飲みかけのコーヒーを、また
矢車あお
飲みかけのコーヒーを、また
「それ、詐欺だと思うな」
冷や汗をかきながら、林檎の柄のカードをレジに差し出しているとき、少女はそう言った。
声の方を振り返る、黒づくめのファッションと対照的な白い肌に、人を喰ったような紅い唇。
レジ係のコンビニ店員は「あーっすね」と、気の抜けた声を上げる。
私は混乱と恥ずかしさで、さらに身体が汗ばむのを感じた。
(あなたなんて嫌いよ)
黒々とした少女の瞳をにらみつけて、節々が痛む拳をぎゅっと握りこんだ。
どうやって切り抜けたのか、とにかく私はあの忌々しいカードを買うのを諦め、逃げるようにコンビニを去った。
窮地を助けてくれたはずの少女だが、恥の感情とその姿が混ざり合って、思い出すと胸が苦しくなる。
人気のない公園のベンチに座ると、秋風が心地よい。
しばらく目を閉じていると、ふと人の気配がした。
目を開けると、缶コーヒーを差し出す青白い手が目に入る。
視線を上げると、先ほどの少女が目の前にいた。
「あなた、どうして――」
「よかったら、飲みませんか」
そう言うと少女は私の隣に座り、ふたつある缶のうちひとつを私に押し付ける。
断り切れずに一口飲むと、熱くて甘くて苦い。久しぶりの味だ。
そういえば私は珈琲が好きだった。そんなことも忘れていたなんて、信じられない。
ほとんど相槌も打たない私に向かって少女は話し続ける。
昔読んだ小説、堅焼きのプリン、憧れの先輩――。
私は思い出す。それは私が好きだったものだ。
「ねえ、よかったら――」
またこうして話したいわ。
勇気を出してそう伝えようと、少女の方を向く。
そこには飲みかけのコーヒーの缶だけが、ベンチの上に残されていた。
飲みかけのコーヒーを、また 矢車あお @isshoku_
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