妹が死んだ。その体を、今は宇宙人が使っている

藤浪保

本編

「ただいま」


 二人で久しぶりに我が家に帰って来た。怒涛どとうの三週間だった。


 難病の妹が倒れて、都会の病院に運ばれて、それで――。


 俺は、家に入らず玄関ポーチで立ち止まっている『妹』を見た。眉を寄せている。


「今のは何だ」


 帰路で何度もされた質問だ。その度に俺は丁寧に答えてきた。


「帰宅した時の挨拶あいさつ。『ただいま帰りました』を略して『ただいま』。迎える側は『よく無事でお帰りになりました』を略して『おかえり』と返す」

「ほお」


 関心した『妹』は一呼吸おいてから、一歩玄関へと入って来る。


「ただいま」

「おかえり」


 お決まりの言葉を返すと、なんだか得意げな顔になった。


「お前は誰もいないのに言っていた。何のためだ」

「口癖のようなものだ。もしかすると、家に向かって言っているのかもしれない」

「建物は生き物でないのにか」

「まあな」


 この国には八百万やおよろずの神がいて――という話をすると混乱しそうだから、それ以上は黙っておく。


 何が可笑しかったのか、『妹』は手の甲を口に当てて、ふふふっと笑った。


 それが、あまりにも妹にそっくりで――。


――いや、何でもない」


 思わず妹の名前を呼びそうになって、やめる。


 こいつは妹にそっくりだ。だけど妹じゃない。


 妹は死んだ。その体を、今は宇宙人が使っている。



 * * * * *



『当区域に避難警報が発令されました。速やかに避難してください。当区域に――』


 天井のスピーカーから無機質な声が繰り返し警告してくる。


 先ほど看護師が駆け込んできて逃げろと言ったが、俺は断った。ベッドに横たわる妹――累依るいを置いて逃げられるはずがない。


 生命維持装置を外したら、累依は生きていられないんだから。


 窓の外では、周りの建物がどんどん破壊されていった。鉄筋コンクリートのビルが一撃で崩れていく。ガラスの城をバットで殴りつけているみたいにして。


 この病院もすぐに同じ運命を辿るだろう。


 俺はもういいやという気になっていた。


 難病に侵された累依は余命数日だ。先日から意識不明になっている。


 二年前、俺の高校入学と同時に両親を事故で亡くしてから、俺たち兄妹は助け合って生きてきた。今年は妹が受験で、頑張ろうなと言っていた矢先の発症だった。


 世界がこんな状態なんだから、遅かれ早かれ俺も死ぬ。


 それなら、今ここで累依と一緒に死ぬのも悪くない。


 天井から降ってくる警告と、外から聞こえてくる戦闘機やヘリの轟音、何かが爆発する音や建物が崩れていく音の中で、俺は累依の手を握り締めた。


 せている。けど、まだ温かい。


 顔色も悪くなくて、今にも「うるさいなぁ」と文句を言いながら起き出してきそうだ。


「累依……」


 ぽつりと呟いたその時――。


 衝撃が体を襲った。


 見ると、病院の一角がプリンをスプーンで削り取ったみたいに崩れ、病室が外に露出していた。


 残った窓についているカーテンが風にはためき、俺の髪もなびく。


 はっと生命維持装置を確認すれば、ピッ、ピッ、と規則正しい音を出していた。波形も安定している。電力系統は切られなかったようだ。天井がなくなったせいで、警告は聞こえなくなった。


