放課後

百壁ネロ

放課後

 学校では放課後がある場合とない場合があり、だいたい七十パーセントの確率で放課後はなかった。校内は放課後があったほうがいい派となくてもいい派とどっちでもいい派と高話田先生派に分かれており、どっちでもいい派が圧倒的な議席数で校権を握っていた。パッと死神を頭に思い描いてほしいが、高話田先生はそれを七倍に引き伸ばしたような姿をしており物理を担当している。教科ではなくこの世の物理そのものだ。校権についての詳しい説明は資料の三ページ目に書いてある。

「今日は、今日だけは、ぜっっっったい放課後がないと困る!」

 例津さんが息を荒げながら言った。校内で一番息が荒がない空間として有名な白室にいながらこれだけ息が荒がるというのはかなりのもので、白室でなければ息が荒がりすぎて破裂している可能性が高い。というのも、例津さんはバイオリズム的に今日は部活がしたくてしたくてしょうがなかったのだ。彼女は軽音部だが軽音楽部ではなく気軽に音出す部の略で、軽音楽部は音楽部と呼ばれる。「はくしつ」と読み、校舎九階西側の外壁に付随する一メートル四方の立方体状の空間だ。気づいたらあった。

「でも放課後は、橋ネクタリン先生次第だよ」

 消竹さんは、なかば諦めるような口調で言った。彼女はこの世に生まれた瞬間からほとんどすべてのことを諦めていて、唯一諦めていないのは踊る肉屋さんになるという小さな、だけど愛らしい夢だけだった。正夢である。消竹さんは例津さんの前方人間で、背後霊のちょうど逆なので常に例津さんの目の前にいる。

 この時点で負けているが、負けじと例津さんは言う。

「じゃあさ、橋ネクタリン先生、脅そうよ。あといっつも前にいるの邪魔なんだよお前」

「邪魔だよね、ごめんね」

 二人はゆっくりと和解し、橋ネクタリン先生の待つ職員室へと元気いっぱいで向かった。前述のとおり学校の職員室は地平線の遙か向こうにあるが、歩いて行くと途方もないのでタクシーで行ったらわりとすぐだった。この出来事をきっかけに例津さんはタクシーを太陽神として信仰するようになる。

「先生! 橋ネクタリン先生!」

 職員室に例津さんの声が響き渡る。彼女がここまで大声を出すのには理由があった。声帯が体から独立して巨大なパンケーキ状の節足動物となりご当地キャラクターとして意欲的に活動をし始めたのだ。つまり例津さんは名声と引き替えに名声帯を失ったことになり、そこに寓話性が集約されていた。

「出てこい、橋ネクタリン先生!」

 消竹さんが叫ぶ。それはもはや絶叫だった。これにはさすがの橋ネクタリン先生も出てこざるを得まい。消竹さんは相変わらず例津さんと抱き合わんばかりの距離ですぐ目の前におりタクシーに乗るとき狭くてちょっと大変だった。

「出てこいって、言ってますよ」

 入り口付近に座る音村先生が呼びかける。前述のとおり音村先生は真っ黄色なダックスフントで、生徒人気は高いが保護者からは好かれていない。犬だからだし、犬は人間より愚かしいと思われているからだ。実際、愚かしくも可愛らしく、誰よりも生徒思いだった。数学を担当している。学校には数学教師が五人しかいないというのに、犬だ。

 さて、それからだいたい七分から八分が過ぎ、橋ネクタリン先生が柱の陰から出てきた。七分二十二秒だと思う。

「どうしました?」

 橋ネクタリン先生が尋ねると、例津さんと消竹さんが我先にと先生の前へ躍り出た。消竹さんが常に例津さんの前にいるので、先生と例津さんで消竹さんを挟むような状態を思い浮かべてもらえばそれがいつも正しい。気になる例津さんの声帯は町内会主催の夏祭りで皆を大いに盛り上げる役目があるのでトコトコと出て行った。例津さんはもう喋れない。夏はすぐそこだ。

「今日は、放課後が絶対欲しいんです、って話なんです」

 消竹さんが声帯が発する予定だった内容を代弁すると、それに返事するかのように、橋ネクタリン先生の左まぶた上方に設置された豆電球がチカチカチカと激しい点滅を始めた。曲が終わったときに豆電球の光がついていれば放課後あり、光がついていなければ放課後なしという、楽しい決め方だった。曲は鎮魂歌である。

 時は、静かに流れた。

 教師たちが歌う鎮魂歌は、職員室を優しく包み込み、柔らかな風に乗って、地平線の遙か先にある、あの校舎へと、堅牢なる我らの学び舎へと、確かに届くだろう。

 職員室には柱は一本しかなくて、すごく細い。

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