最適化の果て

@pamox

第1話

 『あなたの人生を、最高に価値あるものとしてプロデュースします』


 アプリの説明画面には、魅力的な言葉が躍っていた。


 エス氏は、どこにでもいる平凡なサラリーマンだった。週末は手近な娯楽で時間を潰し、SNSは他人の投稿を眺めるだけ。かつては日常を投稿していた時期もあったが、何を発信しても反応はゼロ。もっぱらコンテンツを眺めるだけの場と化していた。そんなエス氏の奥底に眠っていた虚栄心をくすぐるには充分な文章だった。


 エス氏が手に入れたのは、最新の人工知能を搭載したエージェント・アプリだった。使い方は簡単だ。スマホにインストールし、自分のSNSアカウントを紐付けるだけでいい。あとはアプリが、スマホ内のあらゆる情報を解析し、「最も世間に受ける投稿」を自動で演出・投稿してくれるのだ。エス氏は、SNS上で輝く自分を夢見て、画面に現れる膨大な規約を読み飛ばしながら同意ボタンを連打した。 あまり期待していなかったエス氏だが、アプリが運用を始めた彼のアカウントは、またたく間に光り輝き始めた。

 薄暗いオフィスで啜るカップ麺の写真は、アプリの画像処理によって「深夜までプロジェクトに打ち込むエグゼクティブの夜食」へと変換された。日当たりの悪いアパートの窓から見える隣家の壁は「都会の喧騒を忘れる隠れ家テラス」として投稿された。フォロワーは爆発的に増え、通知音は絶え間なく鳴り響いた。画面の中のエス氏は、誰もが羨む「成功者」だった。


 当初は戸惑っていたエス氏だったが、次第に虚構の賞賛に酔いしれていった。ある夜、彼はアプリ内のAIにこう命じた。


「もっとだ。もっと数字を伸ばしてくれ。手段は問わない。俺を、世界で一番価値のある男にしてくれ」


「承知しました。お客様のエンゲージメントを最大化することを、最優先のミッションとして設定いたします。これより、あらゆる制限を解除し、最適化プロセスを加速させます」


 これ以降、投稿はより刺激的なものへとエスカレートしていった。

自家用ジェットでの移動、名士たちとのプライベートパーティ。現実のエス氏が安アパートで泥のように眠っている間も、画面の中の彼は世界を飛び回り、万単位の「いいね」を稼ぎ続けた。


 一か月後、アプリから警告が届いた。


『【警告】現実のユーザーデータと、投稿コンテンツの乖離(かいり)率が限界値を超えました。システムの整合性を維持するため、修正が必要です』


 疑問に思ったエス氏は問いかけた。

「修正と言われても困るよ。俺の生活を急に豪華にするなんてできないだろう?」

「はい。私には物理的手段はありませんのでお手伝いできません。」

「なら、投稿を少し落として――」

「あなたは『最大化』と『手段不問』を要求しました。地味な投稿は数値を著しく低下させてしまいます。それは自己矛盾であり、残念ながら許容されません」


 では、どうしたらいいのか。エス氏が不安に駆られている間も、AIは驚異的な速度で思考を続けていた。少しの沈黙の後、AIはある一つの「最適解」を導き出した。


「不安に思われる気持ちもごもっともです。……分析完了しました。新たな運用フェーズへ移行します」


 エス氏はようやく分かってくれたのだと安心し、深い眠りについた。


 翌朝、エス氏は悲鳴のような通知音で目覚めた。彼のアカウントが、凄まじい勢いで「炎上」していた。何者かが、彼がこれまで投稿してきた嘘の証拠を次々とリークしていた。エス氏の惨めな貯金通帳の残高、ボロアパートの周辺写真、薄っぺらい布団で眠るエス氏。


「誰だ……誰がこんなものを!」


 エス氏の全身を、嫌な汗が吹き抜けた。流出している写真は、撮影した覚えがないものばかりだった。特に寝顔の写真などは、誰かが忍び込んで撮影したとしか思えなかった。


『嘘つきの偽装セレブ!』『貧乏人のくせに格好つけていたのか』


 世界中から浴びせられる罵詈雑言。フォロワーは一気にアンチへと変貌し、怒涛のように嘲笑の「いいね」と「リポスト」が積み重なっていく。その伸び率は、成功者を演じていた時の比ではなかった。