 もう一度、ぽっかりと開いた外へと視線を動かす。


 すると、その先、真っ青な空を背景に、あいつの姿が見えた。


 ざっくりと言えば、六枚の羽の生えた白い卵だ。色はややピンクがかっており、卵の全面にはびっしりと大小様々な目がついている。


 グロテスクなことこの上ないが、テレビでもネットでもよく流れているので、もう慣れた。肉眼で見るのは初めてだけれど。


 世界をこんな風にしてしまったのはこいつだ。


 こいつはある日突然現れ、その周囲を破壊し尽くした。具体的な手段はわかっていない。空中に浮かんでいるだけなのに、周囲の建物は次々に倒壊し、地表は隆起陥没した。


 地球上の様々な場所に唐突に現れ、その場を破壊しては、消える。


 もちろん各国は交渉を試みた。反撃もした。


 その全てが無駄に終わった。呼びかけには一切応じないし、機関銃もミサイルも、果ては核兵器まで、無力だった。


 やがで人類は諦めを覚えた。


 出現したら逃げる。この一つに注力することにしたのだ。


 警報が鳴ったら避難して、無事に済んだ場所に移り住み、何とか暮らしを営む。


 一度の破壊範囲がそこまで大規模でないからできた。田舎の方が比較的被害が少なく、俺の高校のように、今も普通に授業をしている学校も少なくない。


 ジリ貧なのは間違いないが、他に取れる手が何もなかった。


 今周囲を飛び交っている戦闘機やヘリも、攻撃ではなく観察するために飛んでいるのだ。現に機関銃の一発も撃っていない。もしかすると地球規模で反撃の手段を練っているのかもしれないが、一般人である俺には知るよしもない。


 聖書で描かれた天使だという説が広まったのもあって、海外では恐慌状態に陥った人々による暴動に発展したが、災害慣れなのか、本来の気質なのか、日本は残された日常になんとかしがみついていた。


 俺たちもそうだ。累依の病状が悪化して都会の大病院に運ばれるまでは、どこかの街が破壊されたニュースを横目に、二人で日常を繰り返していた。幸い、両親の保険金で、食うには困らなかった。累依の治療費も出せた。


 治療のために都会に出れば襲われる可能性は高かったが、少しでも長く累依に生きていて欲しかった。だから、今日ここにいることも、今まさに殺されそうになっていることも、覚悟の上だ。


 俺は累依を守るように、上半身に覆いかぶさり、累依の頭を抱えた。


 だが、いつまでたっても、覚悟した衝撃はこない。


 外では相変わらず戦闘機やヘリの音がしている。


 が、そういえば、建物が壊される音がしない。


 俺は自分の肩越しに、空に浮かぶあいつに再び目を向けた。


 その瞬間――。


「ひっ」


 ――あいつがすぐ目の前に来ていた。


 まるで瞬間移動したかのようだ。テレビで移動原理が不明だと言っていたのはこれだったのかと、身をもって理解する。


 俺はとっさに累依をかばおうと、身を乗り出して両腕を広げた。


 この病室一つ分くらいある巨大な薄桃色の卵。表面にびっしりとある大きな目がぎょろりと俺を見ている。


 羽は微動だにしておらず、どうやって空中に浮いているのか全くの謎だ。ただただまつ毛のない無数の目が瞬きを繰り返している。


 ヘビににらまれたカエルのように体を固くしていると、そいつはまた唐突に、ぱっと目の前から消えた。


「えっ……」


 何度か瞬きしてみても、風景は変わらない。削り取られた壁の向こうは、ガレキの山と青空が広がるばかりだ。


 やがて、戦闘機とヘリの音も遠ざかっていく。


「助かった……のか……?」


 ピッ、ピッ、と累依の生を示す音だけが、規則正しく聞こえていた。



 * * * * *



「はぁ、はぁ、はぁ……」


 喉が痛い。心臓が破れそうだ。息ができない。


 累依るいが急変したという知らせを受けて、俺はホテルから病院へと急いで移動していた。


 どうしてシャワーを浴びになんて戻ったんだ。明日でもよかったのに。どうして。どうして今このタイミングで――。


 ホテルが遠かったのも悪かった。宿泊場所は限られており、前の病院の側から移れなかったのだ。


 後悔しても遅い。


 とにかく走るしかなかった。


 両親の事故の時は、病院からの連絡が遅れて、死に目に会えなかった。だから累依は絶対に看取ってやろうと決めていたのに。


 巨大な卵と遭遇した後、累依は半壊した元の病院から同じ系列の病院に転院した。各地で怪我人が多い中、死を待つばかりの累依を受け入れてもらえたのは、母親が系列病院の医者だったからだ。


