第2話:あるはずのない贈り物

登場人物:

・山本遥(やまもと はるか)……長女。東京で一人暮らしをしている社会人。

・山本智也(やまもと ともや)……長男。地元で営業職。既婚だがこの日は一人で来ている。

・山本千佳(やまもと ちか)……次女。大学二年生。実家暮らし。

・山本徹(やまもと とおる)……母の弟。子どもたちの叔父。独身。

・山本佳代(やまもと かよ)……去年十二月に亡くなった母。


一月二日、山本家のリビングにはこたつと、仏壇だけがやけに新しかった。


黒々とした位牌の前に、小さな鏡餅とみかんが二つ。写真立ての中で、佳代が少し気まずそうに笑っている。去年の秋、温泉に行ったときに撮ったものだと千佳は覚えていた。


「……ほんとに、今年は年賀状、一枚も出してないんだよね?」


こたつの向こう側で、遥がマグカップを両手で包みながら言った。黒いセーターの袖口を、指先でぐいぐい引っ張っている。


「喪中だからなあ。出したほうがいいって言う人もいるけどさ」


智也が、みかんの皮をきれいに剥きながら答えた。剥き終わった皮が、花びらのように広がって皿のようにも見える。


「うちはいいよ。お母さん、年賀状書くのもらうのも、どっちも好きだったからさ。どっちにしても文句言わないでしょ」


千佳は、仏壇の前に置かれた小さな花瓶をのぞきこんだ。白い菊の花びらが、少し茶色くなっている。今日の帰りにでも、新しいのを買ってこようと思う。


「それにしても、二日に集まるのって、ちょっと変な感じだね」


遥が笑う。


「去年まで、お母さんが言ってたじゃん。『うちは二日からが正月本番なんだから』って。元旦はお父さんが仕事でいなかったから、その名残だよ」


そう言ったのは智也だったが、「そうそう」と先にうなずいたのは徹だった。


「佳代はな、俺にも言ってたよ。

『二日は親にも子にも、だらだらしてていい日なの』って。だから俺も、仕事断ってきたんだぞ」


徹はそう言って、わざとらしく肩をすくめた。


壁の時計は、十時半を少し過ぎていた。外から、郵便バイクのエンジン音が近づいては遠ざかっていく。正月二日の朝としては、いつもと変わらない音だ。


「ねえ、今年はさ、みんなでお母さんに新年の挨拶、書かない?」


千佳が立ち上がり、仏壇横の小さな机から白いカードを四枚取り出した。文具店のバイトでもらった、おまけのメッセージカードだ。


「こういうの、去年までお母さんがやってたじゃん。“お母さんは今年もみんなの味方です”とか書いてさ」


「言ってた言ってた」


遥が少し笑って、ボールペンを受け取る。


仏壇の前に小さな板を置き、三人と徹は順番にカードに向かった。


遥の字は、細くて右に傾いている。行の終わりで、少しだけしりもちをつく癖がある。

智也の字は、大きくて角張っていて、ところどころインクが濃く滲む。

千佳の字は丸っこく、記号みたいで、時々ハートを混ぜたくなるのをこらえている。

徹の字は、癖のない教科書通りだが、ところどころ漢字を間違えては自分で笑っていた。


書き終わったカードを並べて、千佳は満足そうにうなずいた。


「よし、これでお母さんも正月って感じするでしょ」


そのとき、玄関のチャイムが鳴った。


「郵便でーす」


千佳が廊下を走って玄関に向かうと、赤いキャップの郵便配達員が、厚めの束を差し出した。赤いゴムでまとめられた年賀状たちの角が、少し湿っている。


「ありがとうございます」


受け取ってリビングに戻ると、遙が身を乗り出した。


「うわ、けっこう来てるじゃん。喪中って出してなくても、向こうは知らないもんね」


「後で一枚一枚、喪中のはがき出さなきゃな」


智也がため息をつきつつも、こたつの上に束を置いた。


親戚から、友達から、会社から。差出人を確認しながら、一枚ずつテーブルに広げていく。その中に、一枚だけ、見慣れた苗字があった。


「……山本、佳代?」


千佳の声が、途中で切れた。


差出人の欄には、確かに「山本佳代」と書いてある。送り先は「山本家御一同様」。宛名の字は、細く右に傾いていて、行の終わりで少しだけ腰を落とす。その癖に、千佳は不思議と親近感を感じた。


