【10分で読める】"My Story" is mystery.【あなたの身近にある話】

@tosi_tokimura

第1話:捨てられた年賀状

登場人物

中村亮(なかむら りょう/27歳・東京で一人暮らしの会社員・語り手)

中村修(なかむら おさむ/亮の父・58歳・町工場経営)

中村久美子(なかむら くみこ/亮の母・56歳・パート勤務)

中村遥(なかむら はるか/亮の姉・30歳・既婚で別居)

山岸彩(やまぎし あや/亮の幼なじみ・27歳・地元在住) 


――――

今年も、玄関のポストをがさりと鳴らしたのは父だった。


 元旦の朝、まだ薄暗い七時前。亮は二階の客間の布団でごろりと寝返りを打ちながら、階段を上り下りする父の足音を聞いていた。昔から、元日の郵便は父の役目だ。新聞と年賀状を抱えて「おーい、いっぱい来てるぞ」と誇らしげに居間へ運ぶのが、彼の小さな儀式だった。


 階段のきしむ音のあと、一階から父の声がした。


「久美子ー、遥ー。今年も結構来てるぞ。……亮には、あんまり来てないみたいだがな」


 亮はそこで目が覚めた。昨夜は父に「また三年も顔を見せないなんて…」とブツブツ言われた後眠りについたせいか、スッキリしない目覚めだった。それに追い打ちをかけるように布団の中で、じわりと胸が痛む。確かに五年前に東京に出てから、地元の友だちと会う機会は減った。会社の同僚とは主にSNSで済ませてしまう。紙の年賀状は、たしかに少なくなっていた。


 それでも、ゼロということはないはずだ、と亮は自分に言い聞かせる。


 朝食のあと、家族揃って居間のコタツに足を突っ込むと、例年通り、コルクボードがテーブルの脇に持ち出された。茶色いボードには家族の名前が書かれた小さな紙が四つ、画びょうで止められている。〈父〉〈母〉〈遥〉〈亮〉。それぞれの下に、その人あての年賀状が並べて貼られていく。


 父は嬉々として仕分けを始めた。宛名を確認しては、几帳面に縦を揃えてピンで留めていく。その手つきは、工場で部品を組み立てるときよりも丁寧なくらいだ。


「お、佐伯さんとこからも来てるぞ。去年、葬式のあとも律儀だなあ」


 父のスペースには、すでに十枚近くが並んでいた。母のところにも、パート先の同僚からのカードが色とりどりに増えていく。遥は結婚式に来てくれた友人たちからの写真入りの年賀状を見つけては、「わあ、子ども生まれてる」と声を上げていた。


「亮のは?」と、母がコタツの向かいからのぞき込む。


「今見てる」と父は答えたが、その声にはどこか含みがあった。


 少しして、父の手が止まる。宛名を一通一通確かめているのがわかる。やがて、父はボードの前から離れて、コタツに戻ってきた。


「……亮宛ては、少ないな」


 父はそう言って、新聞を手に取った。何気ないふうを装っていたが、亮はその言葉をやけに強く覚えている。「少ない」と言い切るには、少し早すぎる気がしたからだ。


「最近は、みんなLINEで済ませちゃうもんね」と母が慌てて言い訳するように笑う。


「そうそう、私だってグループトークで送ったよ」と遥も亮の肩を叩いた。「彩ちゃんからも、来てたでしょ?」


「うん、夜中にメッセージあった」


 たしかに山岸彩からは、午前零時ちょうどにスタンプ付きの「あけましておめでとう」が届いていた。スマホの画面に光るその一行を見て、亮は少し救われた気持ちになった。


 結局、コルクボードの〈亮〉の下が、地元の友達のものが数枚張られただけだった。


「来年は、あっちでできた友だちにもちゃんと住所聞いときなさいよ」と母が言う。


「まあ、年賀状なんて東京じゃ今どき流行らんさ」と父は新聞の陰から知ったようにに言った。


「誰も出しちゃいないよ」


 その「誰も」という言い切りに、亮はふと違和感を覚えたが、言葉にはしなかった。


     ◆


 昼過ぎには、遥の夫が挨拶に来て、家の中はいっそう賑やかになった。テレビでは箱根駅伝が流れ、母は台所でおせちの残りをアレンジした料理を作っている。父はビールを片手に、何度目かの同じ区間のリプレイに「遅いなあ」などと文句を言っていた。


 亮はスマホをいじりながら、なんとなく落ち着かない。大学の同級生のグループチャットには、楽しげな写真が次々と流れてくる。初詣の鳥居、初売りの行列、子どもの笑顔。誰も、亮の実家のコタツのことは知らない。


