安直なハッピーエンドは嫌い
雀野ひな
安直なハッピーエンドは嫌い
彼女とは、友人の紹介で出会った。
目鼻立ちは整っていて、おまけにすらっとしていて顔の小さい、モデルみたいに綺麗な人。けれど、そういう人にありがちなツンツンした態度は一切なくて、とても親しみやすい笑顔の持ち主だった。
一目惚れをしたぼくは、彼女をカフェに誘った。彼女は快く承諾してくれて、おすすめのカフェを提案してくれた。
「
思い切ってぼくがそう言うと、彼女はまず顔を赤らめ、それからどこか申し訳なさそうに俯いた。
「いえ、そんな。わたしなんて、なんの苦労も知らずに生きて来た人間ですから……」
「それは、とてもいいことじゃないですか」
彼女は目線を落としたまま、コーヒーをティースプーンでくるくるとかき混ぜた。確か砂糖もミルクも入れていなかったと思うが、きっと癖なのだろう。
「そうかもしれません。でも……わたし、思うんです」
顔を上げた彼女は、一度ぼくと目を合わせたあと、窓の外へと視線を移した。
「普通の幸せしか知らない人は、きっと、人間としての深みがない」
そう言う彼女の横顔は、なんとも言い難い愁いを帯びていて、とても美しかった。
一週間後、ぼくは彼女を映画に誘った。少し小さめの、趣のある映画館を選んだ。
大型ショッピングモールの映画館しか訪れたことのなかった彼女は、興味深そうに館内を見回していた。どこか幼くも見えるその姿を、ぼくはとても可愛らしいと思った。
ドリンクとポップコーンを購入し、チケットに書かれた番号をよく見ながら席に着いた。それほど有名な映画館ではないので、小さな劇場ながらも空席は多い。早めにチケットを購入したぼくたちは、スタッフに最も見やすいと勧められた、中央から二列後ろの席を選ぶことができた。
上映前の宣伝や禁止行為の説明が終わると、劇場はますます暗くなった。そこで、右隣の彼女はぼくの耳元に口を寄せた。
「楽しみですね」
声を出さず、ほとんど吐息のように伝わったその言葉は、妙に色っぽく聞こえた。
奇跡のような出会いをした男女が、互いに惹かれながらも様々な試練に阻まれ、けれど最後はやっぱり結ばれる。そういう、言わばありきたりなラブロマンスだった。
意外さの有無で言えば特段面白いものではなかったが、この映画に決めた時点で予想はついていたし、二度目のデートとしてはこれくらい無難なものでちょうどいいと思った。
「映画、よかったですね」
先週と同じカフェで、ぼくは彼女に言った。このカフェは彼女の行きつけらしく、ディナーまでの時間をまたここで過ごしたいとのことだった。
彼女は少し間をあけて、それから頷いた。
「ええ、楽しかったです。でも……」
「でも?」
ぼくは少し不安になって、顔を覗き込むようにする。デートだからとラブロマンスとは、安全に選びすぎただろうか。彼女は、少し困ったような表情を浮かべた。
「わたし、ハッピーエンドってあんまり好きじゃないんです。……いや、違うか。安直なハッピーエンドが、好きじゃないんです。
だってあの作品、主役の二人にいくつか試練を与えて、それを乗り越えさせさえすれば感動的になるだろうって。そういう制作側の安直な考えがまるっきり見えてたじゃないですか」
こんなに饒舌になる彼女を、ぼくは初めて見た。ぼくは落ち込むあまり、がっくりと肩を落とした。
「すみません……ぼくがあんな映画を選んだばかりに」
うなだれるぼくを見て、彼女は慌てて胸の前で両手を大きく振った。
「いえ、違うんです! 映画はその、好きな感じではなかったですけど……でも、わたしも見たいと思ってましたし。
それに、楽しかったのは本当です。
そう頰を赤らめる彼女は、やっぱり可愛かった。
ほどなくして、ぼくたちは交際を始めた。交際は驚くほど順調に進み、同棲もするようになった。
彼女の料理は最高だった。特に、スープは格別だった。美味しいのはもちろんだけど、バリエーションが豊富で、何より心の底から温かくなる感じがした。
