第6話 やはり薬師に思いを伝えたい
街の鐘が遠くで鳴り、人々が家路を急ぐ頃。
太陽が沈みかけ、街全体が赤く染まり始めていた。
丘の上は風がよく通り、草の匂いと土の温かさが混ざり合う。
空高くで鳥が鳴き、街の喧騒はここまで届かない。
街を一望できる思い出の丘は、二人で初めて訪れた時と同じように、何も変わらない。
胸の奥で固めたはずの覚悟が、まだ落ち着かずにざわついている。
今日こそ、伝える。
腰の新しい剣が、夕陽を受けて鈍く光った。
その重みが、決意を確かめるように静かに存在を主張している。
「ビッ君、来たよ?」
振り返ると、ミーナが小走りで駆け上がってくる。
頬が少し赤いのは、夕陽のせいか。
「こんなところに呼び出すなんて、珍しいね。……どうしたの?」
ミーナは首をかしげ、息を整えながらビックスの隣に立つ。
その距離が近いだけで、ビックスの心臓は跳ねた。
「いや……その、話があって」
「話?」
ミーナは不安と期待が入り混じった目で見上げてくる。
その視線に、ビックスは一瞬だけ言葉を失った。
夕陽が沈み、丘の影がゆっくりと伸びていく。
風が二人の間を通り抜け、草がさわりと揺れた。
――今言わなければ、きっと後悔する。
ビックスは深く息を吸い、ミーナの方へ向き直った。
「ミーナ……俺は、お前に伝えたいことがある」
その瞬間、沈みかけた陽が雲間から差し込み、丘の先が淡く照らされた。
ミーナの瞳は、まっすぐに俺を見つめていた。
「ミーナ……」
名前を呼んだだけで、喉がひどく乾いた。
けれど、もう逃げるわけにはいかない。
「ずっと……言えなかったんだけど、俺は……お前のことが、好きだ」
言葉にした瞬間、胸のざわつきが一気に静まっていくのが分かった。
まるで、長い間握りしめていたものをようやく手放せたような感覚だった。
「……えっ」
ミーナは一瞬、息を呑んだように目を見開いた。
その小さな声が、夕暮れの静けさに溶けていく。
頬がみるみる赤くなって、視線が揺れた。
「ビッ君……い、今の……ほんとに……?」
言葉が追いついていない。けれど、逃げようとしない。
むしろ、俺の方へ一歩ずつ、ゆっくりと近づいてくる。
「わ、私……ずっと……ビッ君のこと……好きだったよ」
ミーナは、ぎゅっと握りしめていた両手をそっとほどき、そのまま体がふわりと俺に飛び込んできた。
「うれしい……ほんとに……よろしくお願いします」
「わっ……!」
不意を突かれて、思わず足が半歩下がる。
細い腕が俺の背中に回って、ぎゅっと抱きしめられた。
ミーナの温もりが、じんわり伝わってくる。
こんなふうに抱きしめられる日が来るなんて、思ってもみなかった。
胸の奥が熱くなり、息が詰まる。
……嬉しい。
けれど同時に、胸のどこかがきゅっと痛んだ。
俺の告白は、まだ終わりじゃない。
「ミーナ」
抱きしめられたまま、そっと名を呼ぶ。
ミーナが顔を上げ、潤んだ瞳で俺を見つめた。
「……ビッ君?」
その表情があまりにも幸せそうで、胸が締めつけられる。
「ミーナ……お前を――追放する」
「……えっ」
ミーナの腕の力が、ふっと抜けた。
さっきまで寄り添っていた温もりが、急速に離れていく。
「ちょ、ちょっと待って……今、なんて……?」
声は震えていて、理解が追いついていないのが分かる。
「だから……ミーナを、パーティーから外す。もう危険な場所には――」
「はああああああああああああっ!?」
丘に響くほどの大声。
ミーナの顔が、さっきとは別の意味で真っ赤になった。
「なんで!? なんでそうなるの!?」
怒りが一気に噴き上がる。
「告白して! 私がOKして! なんで追放なの!?」
「いや、その……俺たち付き合うんだろ? それに冒険は危険だし――」
「誰がそんなこと言ったのよ!!」
ミーナの声が、怒りでわずかに震えた。
その目じりには、うっすら涙がにじんでいた。
「……あの約束はウソだったの?」
怒りの奥に、悲しみが混じる。
「約束? およめさんになるってやつじゃ……」
「そっちじゃないよ!」
ミーナは唇を噛み、涙をこらえるように顔を上げた。
「“ずっと一緒にいよう”って……ビッ君が言ったの!」
