第42話 真実の音

『……やれやれ。あの子、思ったより声がでかいな。有馬、お前、ちょうどいいところに来た』

 低くて乾いた、そしてどこか芝居がかった声。私の背筋が凍りつく。聞き覚えのあるその声は、間違いなく――榊原憲明。

『お前、脚本家としては上出来だったよ。有馬航生の名が業界で語られるのも、時間の問題だった。だがな――』

 少し間を置いて、声のトーンが一段階低くなる。

『そんなことより、お前には“やるべきこと”がある。あの藍沢千景……あの子を俺の元に連れてこい。口説け。愛してるとでも何とでも言えばいい』

 私は、血が引いていくような感覚を覚えた。

『千景を“俺のもの”にする。それが筋書きだ。有馬、お前が逆らえば……分かってるな? この件を公にすれば、璃久のキャリアは終わりだ。いや、女としても、二度と表には出られなくなるだろう』

『お前に責任を取らせることも、たやすいんだぞ? お前が彼女をけしかけたと言えば、それで済む。俺の言葉には重みがあるんでな』



 有馬が静かにレコーダーを止めた。

「これが……」

 私は息を詰めていた。

 どんな劇よりも冷酷で、醜悪で、現実だった。

「この音声を……どうして今まで……」

「……渡せなかった。これを出せば、榊原の怒りは間違いなく、璃久に向かう。彼女とお前を守るには……黙っているしかなかった。それなのに……璃久は……自分で死を選んでしまった。璃久は……この業界に絶望してしまったんだ」

「…………」

 私は、椅子の上で拳を握りしめた。

 この人は……私の知らないところで、ずっと戦っていた。

 スキャンダルの噂のせいで奥さんとは離婚する事になり、子供の親権もない。

 自分を犠牲にしてまで……私と璃久を……。

「……私、勘違いしてた」

 ようやく絞り出した声が、震えていた。

「ずっと、あなたのこと……憎んでた。璃久を、私を裏切ったって……」

「…………」

「でも……そんなの、私、何も知らなかっただけだった。私は……」

 ……私は、あなたを信じたかった。

 込み上げてくる涙を、私は手の甲で拭った。

 その時、窓の外で雷が遠く、鈍く鳴った。

 全てが仕組まれていた事。

 元凶は榊原憲明、そして七瀬慧。

「……許せない」

 私は宙を睨みつける。

 そこにまるで二人が立っているかのように。

「慧は……奴の愛人になった。彼女なりに姉の死から思う所はあったのだろうとは思うが、今では榊原の指示を伝える役になっている。何れは榊原の後押しで、大女優になるらしいが……今の君にはとてもかなわないからな」

「………そんな事…」

 璃久は……彼女の姉はそんな人ではなかった。

 自分の力で一つづつ階段を登っていった。

 他人を蹴落として、他人の力を借りて昇ろうとは、決してしない。

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