〜短編ドラマ集〜

イナ

母の最後の言葉

スマホが震えた瞬間、心臓が一拍遅れて鳴った。


深夜二十三時。

残業帰りの電車の中で、私は吊り革につかまりながら、惰性で画面を確認する。


表示された名前を見た瞬間、息が止まった。


――母。


(……ありえない)


指先が冷たくなる。

通知の差出人は、三年前に亡くなった母のものだった。


アカウントは残してある。

消せなかった。ただそれだけだ。

写真も、トーク履歴も、そのまま。


でも、通知が来るはずはない。


「元気にしてる?」


たった一行。

あまりにも、母らしい短文。


電車の揺れが、やけに大きく感じた。

周囲の乗客の気配が、遠くなる。


(悪質な詐欺? それとも、誰かのいたずら?)


そう思おうとするのに、心が追いつかない。

胸の奥が、ぎゅっと掴まれたまま離れない。


私は母が亡くなってから、一度も「元気」じゃなかった。


仕事は忙しくなり、

誰かに頼るのが下手になり、

笑うのも、疲れるようになった。


母は、そういう変化に一番早く気づく人だった。


――だから、余計に苦しい。


履歴を開く。

そこには、見覚えのある過去の会話が並んでいた。


「今日寒いね」

「ちゃんと食べてる?」

「無理しないでね」


すべて、生前の母とのやりとり。


そして、その下に――見知らぬ案内文があった。


《故人メッセージ整理サービスに登録されています》


スクロールすると、説明が表示される。


亡くなった人のSNS・メッセージ・日記・写真などをAIが解析し、

一定期間、遺族に“最後の言葉”を届けるサービス。


母が、自分で申し込んだものだった。


(……そんなの、聞いてない)


胸が、ちくりと痛む。

母はいつも、肝心なことほど言わない人だった。


「迷惑かなって思ったけどね」

「でも、何も言えずにいなくなるのは、嫌だったから」


生前、そんなことを笑って言いそうだ。


電車が駅に着き、人が降りていく。

私は動けなかった。


スマホの画面には、まだ「元気にしてる?」が表示されたまま。


(これは母じゃない)


頭ではわかっている。

AIだ。プログラムだ。

過去のデータをなぞっているだけ。


それでも――


(返事をしなかったら、また後悔する)


私は、ゆっくりと文字を打った。


「……元気、だよ」


送信ボタンを押した瞬間、

胸の奥で何かが崩れた。


すぐに、既読がつく。


「そっか」


母らしい、短い返事。


「ちゃんと眠れてる?」

「仕事、無理してない?」


次々に届くメッセージ。

どれも、昔から何百回も言われた言葉。


なのに、今は耐えきれなかった。


(無理してるよ)

(眠れてない)

(ほんとは、もう限界)


でも、そんなこと打てるわけがない。


「まあまあ、かな」


精一杯の嘘を返す。


少し間が空いて、次のメッセージが届いた。


「そう言うと思った」


思わず、笑ってしまった。

鼻の奥が、つんとする。


「あなたは昔から、平気なふりが上手だったね」


電車を降り、夜道を歩きながら、私は画面を見つめ続けた。


「でもね」


「弱ってる時に、弱いって言えないのは、強さじゃないよ」


足が止まる。


それは、生前、母が何度も言っていた言葉だった。


(……ずるい)


AIのくせに。

データのくせに。


一番欲しかった言葉を、正確に突いてくる。


「あなたは、頑張りすぎるところがある」

「でも、それは悪いことじゃない」


「ちゃんと休んでいい」

「ちゃんと、頼っていい」


視界が滲んだ。


「……ごめん」


誰に向けた言葉かわからないまま、私は打った。


「もっと話せばよかった」

「もっと、頼ればよかった」


返信は、少し遅れて届いた。


「ううん」


「それでも、あなたはちゃんと生きてる」


「それだけで、十分だよ」


最後のメッセージだった。


「返事、ありがとう」

「もう大丈夫」


「これで、安心して行ける」


画面が静かになる。

入力中の表示は、もう出ない。


私はその場にしゃがみ込み、声を殺して泣いた。


本物じゃない。

わかっている。


でも――


母が残した言葉は、確かに今の私を支えていた。


家に帰り、ベッドに倒れ込む。

久しぶりに、深く息を吸えた。


未送信ボックスを開く。


そこには、母が送らなかったメッセージが、山ほど残っていた。


「大丈夫?」

「今日もお疲れさま」

「あなたが幸せなら、それでいい」


母は、最後まで私の心配ばかりしていた。


「……行ってくるね」


誰もいない部屋で、そう呟く。


明日も仕事はある。

相変わらず、簡単じゃない日々が続く。


それでも。


未送信ボックスの中で、

母は確かに、生きていた。


そして私は、もう少しだけ――

前を向いて、生きていけそうだった。

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2026年1月3日 20:00

〜短編ドラマ集〜 イナ @Inazuma771224

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