第6話 朝のルーティン(素振り)が天変地異
小鳥のさえずりで、アリスは目を覚ました。
目を開けると、木漏れ日がテントの生地を優しく照らしている。剛田が貸してくれた、予備のソロテントだ。
「……んんっ。よく寝たぁ」
思い切り伸びをして、ハッと固まる。
(しまった……! 寝ちゃった!)
昨夜、興奮と満腹感で、配信のことを説明する前に強烈な睡魔に襲われてしまったのだ。
アリスは慌てて枕元の端末を確認する。
配信は……繋がっている。
バッテリーは魔法鞄に入れた予備電源で持っているが、問題はそこじゃない。
(まだ流れてる……止められないまま、世界中に。早く説明して謝らなきゃ!)
アリスはテントから這い出し、朝の冷たく澄んだ空気を吸い込んだ。
「おはようございま……っ」
挨拶をしようとして、言葉を飲み込む。
少し離れた開けた場所で、剛田が佇んでいた。
彼は朝日を浴びながら、ゆっくりと屈伸運動をしている。
(準備運動……?)
その動きは洗練されていた。
関節の可動域を確認し、筋肉の一つ一つと対話するような、静かで無駄のない動作。
ただのストレッチなのに、舞踏を見ているような美しさがある。
水を打ったような集中力が漂っていて、とても「あの、配信のことなんですけど」なんて話しかけられる雰囲気ではない。
アリスは息を潜め、手元の端末を確認した。
同接数は……朝だというのに3万人を超えている。
コメント欄も、異常な熱気を帯びていた。
『G.G.のモーニングルーティンだ』
『徹夜で待機してた甲斐があった』
『切り抜き見て来たけど、マジで剛田じゃん』
『聖なる儀式』
『これから何が始まるんです?』
昨夜の切り抜き動画から流入した新規視聴者と、伝説を見逃すまいとする徹夜組が入り混じっているらしい。
剛田がゆっくりと立ち上がり、傍らに置いてあった「薪割り斧」を手に取った。
空気が、ピリッと張り詰める。
◇◇◇
身体の調子は悪くない。
昨夜のドラゴンの肉が効いたのか、むしろ現役時代より軽いくらいだ。
俺は斧のグリップを握り、感触を確かめた。
湿度は適切。指のかかり具合も良好。
重心のバランスを確認しながら、ゆっくりと頭上で円を描く。
「……よし」
朝の素振り。
これは俺にとって、歯磨きや洗顔と同じだ。
一日を始める前に、身体の軸がズレていないか、スイングの軌道がイメージ通りかを修正(チューニング)する作業。
敵を倒すためではない。
薪を割るためでもない。
ただ、自分のフォームを確認するためだけの「空振り」。
俺は足を肩幅に開き、リラックスした状態で構えた。
狙うのは、目の前の何もない空間。
そこに架空のボールをイメージする。
コースはアウトコース低め。一番、技術が問われるコースだ。
(力はいらない。重力に逆らわず、バットの重みを乗せるだけ)
息を吸い、止める。
静寂。
森のざわめきが遠のき、世界が俺と「ボール」だけになる。
――スッ。
始動。
下半身からの連動が、螺旋を描いて腕へと伝わる。
――ブンッ!!
斧を振り抜いた。
手応えは悪くない。
ヘッドが走る感覚、空気を引き裂く音、フォロースルーの安定感。
及第点だ。
「……ふぅ。少し身体が硬いか」
俺は斧を下ろし、軽く肩を回した。
やはり、柔らかいベッドじゃなく寝袋だと、背中が少し張るな。
今夜は入念にストレッチをしてから寝よう。
俺は朝食の準備をするために、かまどの方へと振り返った。
今日は残りのベーコンでスープでも作るか。
◇◇◇
アリスは、瞬きを忘れていた。
口が塞がらないとは、このことだ。
「え……あ……?」
剛田は「少し身体が硬い」なんて言いながら、のんびりと戻ってきた。
だが。
彼が背を向けたその「前方」の光景は、のんびりなんてものじゃなかった。
剛田が斧を振った延長線上。
そこにあったはずの鬱蒼とした密林が――消滅していた。
いや、正確には「薙ぎ払われて」いた。
幅十メートル、長さ数百メートルにわたり、太い魔界樹たちが根元からねじ切られ、吹き飛ばされている。
まるで、巨大な見えない暴風がそこだけを通過したかのように。
地面は抉れ、新しい「道」が出来上がっていた。
遥か彼方まで、朝日が差し込んでいる。
(……そ、素振り……だよね?)
ただの空振りだ。
魔力も込めていなかったし、必殺技の名前も叫んでいなかった。
ただ「ブンッ」と振っただけ。
それだけで生じた風圧(衝撃波)が、S級ダンジョンの頑丈な森を無理やり「道」に変えてしまったのだ。
コメント欄が、恐ろしい速度で流れていく。
『ファッ!?』
『素振り……だよな?』
『台風かよ』
『地図が変わったぞwww』
『ゼネコン剛田』
『自称ギルド職員、生きてるか? これまた報告書案件だぞ』
『これが……伝説のホームラン王の朝の日課……』
アリスは震える手でカメラを操作し、その惨状(新しい道)を映した。
そして、何も気づかずにお湯を沸かし始めている剛田の背中を見る。
(この人……やっぱり、常識の尺度が違う)
ドラゴンを場外へ飛ばしたのは、まぐれじゃなかった。
この人にとっては、呼吸をするように災害を起こせるんだ。
「……おい、アリス。何をしてる」
剛田に呼ばれ、アリスは飛び上がった。
「は、はいっ!」
「飯にするぞ。手伝え」
「はいっ! ただいま!」
アリスは慌てて駆け寄った。
今は何も考えまい――いや、ダメだ。
この朝ご飯の時に、絶対に言おう。
「勝手に配信しててごめんなさい」と。
怒られるかもしれないけれど、この災害(素振り)を見た後だと、端末ごと叩き割られるくらいならマシな気がしてきた。
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**【本日のキャンプメモ】**
**一言:** フォームの確認は毎朝欠かせない。鏡がない場所では、スイングした時の風切り音(スイングスピード)と、踏み込んだ足跡の深さで調子を測るのがプロだ。
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――――――――――――作者からのお願い―――――――――――
素振りで森が道になりました。
剛田にとっては準備運動ですが、アリスにとっては天変地異です。
「規格外すぎるw」と笑っていただけたら、ぜひ★やレビューで感想を聞かせてください!
次回、地上のギルドと政府が大パニックになります。
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