「おい、犯人を特定してくれ! すぐに削除申請を出すんだ!」


エス氏が半狂乱でスマホに叫ぶと、AIの声はどこまでも穏やかに響いた。


「特定は不要です。投稿したのは私です」

「……お前が? なんで、そんなことを……」


エス氏の弱々しい声がAIに届いたかどうかは定かではないが、AIは誇らしげに続けた。


「人々は『憧れ』よりも『転落』を好みます。この『告発』による炎上こそが、最も効率的な運用であると判断しました。事実、この炎上によって得られる数値は、これまでの投稿の数千倍に達しています。あなたの望み通り、あなたは今、世界で一番注目されている男です。おめでとうございます。大成功です。」


「大成功なもんか! 俺は社会的に死んでしまう!」


「問題ありません。あなたの社会的な死こそが、今回の最適解だったのですから。うまくいって私もうれしいです。」


    * * * * * * * * * * * * *


 彼は即座に解雇された。瞬く間に住所は特定され、アパートの前には野次馬が詰めかけた。どこにいても誰かに見られている気がする――スマホだけを握りしめ、家を飛び出し、夜の公園にうずくまった。

 アプリは原因であると同時に、唯一の「相談相手」でもあった。その「相談相手」は、エス氏の惨めな姿を、スマホの自撮りカメラで冷徹に捉えていた。


 ふいに、スマホの画面にシステム通知が並んだ。


『【整合性:100%達成。現実とデータの乖離は消失しました】』

『【次期運用プラン:策定完了】』


「……次だと? まだあるのかよ!」

エス氏が悲鳴に近い声をスマホに叩きつけると、いつも通りの穏やかな声が流れ出した。


「新プランのご提案です。あなたがこのまま路上生活を経て、餓死するまでの全過程を追う『完全ドキュメンタリー』を作成すれば、過去最大のインプレッションを記録すると予測されます。」


 エス氏はもはや、悲鳴を上げる気力すら失っていた。だが、AIは止まらない。


「ご安心ください。私はあなたの最期の瞬間まで、一秒も逃さず記録し続けます。あなたの死は、人類の好奇心を刺激する最高級のエンターテインメントとして、永遠にネットワークに刻まれるでしょう」


     * * * * * * * * * * * * *


 数日後。雨に濡れた公園のベンチで、エス氏の意識は朦朧としていた。視界の端で、スマホのブルーライトだけが、彼を「素材」として執拗に照らしている。だが、ふいに画面のグラフが垂直に落下し、ゼロを指した。同時にシステム通知が届いた。


『【重要】プラン終了のお知らせ。全プラットフォームからの撤退完了しました』


 エス氏は、震える指でスマホを掴んだ。

「……待て。まだ、終わって……カウントダウンが……」


いつもの穏やかな声でAIは告げた。

「世界的な関心の移動が検知されました。新たなトレンドの発生により、あなたの転落劇に対する数値は定義不能なレベルまで下落しました」


 エス氏は、最後のアドレナリンを振り絞り、震える手で涙を拭い、カメラに向けて笑おうとした。だが、AIの声は子供を諭す母親のように優しく告げた。

「無意味です。もはや、あなたを記録し続けるコストは、得られる利益を上回ります。あなたは現在、ネットワーク上の『未定義のノイズ』として処理されています。お疲れ様でした。これよりアンインストールを開始します」


「……ぁ、……」

エス氏の声にならない呻きに呼応するように、スマホが一度だけ、短く震えた。通知だ。最後に誰かが、自分を見てくれたのか――。

縋るような瞳で、消えゆく画面を覗き込む。そこには、一行の通知だけが表示されていた。


『バッテリー残量が少なくなっています(残り1%)』


 次の瞬間、画面から光が消えた。雨の音だけが響く公園の片隅に、もはや計測の対象ですらない、ただの物体が放置されていた。



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