 転院直後は環境の変化からなのか容体が思わしくなかったが、それが最近少し上向いていて、少しだけ意識を取り戻す時間もあって、もしかしたらと希望を持ち、同時に油断してしまった。そんなわけないのに。累依の命は残りわずかだとわかっていたはずなのに。


 病院に駆け込もうとした矢先、黒いスーツを着た男に行く手を遮られた。


「止まってください!」

「何っ、俺いま急いでて――」

境優磨さかいゆうまさんですね。お話がございます」

「だから急いでるって――」

「境累依さんは亡くなりました。そのことでお話が」

「は……?」


 累依が亡くなった? 死んだってこと? 間に合わなかったのか。俺はまた……。


 息が限界で、俺はその場に崩れ落ちた。


 ぜー、はーと深呼吸をするが、なかなか息が整わない。


「落ち着いたら、我々と来てください」


 言われて顔を上げると、黒スーツの男は一人だけではなかった。囲んで俺を見下ろしている。


「いや、でも、俺、累依のとこに行かないと……」

「ええ、累依さんには会っていただきます。でもその前に、累依さんについてお話がございます。その後で累依さんの所にご案内いたします」


 高校生に話すにしては、男の態度は丁寧すぎた。病院の関係者が患者の家族に接する態度にしても丁寧すぎる。


 献体の同意書へのサインだろうか。累依は同意していたから、その意を汲むつもりでいる。それとも、医療過誤があったとか、治療費が高くつきすぎたとか、そういう……?


 亡くなったばかりの妹に会わせるよりも先に話さないといけないことって何だよ。


 訳がわからなかったが、だからといって強行突破もできず、仕方なく俺は男たちについていった。


 連れていかれたのは院長室だ。


 応接セットに促され、座った。向かいにはスーツの男が座る。壁際でおろおろしている白衣姿は院長だ。転院初日に挨拶をしたから覚えている。院長室なのに、当の院長が蚊帳かやの外だった。


「特安局の榊原さかきばらと申します」

「はあ」


 特別国家安全保障局は巨大卵対策のために立ち上げられた組織だ。あの日の遭遇についてでも聞きに来たのだろうか。


「境累依さんは亡くなりました。これは事実です」

「……はい」


 俺はうなずいた。


 そんなことはわかっている。まだ顔を見ていないから実感はないが、そう言うのだからそうなんだろう。


 妹の死を知らされたのに動揺していないように見えるのが不審なのか? 泣いていないから? 


 なぜ赤の他人に、そこまで何度も言い含められなければならないのか。


 累依よりも大事な話だと思えなくて、イライラしてきた。早く累依の所に行ってやりたい。


「累依さんは亡くなりました。ですが、その体は、まだ動いています」

「は? ……それは、脳死、的な?」


 一瞬意味がわからなかったが、心臓は動いているが、脳は死んでいるという意味なのかと思った。


 だが、榊原さんは首を振る。


「そうではありません。累依さんは体を乗っ取られました」

「は?」


 今度こそ意味がわからない。乗っ取られた? は?


「累依さんの体には今Unknownアンノウンが入り込んでいます」

Unknownアンノウンって……は?」


 Unknownアンノウンというのは、あの巨大卵のことだ。


 何を言っているのか全く分からない。あの巨大卵が累依の体に入っている?