彼女と彼女のスープを飲むと、ぼくらは心から繋がっているのだ、ぼくらは二人で一つなのだと、不思議とそんなことさえ思えてしまった。
もちろん、完璧に見えた彼女が実は片づけが苦手だったり、仕事前はとてもバタバタしていたりと、想像と違う姿もたくさん目にした。それでもなお、ぼくの彼女に対する愛情は変わらないままだった。きっと彼女の方もそうだったと思う。
交際から一年、同棲から半年。ぼくは例のカフェで、話を切り出した。
「ぼくは幸さんと、これから先もずっとずっと、一緒にいたい。だから……ぼくと結婚してください」
ぼくは小さな箱を取り出し、それを開けて見せた。中にあるのは、婚約指輪。
カフェでプロポーズなんて、と思われるかもしれない。けれど、彼女は安直なハッピーエンドは嫌いなのだ。高級レストランやホテルでプロポーズなんていうのは、きっとありきたりすぎる。かと言って、家でというのはロマンがなさすぎる。
悩みに悩んだ挙句、ぼくが出した答えは、このカフェだった。
「ありがとう。嬉しいわ」
そう言って幸さんは優しい微笑みを浮かべた。だから、ぼくはてっきり、ここで受け入れてもらえるものだと思った。
「でも、ごめんなさい。少しだけ考えさせてほしいの」
ぼくは落胆した。きっと、選択を間違えたのだ。カフェでプロポーズなんて、するんじゃなかった。
「嬉しいのは本当よ。それに、隆さんが悩みに悩んでこのカフェを選んでくれたことは、ちゃんと分かってるから。だからこそ、考えさせてほしいの。
……そうね。今日はこのあと、別行動しましょう。帰るまでに、きっと結論を出すわ」
そう言って、彼女は席を立った。一人残されたぼくは、放心状態だった。
カフェを出たぼくは、一直線に家に帰った。彼女は帰っていなかった。気が気でなくて、何も手に付かない。ぼくはソファに埋もれるように倒れ込んだ。
夜十時になっても、彼女は帰って来なかった。心配になって連絡しようとしたが、やめた。
きっと断られるのだ。それで、断ってから一緒の家で寝るのは気まずいし、かと言って一度帰って来たのにまた出かけるわけにもいかないから、一旦ホテルにでも泊まるに違いないのだ。
ぼくは何も食べることができないまま、いっそのこともう寝てしまおうと思った。寝て覚めたら、全部夢だったかもしれない。
そんなわけはないけれど、彼女と出会ったことまでも夢だったなんていうのは嫌だけど、でも、今日の出来事だけは、どうか夢であってほしいと思った。
その時、玄関がガチャリと開く音がした。ぼくは急いで玄関へ向かった。相変わらず凛と背筋を伸ばして、彼女は立っていた。
「幸さんっ!」
ぼくは彼女に抱き着いた。どさり、と音がして、彼女が重い袋を持っていて、それを落としたのだと気づいた。
ぼくは彼女を抱きしめたまま、言った。
「もう帰ってこないかと……」
「何言ってるの。帰って来るに決まってるじゃない。……それより聞かないの、返事」
ぼくははっとして、彼女から身体を離した。それから、ごくりと息を飲む。
「……結婚、してくれますか」
彼女はじっとぼくを見つめる。それから、にこりと笑った。
「ええ。わたしも、隆さんと一緒になりたい」
ぼくは彼女に飛びついた。声にならない喜びだった。どれだけ抱きしめても足りないくらい、彼女が愛おしかった。
「隆さん。苦しい、苦しいよ」
「ごめん、はは。ごめん。あー」
嬉しさのあまり、ぼくはよく分からない謝り方をしながら、腕を緩めた。
「ねえ、隆さん。何か忘れてない?」
その言葉に、ぼくはまたはっとする。まったく、ぐだぐだなプロポーズにもほどがある。
ぼくはポケットから箱を取り出し、中から指輪を取り出す。それから、彼女の細くて美しい左の薬指に、そっとはめた。
そうでないと困るのだが、綺麗にぴったりとはまる。
「隆さん、大好きよ」
彼女は微笑む。
ああ。この世にこんな可愛い生きものがいるなんて、そんな人がぼくと一緒になってくれるだなんて。本当に信じられない。
