第9話:ラスト・カウントダウン
第9話:ラスト・カウントダウン
「……無茶だなんて、言われなくても分かっています」
大田区の町工場、その中央に鎮座するのは、これまで打ち上げてきた衛星とは比較にならないほど巨大で、そして不格好な有人実験機『エッジ・ストライカー』だった。 福代は、耐圧スーツに身を包み、ハッチの前に立っていた。鼻腔を突くのは、真新しい金属の匂いと、冷却材の化学的な香り。そして、背後で鳴り響くプレスの重低音。
「社長、本気かよ。月面の汚染体が暴走を始めて、九条の魔法結界すら突き破りそうなんだ。今、宇宙に上がるのは、自分からシュレッダーに飛び込むようなもんだぜ!」
ゲンさんが、震える手でレンチを握りしめ、福代の肩を掴んだ。 「あんたは計算の天才だが、操縦は素人だ。死にに行くようなもんだ!」
「ゲンさん、だからこそ僕が行くんです」 福代は、穏やかに、けれど鋼のような決意を込めて言った。 「汚染体の核を叩くには、セラの魔法海図と、僕たちの演算機を、現地の魔圧の中で直接同期させる必要がある。ラグ(遅延)のある地上からの操作じゃ、一億分の一秒の『最適解』を逃してしまう」
「……あいつ、行かせるしかないよ、ゲンさん」 アルが、血走った目でモニターの最終チェックをしながら呟いた。 「月面から漏れ出した魔力汚染が、高度百キロの『境界(エッジ)』で渦を巻いてる。科学の論理と魔法の狂気がぶつかり合うあそこは、今、この世で最も不確実な場所だ。……あそこに飛び込んで、その中間に『答え』を見出せるのは、この狂った社長しかいない」
恵が、震える指でヘルメットを福代に渡した。 「……生きて戻ってください。まだ、今月の経費精算、終わってませんから」 「ああ、約束する。……セラ、聴こえるか」
通信機の向こうで、月面の爆音とともにセラの悲鳴に近い声が届く。 『……福代、来ないで……汚染体が……私を、食べようとしている……! 九条院の魔法が、怪物の餌になって、手が付けられない……!』
「今、助けに行く。……カウントダウンを開始しろ!」
轟音。 かつてない重力が、福代の全身をシートに押し付けた。 視界が真っ赤に染まり、肺の中の空気が無理やり押し出される。 「……ガッ……ハ……ッ!」 高度五十キロ。大気が薄くなり、宇宙の闇が迫る。 だが、そこにあるのは静寂ではなかった。
「社長! 高度八十キロ突破! 前方に超高濃度の魔力汚染雲を確認! 船体の魔法耐性が限界だ!」 アルの悲鳴が無線から響く。
窓の外は、地獄のような光景だった。 月の裏側から溢れ出した赤黒い汚染体が、オーロラのような不気味な光を放ち、大気圏の最上層を浸食している。魔法のエネルギーが、物理法則を捻じ曲げ、宇宙船の計器を狂わせていく。
「……計算しろ……考えるんだ……!」 福代は、意識が朦朧とする中で、かつてコンサルタント時代に数千の企業の再建案を練り上げた時のように、脳をフル回転させた。 (魔圧の波長は〇・五四……対する物理的衝撃波は一・二二……。相反する二つの力を、ぶつけ合うんじゃない。……重ねるんだ!)
「アル! 船体の磁場シールドを、汚染体の魔力周波数に『わざと』同調させろ!」
「正気か!? 汚染を自分から取り込むつもりかよ!」
「いいからやれ! 魔法は『感情』だ。科学は『論理』だ。……感情の揺らぎを、論理のグラフに閉じ込める。……今だ!」
福代の指が、荒れ狂うGの中で、正確にコンソールを叩いた。 船体の表面を、赤黒い汚染体の触手が舐める。 しかし、その瞬間に福代が放った「中和計算コード」が、魔法のエネルギーを物理的な「推力」へと変換した。
「……通った!」 ゲンさんの叫び声。
実験機は、汚染体の渦を切り裂き、宇宙のエッジへと到達した。 そこには、地球の青と、宇宙の黒、そして月を覆う赤黒い闇が交錯する、世界の終わりと始まりの場所があった。
福代は、眼下に広がる月を見つめた。 汚染体の中心で、一点だけ、透明な青い光が明滅している。 セラの観測所だ。
「……セラ、見えたぞ。君の光が」
『……福代……? 信じられない……魔法も持たないあなたが、どうしてここへ……』
「魔法が足りないなら、論理で埋める。論理が届かないなら、君への情熱で飛び越える。……セラ、君の海図を、僕の脳に直接流し込んでくれ。九条院にはできなかった『魔法と科学の融合点』を、今ここで証明する!」
福代は、シートベルトを外した。 無重力の中、彼は浮かび上がる。 船内の酸素が薄くなり、四肢が痺れるような感覚。 だが、セラの意識が流れ込んできた瞬間、彼の視界は、全宇宙の数式と、全宇宙の感情が織りなす、完璧な「真理」に到達した。
(ここだ……。魔法の不確定性と、物理の確定性。そのエッジにある、たった一点の特異点……!)
「九条院! 見ているか!」 福代は、通信の向こう側にいるであろう、失脚寸前の独裁者に吠えた。 「お前が捨てたゴミは、ゴミじゃなかった! それは、世界を新しく編み直すための、最後の『糸』だったんだ!」
実験機の先端から、純粋な青い光が放たれた。 それは魔法でもなく、ただのレーザーでもない。 「正しい位置に、正しいエネルギーを置く」という、福代が人生をかけて磨き上げた「最適解」の輝き。
光が汚染体の核心を貫いた。 一瞬の静寂。 そして、月の裏側を覆っていた赤黒い霧が、粉々に砕け散り、宇宙の塵となって消えていった。
『……ああ……綺麗……』 セラの、涙に濡れた声が響く。
福代は、激しい虚脱感に襲われ、コクピットの床に沈み込んだ。 ヘルメットのシールド越しに、地球の縁(エッジ)から太陽が昇るのが見えた。
「……チェックメイトだ、九条院」
「社長! 大丈夫か!? 生きてるか!」 アルとゲンさんの、怒号のような歓喜の声がヘッドフォンを震わせる。
福代は、震える手でマイクを握った。 「……ああ。……お箸は……九膳、並びそうかな」
「並ぶどころか、特盛りの飯を用意して待ってるぜ!」
宇宙のエッジで、男は一人、笑った。 魔法という名の奇跡が終わり、科学という名の不器用な誠実さが、ついに神の領域を、人間の手に取り戻した瞬間だった。
次は最終回、第10話「星を編む者たち」。宇宙の民主化が成し遂げられた後の、福代とセラ、そして町工場の「九人の食卓」を描きます。
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