茨の少年と、ひだまりの少女
仰
カイルを抱きしめた日
かつて、とある小国の歴史にその名を刻んだ「英雄」がいた。
凄惨を極めた戦争の最中。堅固を誇った城壁が瓦解し、敵兵の怒号が王の寝所まで迫ったその時、一人の男が立ち塞がった。彼が地を蹴ると、石畳を突き破って禍々しいほどの茨が噴き出し、瞬く間に難攻不落の「緑の防壁」を築き上げた。 たった一人で数千の兵をなぎ倒し、王の命を繋ぎ止めたその神業。人々は彼を救世主と崇めたが、男の心に宿ったのは凱歌ではなく、底知れない空虚だった。剣で斬り、魔法で穿ち、あるいは言葉で欺き合う――そんな人間の泥濘(ぬかるみ)に辟易した男は、栄誉も富もすべてを捨て、深い山奥へと姿を消した。
それから、数十年の月日が流れた。
かつての英雄は、今や白髪混じりの偏屈な隠者として、静寂の中に生きていた。ある日の夕暮れ、今夜の糧となる獲物を探して森の奥へ足を踏み入れた彼は、不意に、風に乗って届いた異質な音に足を止めた。 それは、森のざわめきを切り裂くような、高く、か細い、赤子の泣き声だった。
声に導かれた先には、無惨に破壊された一台の馬車が転がっていた。 周囲には、魔物の爪痕が深く刻まれた両親らしき男女と、絶命した御者の姿。立ち込める死の臭いと、冷えゆく沈黙。その地獄のような惨状の中心で、ただ一つの命だけが、小さな拳を振り回して生を叫んでいた。
「……こんなところで、独りか」
男は無骨な手で、泥に汚れた赤子をそっと掬い上げた。 温かな体温が、長らく凍てついていた男の掌に伝わる。親を亡くし、世界に放り出されたそのか細い命が、かつての自分と重なったのかもしれない。
男は狩りを諦め、赤子を胸に抱いて歩き出した。 「今日から、ここがお前の家だ」
かつて数千の命を奪った「英雄」の腕は、今、一人の赤子を守る「父親」の腕へと変わっていた。それが、後に類まれな植物魔法の使い手となる少年・カイルと、孤独な老英雄ゼノスの初めての出会いだった。
「おい、いいか。赤ん坊ってのは、腹が減っても泣くし、眠くても泣く。……それ以外の理由でも、とにかく泣くもんなのか?」
人里離れた山奥の小屋。かつて数千の軍勢を震え上がらせた「老英雄」ゼノスは、今、人生で最大の難敵に直面していた。腕の中で顔を真っ赤にして泣きじゃくる、小さな命だ。
ゼノスは、かつての戦友たちに、何十年ぶりかという連絡を魔導通信で取った。政治の腐敗に絶望し、二度と関わらないと決めたはずの男たちが、ゼノスの「赤ん坊を育てるには、まず何をすればいい?」という突拍子もない相談に、驚きと嘲笑、そして温かな助言を返してくれた。
「ミルクの温度は、お前の魔法よりも繊細に扱え」
「おむつを替える時は、剣を振るう時よりも慎重にな」
戦友たちの呆れた声を頼りに、ゼノスは不器用な手つきでカイルを育てた。それは、血に塗れた彼の人生にとって、初めて味わう「慈しみ」という名の戦いだった。
運命のいたずらか、あるいは奇跡か。 カイルが歩き始める頃には、その類まれな才能が芽吹き始めていた。カイルが笑えば足元の雑草が踊り、彼が泣けば窓の外の木々が寄り添う。カイルもまた、ゼノスと同じ「植物魔法」の資質を宿していたのだ。
その事実を知った日から、ゼノスの瞳に、隠者ではなく「師」としての光が宿る。
「カイル、よく聞け。この力は、お前を守る盾であり、大切なものを奪わせないための牙だ」
ゼノスは、かつて王都を守護した伝説の「茨の魔法」を、幼いカイルに叩き込んだ。 しなやかでありながら鋼よりも硬く、敵を絡め取り、一瞬で命を刈り取る無慈悲な棘。ゼノスが人生のすべてを捧げて練り上げたその攻撃術を、カイルはスポンジが水を吸うように吸収していった。
山奥の静寂を切り裂き、鋭い茨の鞭が空を打つ。
「違う! 茨の先まで意識を尖らせろ。お前が命じるんじゃない。お前自身が茨になるんだ!」
ゼノスの厳しい怒号と、それに応えるカイルの真っ直ぐな瞳。 二人の生活は、もはや拾い主と拾われ子という枠を超えていた。それは、過去を捨てた英雄が未来に託す、最強の継承。 厳しくも温かい山奥の空気を吸い込みながら、カイルは茨の鎧を纏った、心優しき戦士へと、逞しく、そして真っ直ぐに成長していくのだった。
茨の少年と、ひだまりの少女 仰 @aoi-ryo-novel
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