第10話:星を編む者たち
第10話:星を編む者たち
あの日から、一年が経った。
大田区の町工場には、今日も初夏の風が吹き抜けている。かつて魔法騎士団の猛攻で焼け焦げた壁は塗り直され、そこには「アークエッジ・スペース」という控えめな看板が誇らしげに掲げられていた。
「おい、社長! ボサッとしてんじゃねえぞ。今日は祝いだろ!」
ゲンさんの野太い声が工場内に響く。作業台の上には、いつものレンチや半田ごてではなく、大きな木皿に盛られた煮付けや、恵が買ってきた新鮮な刺身が並んでいた。
福代は、工場の隅にあるモニターを見つめていた。画面には、かつて「魔法の淀み」に覆われていた宇宙の、今の姿が映し出されている。そこには、一万機を超える超小型衛星が、緻密に編まれた絹の糸のように連なり、静かに地球を包んでいた。
「……綺麗ですね」
恵が、冷えたビールを福代の机に置きながら、そっと画面を覗き込んだ。 「一年前は、あの一機が落ちたら終わりだと思っていました。でも今は、あの子たちが空にあるのが、水道や電気と同じ『当たり前』になりましたね」
「ああ。特別なことじゃないんだ」 福代は、液晶の微かな熱を指先に感じながら答えた。 「誰か一人の英雄が空を救ったんじゃない。ゲンさんがネジを締め、アルがコードを書き、恵さんが計算した……その積み重ねが、あの星たちなんだ」
「社長、見てよこれ!」 アルが興奮した様子でタブレットを突き出してきた。 「アフリカの山奥の診療所から、手術成功の報告だ。僕たちの衛星網を通したリモート診断のおかげだってさ。……九条の魔法じゃ、一回三千万円請求されるようなデータ通信が、今じゃほぼ無料だぜ。これこそが、僕たちの勝ち(Win)だよな」
アルの眼鏡の奥の瞳が、少年のように輝いている。 かつて丸の内の議事堂で「ゴミ」と嘲笑された鉄の箱たちは、今や世界中の「境界(エッジ)」で、命を繋ぐ絆へと姿を変えていた。
福代は、一人で工場の外に出た。 多摩川の堤防をなでる風が、潮の香りを運んでくる。 夜空を見上げると、そこにはかつてのような不自然に強い魔法の光はなかった。代わりに、淡く、けれど確かな銀色の粒たちが、等間隔に、規則正しく瞬いている。
「……セラ。聴こえるか」
胸ポケットの通信機に手を当てる。 一瞬の静寂の後、耳の奥に、鈴を転がすような澄んだ声が響いた。
『……ええ、福代。聴こえているわ。……今、月からも、地球の周りに輝く「新しい星座」が見える』
「新しい星座か。いい名前だね」
『あなたの言った通りになったわね。宇宙は、もう怖い場所でも、遠い場所でもない。……あなたが放った星たちが、私の孤独を消してくれたの』
福代は、月から届くその声に、深い安堵を感じた。 かつてコンサルタントとして数字だけを追っていた自分には、この「心の震え」を計算する数式は持っていなかった。
「セラ、僕たちの仕事はこれからだ。衛星は一万機を越えたけれど、まだ繋がっていない場所がある。お箸を並べるように、一膳ずつ、一軒ずつ、丁寧に宇宙を届けていくつもりだ」
『……ふふ。お箸ね。……福代、私の分のお箸も、いつかそのテーブルに並べてくれる?』
「ああ。……もちろんだ。その日が来るまで、僕たちは星を編み続けるよ」
「社長ー! 飯が冷めるぞー!」
ゲンさんの怒鳴り声が聞こえ、福代は苦笑しながら工場へと戻った。 中に入ると、大きなテーブルを囲んで、不揃いな九人の仲間たちが、賑やかに椅子を引いていた。
「ほら、社長の分」 恵が、一膳のお箸を福代の前に置いた。
そのテーブルには、ちょうど九膳のお箸が並んでいた。 かつて、誰が休むか、誰が責任を取るかで揉めていた「家族」のような、不器用で、けれど温かい集団。
「……よし。それじゃあ」
福代は、一年前のあの日、丸の内の議事堂でたった一人で戦っていた自分を思い出した。あの時、自分の手の中にあったのは絶望だけだった。けれど今は、この温かい木のテーブルと、空に浮かぶ一万の家族がいる。
「いただきます!」
九人の声が重なり、工場の天井へと抜けていく。 それは奇跡の呪文よりも力強く、宇宙のどんな咆哮よりも確かな、未来への約束だった。
夜空では、アークエッジの衛星たちが、今日も一秒に数万回の通信を繰り返し、誰かの「ありがとう」をどこかへ届けている。
宇宙は、もう特別な場所じゃない。 それは、九膳のお箸を並べるのと同じくらい、当たり前で、愛おしい、私たちの日常になったのだ。
(完)
『アークエッジ・クロニクル 〜星を編む者たち〜』 春秋花壇 @mai5000jp
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