第5話 白きモノ
お腹が空いた。
ドックンと会うと、謎にエネルギーを消費する。
ひと試合したような感覚だ。
いつもは午後診だから、ガッツリ腹ごしらえをしてから行く。
今回は午前診だった。このコンディションで採血したかったなあ。
(今年は、ラストにドックンくん…)
会う順番、主治医と逆だと良かったのに。
主治医殿とは年イチで、ドックンとは年に最低4回は会う。
処方薬がMAX90日分だから。
いっそ彼等が逆だったら。
でも、ドックンはもう手術は卒業したと言っていた。
――気を取り直して、珈琲でも飲もう。
クリスマスなんだから、ちゃんとした店のを。
もうメリクリは終わっちゃったけど。
ドリンクバーのコーヒーはあまり香り高くない。
よく行くファミレスではなく、純喫茶風チェーン店に入る。
「いらっしゃいませ~」
珈琲がウリの割には、あの芳しい匂いが漂ってこない。
嗅覚は無事なはずだ。こんなもんなの?
「これにします」
オーダーは席まで取りに来てくれた。
いつものモーニングより、ワンランク上のメニューにする。
パンケーキとサラダ。血糖値のことは忘れよう。
――あんなドックンだけど。
珈琲を待つ間に、ちょっとはいい所も考えてみる。
ドックンでも、告知に至るまではけっこうぼやかしてくれたっけ。
『ちょっと気になる…。まあ物は試し。エコー検査もしとこうか』
『腫瘍かな。けど良性かもしれないし。ただ、悪性かどうかは調べ
ます。細胞診ね。細い注射針を刺すだけ。あんまり痛くない検査です』
『ごめん。もうちょい詳しく調べさせて。次は組織診ね。
いわゆる針生検。細胞を採ります。前よりは痛いです』
『切っとく方が安心、てなるかもなあ。まあ念のため』
『一応さ。手術設備の有るとこに予約も入れとこうか。
結果、キャンセルでも全然オッケー。そうなったら大笑いで終わるやん?』
――気を遣われてたのかな?
そうしていよいよ紹介状をもらって『では行ってらっしゃい』と
なった段で、初めて私から尋いた。
『先生。私って、ビンゴだったんですか?』
『はい、ビンゴです』
あれが私への告知だった。
あれからだよな。ポンポン言われるようになったの。
「お待たせいたしました」
お店の人が珈琲を運んでくれた。昨今では珍しい。
「ありがとう」
けど。某ファミレスの配膳ロボット猫も嫌いじゃないんだ、私。
「…?」
運ばれて来たハムのサラダに、何やらのっぺりと白いものが
載っている。ものすごく薄っぺらい半月形。
(なんじゃ? これ?)
よく見たら、申し訳程度に添えられていたのはゆで卵…の一片。
僅かだけど黄身も付いてる。それでかろうじて卵だと認識可能な。
四分の一…いや、六つ? 八つ切りか? よくこの薄さに切れたなー。
そして何気に既視感がある。
次の瞬間に気が付いた。
咄嗟に浮かんだのは、主治医の顔だ。
そうか、わかった。
卵に似てるんだ。あの顔。
げに湯上り卵肌的な、白。
だからかー。妙に親近感が湧いたんだよな。初診の時から。
初診のことも思い出した。
診察前の問診で、看護師さんが遠慮がちに私に聞いてくれた。
『あの…告知は―受けておられますか?』
『ええ。まあ、一応』
私が単独で来たから困ってたらしい。だって、聞いてないもん。
独りで行くなとか。普通は付添が要るとか。
「ぷっ」
卵を前に、私は思い出し笑いで吹いてしまった。
たいがいだよなあ、ドックン。
けど憎めない。まあ命の恩人だし?
元いた大病院で、ドックンは最早伝説だ。女心を解さないから、
彼の科の看護師さん達は、それは大変だったらしい。
日夜彼のフォローで謝り倒し続けていたと言う。
「ぷぷっ」
そして今日の卵は、見事なまでのぺらっぺら。
確かドックンの抜けた穴を埋めた後任が、主治医のはずだ。
ドックンの方が先輩? ヘタしたら元上司かもしれない。
主治医が、ドックンの部下で持ち上がり昇格だったりしたら。
そりゃあ不憫過ぎるよ。よく耐えたなあ、主治医。
手術室での主治医の勇姿が蘇る。
A診室の白衣姿ではわからなかったけど、手術着だと
ちょいメタボな体型がくっきりはっきりで。
ハンプティダンプティまではいかなくとも、
なんか往年のギャグ少女漫画のパタ〇〇みたい。
急に面白くなってしまって、あれで緊張がほぐれたのだ。
「ぷぷぷっ」
次に会うのは来年。またきっちり一年後。あの卵顔を見に行く。
今度で十分の四回目、だ。
A診室で顔を見たら、連想で笑ってしまうかも。
――まあ、いっか。
失くしたモノがないわけじゃないけれど。
最低十年は飲まなきゃな薬は、私に深刻な影響をもたらした。
具体的には、事務処理能力の著しい低下。
てんで頭が回らなくなったのだ。まるで仕事にならない領域にまで。
今月のチェックをしないといけない時間に、間違って
延々と先々月の書類を見ていたりする。そんなレベルだ。
かつての私のベストパフォーマンスを知る環境に居たら、
長い目で見守ってくれたのだろうか。
だが、検査も入院も手術も転職直後だったのが痛かった。
来たばかりの人間が病気をして、繁忙期に離脱をする。
復帰しても放射線治療に通うから、重役出勤を認めざるを得ない。
転職先の方こそ「アイタタ」だよな。
そして、もう同じレベルでは機能しなかった私は、
結果として仕事を失った。
(――でも、まあいいや)
手指の強張りだって、完璧に消えたわけではない。
失ったものもあるけど。戻せないモノもあるけど。
でも、生きてる。
生きて、ピンピンしてる。
来年の今頃、きっとまた私は同じ電車に乗るだろう。
その頃になら、あの壮大な更地には学校だって生え…いや、
建っているのかも知れないし。
ぐふふ。
私は、半月型の卵にぐさりとフォークを突き刺した。
(了)
前略。元気です 響 @diamantez1000
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