あれ、打率の表記って、こういう理由があるんじゃ?

という発想が、バシッとはまりました。


 文章にし、チャッピー(Chat GPT)に評価してもらうと

「まま、10点中7.5~8点くらいっすね」

みたいな評価をもらったので、短いですが、そこに書き込んだことを整理、改稿して、皆様にも読んでもらいたいと思ったのです。


 なんとなく、面白がってもらえれば。


──・──・──・──


 まず、野球という競技の特性を3つ上げたいと思います。


「1.各フェーズの試行回数が多い」

「2.それぞれのフェーズが独立性を持っている」

「3.各フェーズの上限が、ポイント制の競技に比べて明確に定まっていない」


 つまり

「試行回数が膨大になる独立したフェーズを、上限の明確でない中やり続ける競技」

という特性があるわけです。

 ここまでを、まず前提条件とした上で、次に選手個人間での成績比較をどうするべきか、という話題に入ってみましょう。


 「スポーツ」という物の持つ性格上、「選手間競争」は必然として現れます。

 そして、こと打率においては現在、1シーズンあたりに400回以上繰り返すこととなり、

(NPBでは規定打席をシーズン試合数*3.5とする。つまり現在は430打席程度)

百分率では表しきれません。

 となると、百分率の上限を1とした時、小数点以下3位の数値が必ず必要になります。

 つまり、百分率の「%」として表すなら、必ず「○○.〇%」という表記になります。


 ここで問題になるのが、


「視認性」

「認識阻害の可能性」

です。


 「.」が入ることにより、数字としての複雑性が増加します。

(整数に疑似させて認識できるものが”整数+.+小数点以下の数字+%という記号”と認識される)

 また、見た人にとっては「.」以降の数字が「端数」と認識されかねません。

 そうなると、どうなるかというと


「.」以下の数字を切り捨てて認識する


という現象が起きるのではないでしょうか。

 つまり


「正当な能力評価を怠る」


という事象が発生しかねません。

 ゆえに

「小数点第三位以下も、安定して整数に擬した表記にする」

ことは、人に対する認識のさせ方として必要性があると思われます。


 これに類似した事例として

「路線規格の決定で”‰(パーミル)”を使う」

というものがあると考えます。

 これも、”小数点以下第三位”を確実に認識させるためで、これが「%」とされれば

「2.8%と3.2%がともに”3%の近似値”と認識され、設計の不備につながる」

という問題をはらむ可能性があります。


 打率においても能力評価の面で、同じようなことが起こりかねません。

 だから母国アメリカでは「.〇○○」という表記が一般的になったのではないでしょうか。


 さて、ここからは日本に輸入されて以後の話に移ります。


 主に明治期の話になりますが、当時の日本では

「外来語を日本語に翻訳する」

という作業が活発化したと思われます。

 主に思想と哲学の分野で、新規の考え方と、それに付随する用語が入り込み、それを和訳していく必要性が、少なからずあったのではないか、と。

 もしそうならば、これはナショナリズム、あるいは

「舶来の概念を日本人の感性に落とし込んで昇華させたい」

という意図があり得ます。

 そしてその流行は、当時の日本で先進的であった「ベースボール」でも同様だったでしょう。


 その中で、打率の概念を表現する際


「.〇○○」


という表記を


「十進法の中で、1を上限として表現している」


と理解した訳者は、古くから日本で使われていた

「割」

以下の小数単位を使用し、表現しようとしたのではないでしょうか。

「サン、ゼロ、ゼロ」

などと言ってもよかったのでしょうが、それでは口語表現として洗練されなかったし、かつ「”下限である”という意図表示」が難しいので


「割、分、厘、ないし毛以下の単位」


に当たる言葉を、ある種の「車止め」として機能させる意図も可能性としてはあります。

 その結果として


「日本での打率表示として”〇割○分○厘”という表記が一般的になる端緒が作られ、かつ、織物などの単位として馴染みのあったこれらの単位が、日本独自の感覚への合致もあって、広まるのには時間を要さなかった」


という結果が生まれたように思えるのです。


 では以降、この表現を変化させるべきでしょうか?


 私は「する必要も、妥当性もない」と考えます。


「○○.〇%」という表記には、先にも言った障害があるし、なにより「割、分、厘」という言い方がややこしいのなら、より整数に疑似化した「〇ひゃく〇じゅう〇」という言い方があるからです。

(たとえば打率.300なら”さんびゃく”と言う)

 さらに言えば、その言い方でも

「小数点第三位以下を表すにはどうするか」

という問題がありますから、小数点以下の単位として、すでに確立されている現在の表記法は、理にかなっている、といえるのです。


──・──・──・──


 …と、いう感じなのですが。

 いけましたかね…?


 あっ、いけてない? まだいける?


 …そっかぁ

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