「ぼくも大好きだよ、幸さん」
ぼくらはもう一度抱き合って、それからキスをした。そうやって、玄関であることも忘れ、しばらくいちゃこらしていた。
いや、本当に三十近くにもなって恥ずかしいことではあるが、誰も見ていないのだから許してほしい。
「ねえ、隆さん。隆さんのもあるんでしょう?」
「ああ、指輪かい? もちろんあるよ」
ぼくは、反対側のポケットから自分の指輪を取り出す。こいつの出番があって、本当によかった。
「わたしが着けてあげるわ」
そう言って、彼女はぼくの左手をとる。お揃いの指輪を光らせて、ぼくらは微笑み合った。
突然、ぐう、と音がした。最初、ぼくのお腹が鳴ったのだと思った。でも違った。彼女の方だ。
「ごめんなさい。わたし、まだご飯食べていなくって」
彼女は顔を赤くしてはにかむ。
「ぼくもだよ。何か頼もうか?」
「ううん、大丈夫。今から、簡単に作ろうと思ってて」
「ああ、そっか!」
ぼくは彼女の持って帰って来た袋を手に、ダイニングへ向かった。中に入っているのは食材に違いないと思ったからだ。
テーブルに袋を置いて、ぼくは違和感を覚えた。
確かに中身のほとんどは食材だった。しかし、その中にノコギリが入っていたのだ。
「ねえ。ノコギリって、何に使うんだい?」
ぼくは彼女が背後にいると思い、訊ねる。彼女は洗面台で手を洗っているようで、少し遠くから返事が聞こえた。
「スープ作りに使うの。ほら、具材が揃ってるでしょう?」
キャベツ、玉ねぎ、しめじ、牛乳……確かに揃っている。クリームスープだろうか。
だが、スープ作りのどこにノコギリを使うのか想像がつかないし、ノコギリを使っているのなんて見たことがない。
それに。
「ベーコンか鶏肉って、冷蔵庫に残ってるんだっけー?」
大きめの声で言いながらぼくが振り向くと、彼女がちょうどダイニングに入って来たところだった。
「ううん。なかったと思う」
「じゃあ買い忘れてるよ。ぼくが今から買って来ようか? ベーコンならコンビニで売ってる気がするし」
ぼくが行こうとすると、彼女が袖を掴んだ。
「大丈夫よ。わたしに任せて。ちゃんと、おいしいの作るから」
新メニュー、ということだろうか。肉なしのスープというのは少し物足りない気もするが、彼女が言うのなら間違いはないだろう。
「隆さん。悪いんだけど、牛乳を冷蔵庫に入れておいてくれない?」
そう言いながら、彼女はキッチンに入った。
キッチンに行くのなら、そのときに牛乳も持って冷蔵庫に入れればよかったのでは? そう思ったが、別に構わない。
ぼくは牛乳を手に、冷蔵庫の前に立つ。
冷蔵庫はほとんど空だった。こんなに空いているのなら、スープ以外の食材も買っておいた方がよかった気がする。
まあいい。明日にでも、彼女と買いに行けばいいのだ。
「牛乳って、右の扉のところでいいんだっけ」
「うん、そう」
彼女の返事を聞いて、ぼくは牛乳を扉のポケットに入れる。そして扉を閉めたところで、背後に温もりを感じた。
初め、また抱きしめられたのだと思った。感じたのは確かに人のぬくもりだった。
けれど、それにしては接地面が少ない。それに、背中の一点だけが妙に熱い。
「隆さん、これで一緒になれるね。愛してるわ」
彼女の声が聞こえる。
――ぼくもだよ。
答えようとするが、声にならない。ぼくはそのまま、意識を失った。
***
安直なハッピーエンドは嫌い。
だからわたしは、すぐに返事をすることができなかった。
「ぼくは幸さんと、これから先もずっとずっと、一緒にいたい。だから……ぼくと結婚してください」
彼はとても素敵な人だった。真面目で誠実で、自信なさげなところはあるけれど、そんな謙虚さも魅力の一つだと思っていた。
わたしのことも、とても愛してくれた。特に言葉にするタイプだったわけではないけれど、日頃から十分にそれが伝わっていた。
もちろんわたしも、心の底から彼を愛している。
