第7話 沈黙の傑作を紡ぐ者

【数年後】


 リチャード・ストーンは、スタジオの最高幹部(エグゼクティブ・プロデューサー)の席に座っていた。


 彼の広大なオフィスの壁、その一等地に、あの大ヒット作『アリア』が受賞した数々の黄金の像が並んでいる。

 そして、その隣。同じくらい高価な額縁に収められているのは、最新の「D&I(多様性と包括性)進捗報告書」だった。


 リチャードにとって、その二つは完全に同価値だった。


 彼は、今や業界の権威だった。「D&I要件を完璧に満たしながら、興行的な成功を収める『ハイブリッド企画』の立役者」として。


 彼にとって、アダム・ハリソンの才能は、もはや「脅威」でも「天才」でもない。

 それは、システムを円滑に動かすための「調整可能でコスト効率の良いインフラ(社会基盤)」だった。


 今日も、彼は新しい「旗」を見つけては、そのインフラに接続し、傑作をライン生産している。


     *


 同じ頃。

 とある独立系映画祭の、小さな会場の片隅。


 イザベル・ロドリゲスは、質疑応答のパネルに立っていた。


 彼女は、自身の純粋なメッセージを込めた低予算のインディーズ作品を制作し続けていた。彼女の「声」は、あの頃よりも鋭く、切実だった。


 しかし、彼女の脚本は、相変わらず「構成力」に致命的な弱さを抱えており、商業的な注目を浴びることは二度となかった。


 観客の一人が、無邪気に質問を投げかける。


「ロドリゲス監督にとって、デビュー作『アリア』はどんな作品ですか?」


 イザベルは、マイクを握りしめた。

 指先が白くなる。


 彼女は今も、あの傑作を「自分の作品ではない」と感じながら、真実を語れない地獄を生きている。


「……あれは……」


 喉が張り付く。


「私の、原点です」


 そう答えるのが、精一杯だった。


     *


 アダム・ハリソンは、都心の高級高層アパートの一室にいた。


 かつての荒んだアパートとは比較にならない、清潔で、機能的な空間。

 彼はここを「影のオフィス」と呼んでいた。


 500万ドルの報酬と、その後もリチャードから途切れなく発注される改稿作業によって、彼の生活は完全に安定していた。

 床にビール缶が転がることも、家賃に怯えることもない。


 彼は、もう「名誉」を求めていなかった。

 業界の賞賛も、スポットライトも、自分のものではないととっくに諦めている。


 彼は、純粋な「プロフェッショナル」へと変貌していた。

 自分の才能を、高額な報酬と引き換えに、完璧な「製品」として納品する職人。


 彼が今求めているのは、ただ二つ。

 生活の糧としての「金」と、最高の物語を完璧な形に組み上げる「創作の喜び」だけだった。


     *


 深夜。影のオフィス。


 アダムは、リチャードに送るための改稿ファイルの最終確認をしていた。


 それは、また別の「旗」が書いた、情熱的だが構造が破綻した初期稿を、アダムが完璧な構成美を持つ傑作へと書き換えたものだった。


 彼は、送信ボタンを押す前に、静かに目を閉じた。


(世界は僕を『不適格な白人男性』と規定した)

(システムは僕から『名前』を奪った)

(だが、僕から『最高の物語を紡ぐ才能』を奪うことは、誰にもできなかった)

(この傑作は、誰の名前で世に出ようと、僕の血と肉だ)


 カチッ、とエンターキーを押す。


 ファイルは送信され、これで一日の仕事は終わった。


 アダムは椅子から立ち上がり、窓の外に広がるハリウッドの街の光を見つめた。

 それは、彼が浴びることを許されない、まばゆいばかりの「虚構の栄光」の光だった。


 彼はその光に背を向け、デスクに戻る。


 そこには、リチャードから届いたばかりの、次の仕事が置かれていた。

 また別の、新しい「旗」が書いた、熱量だけの初期稿。


 アダムはそれを手に取る。


 その表情は、疲弊でも、屈辱でもなかった。

 ただ、「まだ最高の物語を創れる」という、プロの職人だけが宿す、静かな情熱に満ちていた。


 名誉を放棄し、巨額の報酬と引き換えに影に隠れた天才は、今日も、世界が熱狂する「虚構の正義」の物語を、ただ一人、紡ぎ続けている。


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『D&I要件で不適格となった天才脚本家は、白人男性の汚名を着ながら、影で$500万ドルの傑作を書き上げる。』 品川太朗 @sinagawa

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