第5話 レクイエムは静寂と共に

「……悪魔だ。貴様は悪魔だ……」


 ジェラルド殿下は、ガタガタと歯を鳴らしながら、うわ言のように呟いた。

 その瞳から、かつての傲慢な光は消え失せ、あるのは底知れぬ恐怖だけ。

 自分の婚約者が、ただの大人しい令嬢ではなく、半年もの間、笑顔の下で自分の死刑台を組み立てていた「処刑人」だったと気づいた恐怖だ。


「お前、ずっと前から知っていて……! 俺を止めるのではなく、ただ俺をハメて、殺すためだけに……!」


 その通りだ。

 もし私が半年前、すぐに告発していれば、彼は廃嫡や修道院送りで済んだかもしれない。

 ――復讐か、温情か。

 だが、私はそれを許さなかった。

 そして、すべてを知った国王陛下もまた、国を毒そうとする男を許しはしなかった。彼は自らの野心のために、超えてはならない一線を――父殺しという大罪を犯したのだから。


 もはや、救いようなどない。


 私はしゃがみ込み、彼の視線に合わせて微笑んだ。


「ええ。とても綺麗に咲いたでしょう? 私からの、ささやかな手向けの花です」

「ひっ……!」


 王子の悲鳴は、重々しい足音にかき消された。

 宰相が進み出て、羊皮紙を広げる。その顔には、かつて王子に向けられていた忠誠の色はなく、あるのは事務的な冷徹さのみ。


「罪人ジェラルド。国王陛下への殺害未遂、並びに国家反逆罪、及び無実の婚約者エリザベート嬢への冤罪工作の罪により……」


 広場中の空気が張り詰める。

 民衆も息を呑み、その瞬間を待つ。


「――死刑に処す。直ちに刑を執行せよ!」


 判決が下された。

 もはや慈悲はない。国王陛下も、背を向けて静かに目を閉じている。それが父としての最後の情けなのだろう。


「いやだ! やめろ! 俺は王になるんだ! こんな草のせいで、こんな女のせいで……!」


 衛兵たちが王子の体を押さえつける。

 断頭台の木枠に首が固定される。

 彼は最後まで喚き散らしていたが、その声はもはや誰にも届かない。


 私は目を逸らさない。

 私が蒔いた種が、実を結ぶ瞬間なのだから。

 これは私が取るべき責任だ。


 ガコン、と留め具が外れる音がした。

 一瞬の静寂。

 ヒュッという風切り音。


 ――ズドンッ!!


 重く、鈍い音が広場を揺らした。

 王子の絶叫が途切れ、代わりに群衆から悲鳴交じりの歓声が上がる。

 それが、愚かな第一王子の最期だった。


 私はゆっくりと、断頭台の足元へ近づく。

 そこには、主のいなくなった体が転がっていた。

 飛び散った赤い飛沫が、紫色のトリカブトの花弁にかかり、禍々しくも鮮烈なコントラストを描いている。


 私は屈み込み、その中から血に濡れていない一輪を、パキリと手折った。


 無骨で、花を愛でる心を持たないこの世界。

 誰もこの花の真の意味を知らない。

 だからこそ、最後くらいは教えてあげましょう。


 私は首のない彼に向かって、誰にも聞こえない声でごく小さく囁いた。


「この世界に花言葉はありませんが……トリカブトの花言葉は、二つあるのですよ」


 一つは『栄光』。……もちろん、貴方には似合わない言葉だ。


「貴方に捧げる言葉は、もう一つのほう」


 私は手折った花を、彼の上にそっと落とした。

 紫色の花が、まるで最初からそこにあったかのように、彼の罪を彩る。


「――『復讐』」


 私はスカートを翻し、背を向けた。

 背後でざわめく群衆も、駆け寄る騎士たちも、もう視界にはない。


 広場を抜ける風が、私の髪を撫でる。

 私は一度も振り返ることなく、光の中へと歩き出した。

 この無知で愚かで、けれど少しだけ愛おしい世界で、私だけが花の本当の意味を知りながら生きていくのだ。


(完)

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婚約破棄され、反逆者として逮捕された私。――ですが気が付けば、断頭台に上げられたのは「貴方」でした。 katonobo @katonobo1

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