だからこそ、ここですんなりとプロポーズを受け入れて、結ばれるわけにはいかなかった。
だって、わたしと彼は特別なのだ。こんなありきたりに、平穏に、ハッピーエンドを迎えてはいけない。
プロポーズを保留したあと、わたしはホームセンターへ向かった。
二駅電車に乗って、大きな店を選んだ。目当ての売り場に行くと、驚くほどの種類のノコギリが並んでいた。
悩みに悩み、切れ味が良さそうで、かつ、わたしにも扱いやすそうなものを選んだ。わたしには似合わないのか、それともノコギリだけを買う客が珍しいのか、レジでは店員にじろじろと見られた。
その後は、しばらくラブホテルで時間を潰した。別にどこでもよかったのだけれど、ノコギリを持ったままフラフラすると不審者に思われそうだった。
すぐに帰らなかったのは、彼を焦らすためだった。すぐに返事をしてしまっては意味がない。
クライマックスは、空が暗ければ暗い方がいい。
夜九時過ぎ、わたしはホテルを出た。電車に乗って、彼との家の最寄駅で降りる。
近所の、夜十時まで開いているスーパーに寄る。閉店まであまり時間はないけれど、惣菜以外のものは大抵残っている。
今夜の料理はスープと決まっているが、種類までは決めていなかった。
今日は特別な日なのだ。きちんと悩んで決めたかった。わたしは彼を思い浮かべる。真面目で、誠実で、優しくて、一途。そんな彼に合うスープは何だろう。
閉店間際までスーパーをぐるぐる回り、クリームスープに決めた。
帰宅すると、彼は死にそうな顔をしてわたしを出迎えた。
こんなにもわたしを愛してくれているのかと思うと、心の底から愛おしくなった。力いっぱいのハグも、ぴったりの指輪も、激しくて優しいキスも、その全てがわたしたちの愛に拍車をかけた。
彼が食材を運んでくれたので、わたしは洗面台に向かった。一度指輪を外し、手を念入りに洗う。
鏡に映るわたしは、世界で一番嬉しそうだった。プロポーズが嬉しかったのはもちろんのこと。でも、一番の理由は別のところにあった。
――そう。これから、わたしと彼は一緒になるの。
綺麗に洗った手に、もう一度指輪をはめる。本当に、とっても綺麗な指輪だった。
わたしは彼のもとへ行く。彼と会話をしながら、キッチンへと向かう。彼はわたしに頼まれるまま、冷蔵庫の前に立つ。わたしに背を向けている。
わたしは両手で包丁を握る。胸の前に構える。そのまま、彼に駆け寄る。
全身が熱くなる。頬が緩む。息が荒くなる。そう、これだ。これが、これこそが。
わたしと彼の、最高のハッピーエンドだ。
スープが出来上がったのは、夜が明けた頃。夜ご飯のつもりだったのに、朝ごはんになってしまった。
わたしは、白くてとろみのあるスープを口にする。なめらかで、まろやかで、それでいてコクがあって。
「絶品。最高のスープだわ」
そう。これは、わたしと彼で作った、この世で一番のスープ。彼の味がする、唯一無二のスープ。
「まだまだ彼は残ってる。冷蔵庫に入れられる大きさにするのはもっともっと時間がいるけれど、でも、きっとちゃんと、全部わたしが食べるの」
わたしはスープをのむ。心の底から、温まる味。
わたしと彼が繋がっていると思える味。
「これで、わたしと彼は一つになれた」
わたしはスープを口に含み、キッチンに向かう。
真っ赤に染まった彼が、寝転がっている。わたしはそのまま、彼に被さる。
右手を絡める。彼の指輪が、少し引っかかる。絡める手のない左手は、彼の右頬に当てた。
そして、わたしたちは熱いキスをする。彼の舌は、鉄の味がする。それを、わたしのスープ味で包んであげる。
「ねえ、隆さん。おいしくできたでしょう?」
安直なハッピーエンドは嫌い。だけど、ハッピーエンドは嫌いじゃない。
だから、わたしはこのハッピーエンドを選んだの。
安直なハッピーエンドは嫌い 雀野ひな @tera31nosuke
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