 夕方近く、冷たい空気を吸いたくなって、亮は外に出た。裏庭の先にある小さな車庫には、父の軽トラックと工具の棚、そして年末の大掃除で出た紙ゴミの袋がいくつか積まれている。


 ふと、そのうちのひとつの袋の中身が目に留まった。透明のポリ袋の中、コンビニのチラシや広告の裏に、年賀状のような白い長方形が何枚か混じっている。郵便番号の赤い枠が、ちらりと見えた。


 亮は思わずしゃがみ込み、袋の口の固結びに手をかけた。きゅっと固く結ばれた、見慣れた結び目だ。父はいつも、ゴミ袋を必要以上にきつく縛る癖がある。


 力を込めて結び目を解くと、紙の匂いがふっと広がった。袋の中から取り出した何枚かのハガキには、見覚えのある字が並んでいた。


 〈中村亮様〉


 そう、自分の名前だ。大学の友人、前のバイト先の先輩、高校時代の部活仲間。差出人の住所も名前も、ちゃんと書かれている。切手には、郵便局の消印が押されていた。今年の干支の、小さなスタンプ。


 亮は、一枚、また一枚とめくっていった。どのカードにも、「久しぶり」「元気にしてる?」「今度飲もう」といった、温かい言葉が綴られている。そのどれもが、コルクボードには貼られていなかった。


 代わりに、ゴミ袋の底に、まとめて放り込まれていた。


 背筋に冷たいものが走った。なぜ、自分あての年賀状だけが、こんなところに――。


 袋を抱えて居間に戻ると、家族はちょうどテレビのチャンネルを変えていたところだった。父はコタツの端でうたた寝をしており、新聞が胸の上に落ちている。


「ちょっと、これ……」


 亮が袋の中から何枚かのハガキを取り出してテーブルに置くと、母と遥の表情が一瞬で変わった。


「えっ、亮あてじゃない。こんなに来てたの?」と遥が目を丸くする。


「ちょっと、どういうこと?」と母はコルクボードとハガキを交互に見比べた。「亮、さっきまで本当にゼロだったじゃない」


 父が目を覚ました。眠そうな顔で状況を把握しようとし、テーブルの上のハガキに視線を落とす。そのとき、ほんの一瞬だけ、彼の肩がぴくりと揺れたように亮には見えた。


「それ、どこにあったんだ」と父が低い声で問う。


「車庫のゴミ袋の中」と亮は答える。「ほかのチラシと一緒に、縛って捨ててあった」


 父は口をへの字に結んだ。視線はハガキから離れない。


「誰がそんなことを……」と母がつぶやく。「私でも遥でもないわよ。亮だって、自分の年賀状を捨てるわけないし」


「私、さっき来たばっかりだし」と遥も首を振る。「ねえ、お父さん?」


 父は、ほんの少しだけ顔をそむけた。テレビでは、お笑い芸人の笑い声が賑やかに響いている。それとは裏腹に、居間の空気は重く沈んだ。


 亮は、指先に残るゴミ袋の固い結び目の感触を思い出していた。小さいころ、遠足の前日に父が作ってくれた弁当のビニール袋もしっかりと固結びされていて、なかなか開けられなかったことを。ゴミ出しの朝、父が玄関先で袋の口をぎゅっと締めていた背中を。


 思えば、ポストを最初に開けたのも、年賀状を数えたのも、コルクボードの前に立っていたのも、父だけだった。

 東京へ行く前の冬、父は酔った勢いでぽつりと言ったことがある。

「お前がいなくなると、家が広く感じるだろうな。正月も、静かになるかもしれん」

 あれは冗談だったのか、本音だったのか。亮は答えないまま、笑ってごまかした。

 今、目の前のハガキの束は、亮がどれだけ人と繋がっているかを静かに物語っている。少なくとも、「誰も出しちゃいない」なんてことはなかった。


 亮は一枚のハガキを手に取り、裏面の写真を眺めた。雪山の上で、友人たちが笑っている。柔らかくピースサインを掲げる彩の姿もそこにあった。


 スマホが震えた。画面には彩からのメッセージが表示される。


〈年賀状、届いた? ポスト間違えてないか不安で〉


 亮はしばらくその文字を見つめ、それからゆっくり顔を上げた。コタツの向こう、新聞を握りしめたまま固まっている父の横顔が目に入る。母と遥は、不安そうにその顔色をうかがっていた。


 誰が、いつ、何のために、亮あての年賀状だけをゴミ袋に捨てたのか。


 元旦の静かな居間で、亮はようやく、その答えに思い至り始めていた――あなたは、どう考えるだろうか。

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