第3話 あの日夢の中で
あの日は良く晴れた冬の空だった。目覚めると窓の外一面に澄んだ光が降り注ぐ。寝ぼけながら今日は大学が休講だと思い出す。それで再び布団に潜り込んだ。まだぬくぬくとする布団の気持ちよさに、再び深い眠りに落ちていった。まだ何も難しい事も考えてなかった日々の出来事。
一つの夢を見る。リュートの姿が現れる。私は彼と車に乗りこみ、長いトンネルを通る。トンネルの中はわりと近代的な造りで、片道五車線もあるかと思うほど広い。他にも沢山の車が走っている。途中トンネルが途切れると、ふとリュートが私を置いて車を降りた。すると違う人が運転席に乗り込んでくる。私はリュートがいなくなってひどく淋しく思うけれど、その人の顔を見て少し安堵する。ルカが優しく微笑んでいたのだ。
そこではっと目が覚める。なにやら胸騒ぎに襲われる。どうにもいられずテレビを付ける。窓の外は明るい。日差しが穏やかに冬の一日を照らしている。ピチチと言う鳥の鳴き声が聞こえる。午前九時、ワイドショーは始まったばかりだった。本日のニュースとやらをダイジェストで流し、簡単な紹介を男性アナウンサーが読み上げるのがその番組のオープニング。その時信じられない言葉が、私の体と心と魂を切り裂いて抜けていった。
「人気ロックバンド、ライズレッドのボーカル、リュートさんが事故のため亡くなりました」
その瞬間、私の心臓がドクンとひとつ大きく打った。何が起きたのか理解できなかった。何の冗談なのだろう、いつからテレビは嘘っぱち報道を堂々とするようになったのだろうと私は思った。誰かと間違えた誤報じゃないかとか、どっきり番組の企画だとか、とにかくそれが嘘である、ありとあらゆる可能性を考えていた。考えてそれが嘘でもなんでもないと心が受け入れるまで丸一日かかった。その後どのニュースを見ても同じ報道しかない事、誰も嘘だと言ってくれない事、事務所の関係者が緊急会見を開いてリュートの死を報告した事、どれをとってもそれが事実である事を深めるだけだった。
やたらと、目に見える景色だけが明るかったのを憶えている。澄んだ空気と冬を和らげる光を受けて大地は汚れないもののように輝いていた。外で遊ぶ子供たちが表へ出て笑いあう。雲も殆ど浮かんでいない青空。涙を流していいのかどうかも私はその時わからなくなった。
報道によるとその事故は真夜中の高速道路で起きた。中央自動車道を長野に入った辺り、スピードを上げた車はハンドル操作を誤ってガードレールに激突。車は大破。中に乗っていた彼は即死常態だったらしい。「近くの病院に搬送されましたが、間もなく死亡しました」というアナウンスを嫌と言うほど聞いた。あの寒い夜の日、彼が中央自動車道を飛ばしてどこに向かったのかは誰にもわからなかった。マスコミは関係者に聞いて回ったらしいが、リュートの知り合いや親戚が甲信越地方にいるとも聞いていないし、いる様子もなかった。早くに両親と離れて暮らし、兄弟もいなかったリュートは祖父母に支えられながら高校を卒業、その後はアルバイトで生活費を稼ぐ日々だったらしい。その傍らバンドを組み、ひょんな事からルカと出逢い、その後一緒に活動をする事になったと言う。
私はあの日夢の中で出会ったリュートを思い出す。もしあの夢の中で必死になってでも彼が車から降りるのを止めていたら、どうなっていただろう。いや、どうにもならない事なのかもしれないけれど、私なんかがたまたま見た夢など何の意味も無いのだろうけれど、それでも考えずにはいられない。止める事が出来たなら、なんでもしたと思う。リュートの悲しげな顔が浮かぶ、澄んだ歌声が頭の中を駆け巡る、髪の毛が額や頬にかかる、その全てにドキドキしていた日々。青春時代の憧憬だと言われてしまえばそれだけのもの。でも強烈に惹かれた理由は何なのか知りたい。彼が亡くなったと聞いた時、見えないバズーカ砲で身も心も打ち抜かれた。打ち抜かれ穴が開いたまま生きている。身近な人でもなければ、直接話したこともない。ただ彼がいて歌っている、それだけでよかった。目的もなく目標もなく、なんとなく生きてきた日々。リュートの歌声を聞くときだけ生きる意味を探そうと思えた。
闇を抜けて見えた 輝く星の数
数え切れず目を閉じる
夜明け前に気付いた この夜の美しさ
明けてしまえば 消えてしまう
今は ただ 覚えておこう
この夜が 明ける手前
闇の色も 星の輝きも
澄んだ声は心の深いところまで染みいってくる。曲が終わると心がしんとして、それまでイラついていた気持ちもすっと消えてゆく。彼の歌は心の中に景色を描いて残してゆく。
私はずっと自分で自分の事がわからないでいた。進学も当たり前のようにして、就職もどこまで自分の意思だったのかわからない。いつも誰かが良いと言ったからそんな気になっているだけ。今の職業もウェブ制作会社だけれども、「IT関係」と言えば聞こえが良いから選んだような気もする。いつだって誰がどう自分を見るのか、そんな事ばかり気にしてきたのだろう。当たり障りのない人生で、特に常識的な道を外れることもなく、そんな日々。満足などしていなかった。でもどうしたら良いのかも自分ではわからなかった。特に希望などなくて、周りの人間が望む事をすれば見捨てられないだろうから、その通りにしてきた。だからライズレッドの曲は、初めて自分の心が欲したものだと思っていた。それまで流行のヒップホップだとかクラブだラウンジだハウスだと、友人の影響で知った曲ばかりぼんやり聞いて、なんとなく満足していただけだったから、リュートの歌声に心を貫かれた気分だった。
自分の存在意義を考えると無意味なものに思えてしまう。そんな時はライズレッドを聴く。曲を聴くたびに頭の中に浮かび上がる景色の美しさに心を落ち着ける。だからその声と曲をいつも傍らに置いてきた。
それがプツリと途絶えてしまったのだ。今はもう、美しい景色は悲しみのフィルターを通してしか見えない。そのフィルターの向こうで、リュートの顔が淋しげに遠くを見つめていた。
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こ の 星 に 願 い を みさき南結多 @misaki4818
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