その瞬間、視界がふっと揺れた。
――カスミ草の向こうで、幼いミーナが笑っていた記憶。
拙い手作りの花冠。
その下から見上げてくる、あの無邪気な瞳。
『あたし、ぜったいにびっくんの、およめさんになる!』
『いいぜ! ずっと――ずっといっしょにいような! 約束だ!』
記憶が、胸の奥で鮮やかに弾けた。
「……ミーナ……」
ようやく声を絞り出すと、ミーナは小さく首を振った。
涙が一粒、頬を伝って落ちる。
「ウソだったんだ……あの時のビッ君は、本気じゃなかったんだ……」
「ち、違う。そんなつもりじゃ……!」
否定しようとした瞬間、胸の奥がぎゅっと痛んだ。
ミーナの涙が、まっすぐ刺さる。
「じゃあなんで追放な!? 私は危険なんて気にしない! ビッ君と一緒なら……!」
ミーナの声が震え、涙がぽろぽろとこぼれ落ちる。
「どうして……どうして置いていこうとするの……?」
その問いに、言葉が詰まった。
「だって……」
喉がひどく乾く。
「ミーナ……結婚したら、冒険なんて続けられないだろ……?」
言った瞬間、ミーナの涙がぴたりと止まった。
「……は?」
小さく漏れた声は、怒りでも涙でもなく、ただの絶句だった。
空気が凍りついた、その時――
「ぷっ……ぶはっ!!」
背後で、レオナードの盛大に吹き出した笑い声が響いた。
「レ、レオナード!? なんでここに……」
振り返ると、木の影からこちらをのぞき込む仲間たち。
リリエンティは腕を組み、クララベルは首をかしげ、レオナードは笑い転げている。
「お前……せっかくの告白なのに、なんてことしてるんだ」
リリーさんがため息まじりに言う。
「い、いや、俺は……!」
「今どき“女は家庭”って……ちょっと古くありませんか?」
クララベルがにこやかに微笑む。だが容赦ない。
「ぐっ……!」
「そもそも付き合ってすぐに結婚の話とか、話飛びすぎだろ!」
レオナードが腹を抱えて笑う。
「う、うるせぇ!! 俺だって必死なんだよ!!」
「いや、必死なのは分かるけどさ……」
レオナードは笑いを拭い、息を切らせながら続けた。
「ビックス。俺とリリーも付き合ってるけど、普通に冒険者続けてるぜ?」
「……え?」
「いやー“結婚したら冒険できない”か。そんな風に考える奴もいるんだな」
リリーさんがゆっくりとうなずきながら、レオナードに寄り添い――蹴った。
「いってぇ!? なんでだよリリー!」
「余計なこと言うからでしょ」
リリーさんは腕を組んだまま、落ち着いた声で口を開く。
「ビックス。お前がしたいことがあるように、ミーナにもしたいことがある」
俺とミーナの手を取り、ゆっくりと重ね合わせ、やわらかく笑った。
「だから焦る必要はない。時間は、たくさんある。」
「私たちは先に帰ってますから、“ゆっくり”来てくださいね!」
クララベルの一言で姿を消す三人。
みんなの姿が見えなくなると、丘の上に静けさが戻った。
「……ミーナ」
そっと手を見る。
リリーさんが重ねてくれたその手は、まだ温かかった。
「俺……勝手に決めつけてた。ミーナの気持ち、ちゃんと聞こうともしないで……」
言葉にすると、胸の奥がじんと熱くなる。
「これからどうなるかなんて、まだ分からないけど……今は……お前と一緒に歩いていきたい」
ミーナは、ゆっくりと笑った。
「……うん。私も、ビッ君と一緒に歩きたい」
重なったミーナの手がそっとすべり、俺の手をキュッと握る。
握り返すと、その温もりは静かに流れ込み、胸の奥をあたためていった。
しばらく、二人で夕暮れの街を見下ろしていた。
風が頬を撫で、草の匂いがふわりと漂う。
やがて、ミーナが小さく息をついた。
「……行こっか、ビッ君」
「ああ」
俺たち二人は手をつないだまま、ゆっくりと丘を下る。
これからも俺は、きっと早とちりして、勘違いして、暴走するんだろう。
でも――それでもいい。
この手を離さない限り、俺の隣には、いつだってミーナがいてくれるのだから。
薬師のお前を追い出したい!※できません 泉井 とざま @TOZAMA_SUN
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