御用心、御用心
明日和 鰊
御用心、御用心
「この歳になると正月なんて、また死に近づいた気がして、めでたいとも思わなくなっちまったな」
カウンターに座る、目の前の常連客の中年男がコップ酒をすすりながら、私にではなく一人言のように、何も無い空間に向かって呟く。
「そうですね」
私も拭いているコップに目を向けながら、小さく呟いた。
この男も日常に、長く続いて欲しい幸せがないのだろう。
達観ではなく諦めが、未来の希望を想像することに拒絶反応を示していた。
男は時間をかけて最後のコップ酒を飲みほすと、小銭ばかりで代金を支払って帰っていった。
「御用心、御用心」という声が外から聞こえてきたのは、男が戸を開けたタイミングであった。
「またテメえか!!!やめろっ、縁起でもねぇな」
呂律の回っていない舌で、男が声の主に向かって怒鳴っている。
しかし一向に止まない、「御用心、御用心」という声に、男が段々とヒートアップしていることが私にもわかった。
さすがに止めに入ろうと店の外へ出ると、思わず息を呑んだ。
ボロボロの服を着た老人が
「お客さん、落ち着いて。あんたも、そんな不気味なもん抱えて店の前で座り込まれたら営業妨害だ、どっか行ってくれ」
しかし私を無視して、老人は見透かしたような目で男の顔をのぞき込むと、にやりと笑う。
「御用心、御用心」
「このっ、くそじじい」
私は、男が手を上げようとするのをなんとか宥めて、帰らせた。
「なあじいさん、正月早々から警察沙汰に巻き込まれるのはゴメンなんだ。店で酒を一杯飲ませてやるから、飲んだらさっさと家にでも帰ってくれ」
「わしは物乞いではない、が酒を奢りたいというのなら飲んでやらん事もない」
はじめて「御用心、御用心」という言葉以外を喋ると、老人はすくっと立ち上がり、店の中に入っていった。
図々しくも、老人はカウンター席に座ると、「特上のを頼むぞ、肴は干物で良い」と言い放った。
私が安い日本酒を取り出すと、あからさまに不満そうな顔をして、「ケチな奴じゃ」と文句を言った。
しかし、溢れるようになみなみとつがれた酒を前に、その顔には笑みがこぼれていた。
「じいさん、たかりみたいな真似はもうやめとけよ、次は警察呼ぶからな」
老人は、私が出してやったポテトサラダをつまみながら、チビチビと酒をすすっている。
「小僧、おぬしは今、自分が生きていると言えるか」
「何だ、いきなり」
「さっきの男もそうじゃ。死を恐れてはいるが、生に喜びを感じているとは到底言えまい」
「じいさん、あんた説教坊主か?だったら、なおさらあんな情けない真似すんなよ」
「この骨はな、あの男の頭蓋骨じゃ」
老人はいつの間にか椅子に置かれた
「あんたいい加減にしろよ、そんなもん椅子に置いて。あの客の骨?あんまりふざけるとさすがに叩き出すぞ」
「わしはあの男を迎えに来たんじゃよ。あの男には、別れた女房も子供もある。残り少ない時間を大切に使えと、教えてやったつもりだったんじゃがな」
老人は、にんじんを残して全てたいらげると、骨を抱えて立ち上がった。
テーブルにぶつけたのか、
「小僧、馳走になった。礼として一つ説教してやろう」
老人がにんまりと笑うと、そのしわくちゃの顔がさらに形をなくした。
「人はいつ死ぬかわからん、そう考えて常に悔いなく生きる事が、何より人間らしい生き方じゃ。まあ欲の尽きぬ今の世では、それが最も難しい事かもしれんがな」
「食事の礼が、昔からよく聞くカビ臭い説教かよ」
「不服か?なら、おぬしの番が回ってきたら、わしが迎えに来てやると約束しよう」
老人が戸を開けると、外ではパトカーや救急車のサイレンが、けたたましく鳴っていた。
「御用心、御用心」
老人が店を出ると、入れ替わるように近所の酒屋の店主が飛び込んできた。
「おい、交差点で事故だ。轢かれたのは、」
私が話を
すぐに老人を探しに通りに出たが、その姿を見つける事は結局出来なかった。
以来、私は自分の死期を知る事を恐れ、なにかを持った老人を見ぬようにろくに外出も出来なくなってしまった。
御用心、御用心 明日和 鰊 @riosuto32
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