「精神の一部が入り込んで操っていると言いますか……。我々も正確には把握しておりません。申し訳ありません」


 榊原さんが深々と頭を下げる。


「いや、一体、累依に何が? 動いてるってことは、累依が生きているってことじゃ……」

「いいえ。累依さんは確かに亡くなりました。生命活動が停止し、死亡確認の後、息を吹き返しましたが、脳波は停止したままです。どういうわけか、その状態で、思考し、会話をしています」

「え、いや、ちょっと待ってください……」


 俺は大混乱していたが、榊原さんは淡々と事実を述べていった。


 累依は死亡が確認された後、突然むくりと起き上がり、看護師に悲鳴を上げさせた。そして、自分は宇宙から来た生命体だと話し始めた。


 医師が呼ばれ、奇跡が起きて生き返ったが、せん妄を起こしていると判断された。しかし脳波は全く動いていない。そして体から病状が消えていた。検査ができていないので詳細はわからない。が、見た目は元気そうだという。


 初めは取り合わなかった医者も、医学では説明がつかない事態と、累依が証拠にと近くに巨大卵を呼び寄せたことで、信じるしかなかった。


 そして急遽この男が呼ばれたというわけだ。

 

 これまで全くの無反応だったUnknownアンノウンと会話ができるとなれば一大事。この状況を打破できるかもしれないと意気込んできたはいいが、Unknownアンノウンはサカイユウマとしか話さないとの一点張りだった。つまり、俺だ。


「意思疎通のチャンスなのです。どうかご協力をお願いいたします。全人類の存亡がかかっているのです」

「そんなこと言われても……」


 累依が死んだことさえも実感がないのに、その体が動いていて、宇宙人に乗っ取られていると言われても、ピンとこない。しかもあの巨大卵だというのだ。


「どうか、お願いいたします。この通りです」


 榊原さんが、さらに深く深く頭を下げる。


「具体的に、何をすればいいんですか?」

「まずは情報を引き出してください。地球に来た目的や、なぜ破壊を繰り返しているのか、累依さんの体で何をするつもりなのか。次に、我々に交渉の余地があるのかを確認したいです。破壊を止めてもらうことはできないか、宇宙にお帰り頂くことはできないか」

「俺にできるとは思えませんが……」


 宇宙人との対話だ。意思疎通は可能なようだが、専門の交渉人ネゴシエーターがやるべきことなのでは。


「同席が許されれば、私が直接話します。もしも許されなければ、どうかお願いいたします」

「やっては、みます」

「ありがとうございます」


 さらに深く頭を下げられて、恐縮してしまう。


 早速、ということで、俺はようやく累依に会えることになった。


 累依の病室の前まで行く。


 俺は意を決してノックをしてから、扉を開けた。


「あ……」


 累依がベッドの上で上半身を起こし、窓の外を見ていた。倒れてから、手を持ち上げるのでさえ辛そうだったのに。


 喜びが込み上げたのも束の間、累依がこちらを見た瞬間に、直感した。


 違う。これは累依じゃない。


 言葉ではよくわからなかったが、会ってみてわかった。見た目は累依だけれども、中身が違う。表情やまとう雰囲気でわかる。


「来たか」


 Unknownアンノウンが言った。声は同じなのに、口調が全然違った。


「座れ」


 言われて、側の丸椅子に座る。


「わたくしも同席してよろしいでしょうか」

「構わん」


 聞かれたUnknownアンノウンがこともなげに言うと、榊原さんが俺の後ろに立った。


 俺は、累依の顔をした累依ではないナニカをじっと見た。


「俺に、何の用ですか」


 口をついて出てきたのはそんな言葉だった。


 直後にしまったなと思ったが、もう遅い。交渉するはずなのに、だいぶケンカ腰になってしまった。


「話が聞きたくてな」 

「話? どんな?」

「この星の生き物は、互いに守り合う。それがなぜなのか知りたい。母が子を、雄が雌を。その逆も。お前もこの個体を守っていたな。この体に入ればわかるかと思ったが、まだわからぬ。だから話が聞きたい。なぜなのか」

「なぜって……そりゃあ、大切だから?」

「大切とはなんだ。親が子を守るのはまだわかる。自身の遺伝子を残すためなのだろう。だが、子が親を守ることも、赤の他人を守ることもある。お前も同じ親から生まれたというだけで、この個体が死んだからといって、お前の遺伝子には影響がない。お前が生き残り繁殖した方が目的に適う。それとも、この個体はお前の子を宿すべき母体だったのか?」

