生まれる前のモノ
ぐぢゅぐぢゅ
第1話
「あれ、鮫島さんじゃないですか」
見知った顔を電車の中で見つけ思わず声をかける。ゆったりと座席に座った鮫島さんは、優しくえくぼを作って、私に手招きをした。
一時間に一本のみの田舎の電車は、呆れてしまうほど空いている。座席が空いていないことはまず無い。私は遠慮なく彼女の隣に座った。
「最近、どう?元気にしてた?」鮫島さんが聞く。
「口内炎があることを除けば、ぴんぴんです!」
「それはよかった」
鮫島さんは、私の職場の先輩で、現在産休中である。彼女のお腹は、最後に見たときよりもまたひとつ大きくなったように見えた。
「今日はどこかに行く用事があるんですか?」
「さっき行ってきた所。検診だったの」
「あっ、そうなんですね」彼女は、もうすっかりお母さんの顔をしている。「あの、こんな事は直接聞くものじゃないかもしれないんですけど、出産祝いって、何がいいですか?ベビー用品ですかね。それとも、食べ物とか?」
「ずいぶんストレートに聞くのね」鮫島さんが苦笑する。
「いいじゃないですか。そうだ、アレルギーとかありますか?」
「うーん、アレルギーってわけじゃないんだけど」
卵がダメなの、と言った。
「嫌い、なんですか」卵が嫌い、というのはなかなか珍しいと思った。少なくとも、私の出会ったことがないタイプだ。
「嫌い、か。そうね…」
信じてもらえないかもしれないけれど、と前置きして、お腹に手を当てながら、彼女はぽつりぽつりと語り始めた。
それは、小学5年生の時だった。
みんなの仲を深めましょう、といった題目で、クラス全体でのかくれんぼが行われたことがあった。これまでも鬼ごっこやドッジボールをする機会はあったが、運動が苦手な鮫島さんは、それらをする度に粘つくような劣等感を覚えており、今回こそは、と張り切っていたという。鬼になった子が数え始めたときには、隠れる場所の目星はついていた。
体育倉庫の隣にある、小さな鶏小屋だ。
入ってはいけない事を忘れていた、と言ったら嘘になる。けれど、良心の呵責を感じなくなるほど、勝ちたかった。いつも馬鹿にしてくるクラスメイトを、見返したかった。その一心で鍵に手をかけた。ぎぃ、と重い音を立てて扉が開く。錆びた金属の渋い匂いが、鼻腔を支配する。あとは、干し草の山に身を隠せば完璧だった、その時。
謎の訪問者に混乱したのか、一羽の鶏が甲高く鳴いた。
突然の出来事に驚いたのは、鮫島さんも同じである。悲鳴を噛み殺して後退りをする。
ぐしゃ。
嫌な感触を足の裏に感じた。恐る恐る、顔を靴に近づける。
それは、白い欠片にこびりついた、肉片のような、粘液のような、そんなものだった。ぼたり、と柔らかい塊が、地面に落ちる。
「 んだん」
声が聞こえた。
「うま れ るまえ に しん だ」
「んだ」
「ん だん だんだ んだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだん だん だ ん 」
そのあとの事は、よく覚えていないという。
ただ、ひとつ、いえることは
その日を境に
オムライスは、
紅く染まった無数の内臓をぱんぱんに詰めて血のような液体を被ったモノとして
プリンは、
どす黒い液体の上で両生類のような身体をぐちゃぐちゃと震わせるモノとして
イクラは、
充血した幾つもの目をぎょろぎょろぎょろぎょろ、動かすモノとして
「うま れ るまえ に しん だ んだ んだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだんだん だん だ ん 」
と
みんなみんなみんなみんなみんなみんなみんな、
鮫島さんに訴えるようになったという。
「鶉の卵も、鱈子も、おんなじ。きっと、呪われちゃったんだと思う。卵に―生まれる前のモノに。」鮫島さんはお腹を擦りながら、力なく笑った。
「この子ね、毎日お腹を蹴ってくるの。少し痛いくらいに。だんだんだんだんだんだんって。」
生まれる前のモノ ぐぢゅぐぢゅ @gujuguju-pudding
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