「冗談、でしょ」


智也がそれを手に取り、裏返す。そこには、青いインクで短い文が書かれていた。


『今年も二日の朝から、だらだらしてるみんなが目に浮かびます。

ちゃんとごはんを食べて、いっぱい笑って、好きなだけ泣いたら、

それでチャラにしてあげます。

——お母さんより』


読み上げるうちに、智也の声が少し震えた。


「……お母さんの、字だよね」


遥が小さくつぶやく。指先が、カードの端をかすかに震わせていた。


「消印、見てみろよ」


徹が言った。消印には、「1.1 山本」とある。昨日の元旦の朝、ここからそう遠くない郵便局で処理されたことを示していた。


「お母さん、亡くなったの、十二月二十日だよね」


千佳が、仏壇の位牌に目をやる。そこには「令和六年十二月二十日 享年五十七」と刻まれている。


「じゃあ、これは……生きてる間に用意して、誰かに出してもらう約束してたとか?」


智也の言葉に、徹が首を横に振った。


「違うな。入院したとき、佳代、『今年はまだ年賀状ぜんぜん書いてないのよ』って言ってた。病室で俺、はっきり聞いたからさ」


「じゃあ……誰かが、お母さんの名前で、あとから書いて、出したってこと?」


千佳は、カードのメッセージをもう一度読み返した。


『好きなだけ泣いたら、それでチャラにしてあげます。』


この言い回しには、妙な既視感があった。けれど思い出そうとすると、すべるように記憶の端から逃げていく。


「まさか、葬儀屋さんとか、そういうサービス?」


遥が、冗談めかして言う。だが誰も笑わない。


「差出人の住所、うちのだしな。葬儀屋がわざわざポスト投函してくれるとは思えん」


智也が眉をひそめた。


部屋の空気が、少しずつ冷たくなっていくように感じた。


誰かが、お母さんの字を真似て。

お母さんの名前で、お母さんの言いそうな言葉を書いて。

一月二日に、ここに届くように出した。


「そういえばさ」


ふと、千佳は口を開いた。


「この年賀状、紙、ちょっと違わない? コンビニのじゃなくて、文房具屋で売ってるやつ。ほら、端っこに小さい桜の透かし入ってる」


遥がカードを光に透かしてみる。


「あ、本当だ。これ、東京でも売ってた。限定柄って書いてあったやつ」


「俺は知らんぞ、そんなの」


智也が肩をすくめる。


「でも、紙なんて誰でも買えるだろ。問題は……誰が出したかだ」


徹が、こたつの上に肘をついて、組んだ指に顎を乗せた。


「元旦の朝に消印ってことは、前の日までにポスト入れてたってことでしょ?」


千佳が、指折り数え始める。


「三十一日は、大掃除してたよね。遥ちゃん、お母さんの部屋、かなり長いこと片づけてたじゃない」


徹が何気なく言うと、遥は少し肩をすくめた。


「衣装ケースの中、ごちゃごちゃだったからさ。……別に、変なものは出てこなかったよ」


「そのあと、夕方に俺が買い出しに出たろ。スーパーとドラッグストア。途中でポストの前、ちょうど通るんだよなあ」


智也が言うと、千佳が「怪しい」と笑ってみせる。


「夜は、みんなで紅白見て、そのあと除夜の鐘の音だけ聞いて寝たじゃん。あ、私だけ、ちょっと外出た。友達から電話来たから、外でしゃべってた」


千佳はそう付け加えた。外に出れば、道の角に赤いポストがある。その気になれば、誰でも封書を入れられる。


「元旦の朝は?」


「俺は嫁の実家に顔出してから来たから、ここに着いたの昼過ぎ。ポストの前は通ったけど、特に見てないな」


智也が答える。


「私はずっとここにいたよ。千佳と二人でテレビ見て、昼寝してた」


遥が言うと、千佳もうなずいた。


「叔父さんは?」


「俺は昨日は仕事だったからな。夕方に、仏壇に手合わせにちょっと寄っただけ。ポストは……通り過ぎたけど、そもそも年賀状出す相手がいないよ」


誰もが、それなりに「できたかもしれない」し、「やらなかったと言い張ることもできる」状況だった。


テーブルの上には、母からの年賀状がぽつんと一枚、取り残されている。


「ねえ」


千佳は、カードの文面を指先でなぞりながら言った。


「『今年も二日の朝から、だらだらしてるみんなが目に浮かびます』って、お母さん、よく言ってたよね」


「うん」


遥が小さくうなずく。


「二日はさ、みんなが家にいる日だからって。だから、今年も二日に集まろうって、遥が言い出したんじゃん」


「だって、そのほうが……お母さん、喜ぶかなって思って」


遥は下を向いた。黒いセーターの袖口を、また指で引き伸ばしている。


「『好きなだけ泣いたら、それでチャラにしてあげます』ってさ」


智也が、メッセージの最後の一文を指さした。


「これ、お母さん、言ってたっけ?」


「さあ……どうだろ。似たようなことは、言いそうだけど」


徹が首をかしげる。


千佳は、胸の奥が少し痛くなった。


十二月二十日の夜。

集中治療室の前の長いすで、三人は順番に眠り、起きては、くだらないことで言い合いをした。

「誰がもっと早く病院に連れてきた」とか、「誰が仕事を優先した」とか。

あのときもし母が聞いていたら、なんて言っただろう。


『好きなだけ泣いたら、それでチャラにしてあげます。』


それは、あの夜、自分たちの誰かが口にした言葉に、よく似ている気がした。


窓の外では、どこか遠くで子どもの笑い声がした。お年玉をもらったのだろうか。


こたつの上には、親戚や友人から届いた、色とりどりの年賀状たち。

その中に一枚だけ紛れ込んだ、死んだはずの人からの挨拶状。


それを投函したのは、ここにいる誰かなのか。

それとも、本当に——。


千佳は、母の写真と年賀状を交互に見つめた。


写真の中の母は、湯上がりで頬を赤くしている。隣にいたはずの誰かを思い出そうとしても、湯気みたいに記憶がほどけていく。


「……ねえ」


千佳は、兄と姉と叔父の顔を順番に見た。


「お母さんの年賀状、誰が出したんだと思う? そして、どうしてわざわざ『一月二日』に、うちに届くようにしたんだと思う?」


―――


■前回の設定と回答

犯人は父。

息子が好きで、工場の後を継いでほしかった父。

地元に戻ってきてほしかっただけなのに、地元の友人より東京からの年賀状が多すぎて、このままだと息子は東京から帰ってこないと思い込んでしまった。

東京からの年賀状さえなければ、地元の縁を信じて戻ってきてくれるに違い無いと勝手に思って行った犯行。



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【10分で読める】"My Story" is mystery.【あなたの身近にある話】 @tosi_tokimura

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