「んなわけないだろう!? 累依は妹だ!」


 実の妹相手に、なんてことを言うのだ。


「では、なぜ守ろうとした。しかもこの個体は瀕死だった」

「それでも、俺にとっては、大切な妹だったんだ」

「大切……やはりわからない。未知の行動原理だ」


 Unknownアンノウンは頬に手を当てて、考え込むような仕草をした。


 それが一瞬累依に見えて、ぐっと何かが込み上げてくる。


 ああ、俺はまだ、累依の死を実感できていない。なのに、累依の体にUnknownアンノウンが乗り移っていることは理解できている。


「わかるまで、お前と行動を共にする」

「えっ?」

「行動を共に、というのは?」


 ここで初めて、榊原さんが発言した。


「共に暮らす。この個体がそうしていたように」

「累依さんのことをご存じなのですか」

「わずかだが記憶を読み取った。二人で暮らしていたのだろう。同じ行動をしていれば、わかるような気がする」

「そうかもしれませんね。では、優磨さんと一緒に暮らして頂くということで」


 榊原さんが同意した。勝手に。


「ちょっと――」

「ですが、いくつか問題がございます」


 勝手に決めないでくれと言おうとしたところで、榊原さんが畳みかけた。


「なんだ」

「累依さんは病気でした。治療が必要です。医療体制が整っている所に滞在すべきと思います」

「この肉体は健康体だ。そうした」

「……そうですか。ですが、心配なので、検査はさせていただきたい」

「肉体を損なわない程度なら」

「血液などのサンプルを採取するのは構いませんか?」

「生命維持に影響が出ない程度なら」

「検査中はここに滞在いただきますが、その間、お話を伺えますか。貴方について」

「いいだろう。ただし、そうだな……検査期間は長くとも五日とする。それ以上は駄目だ」

「承知いたしました」


 この言葉で、俺の運命は決まった。



 * * * * *



 帰宅してからも、ルイ――複雑な気分だが生前と同じ呼び方をしろと言われたのでこう呼んでいる――に質問攻めにされた。


 匂いは異性を惹きつけるための物なのに、なぜ毎日風呂に入るのか。雌が体に悪い成分をわざわざ顔に塗りたくるのはなぜなのか。死んだ個体に供え物をするのはなぜか。


 ぼんやりとした累依るいの記憶のお陰で、基本的な知識はあるようだ。理由も、論理的に話せば理解できる。だが、感情が全くわからないようだった。


 それは、ルイの種族の生態が大きく影響していた。


 ルイたちは一生単独で過ごす。卵からかえると、その星の生き物を喰らい尽くし、次の星へと移動する。同種のいる星は避け、絶対に近づかない。本能的に同種を忌避するようになっているらしい。


 理由は簡単で、縄張り争いは無駄だから。


 ルイたちは、星の生き物を根こそぎ喰う。物理的に肉を摂取するのではなく、生物が死ぬ時に生じる摩擦エネルギーのようなものを喰うのだという。だから、破壊を繰り返していた。あれは食事だったのだ。


 同種がいると取り合いになり、時間と労力の無駄なので、初めから近づかないようになっている。だから、他者をおもんぱかる必要がない。残りはえさか敵だ。


 ちなみに生殖は無性生殖だそうだ。といっても自身の完全なコピーを作るわけではなく、喰ったエネルギーを混ぜることで、別個体ができるらしい。地球生物のDNAやRNAとは全く別の仕組みだ。


 ならば同時多発的に現れていた他の巨大卵はと言えば、あれは全てルイだった。瞬間移動――ルイは位相転移と言っていた――していただけで、厳密には同時には一体が一か所にしか存在していない。現在、ルイは精神の一部を累依の体に送り込んでいて、本体は宇宙空間に浮かんでいる。正確な位置は榊原さんが特定していた。


 榊原さんの交渉術によって、俺とルイが共に暮らしている間は、破壊行動しょくじは控えてもらうことになり、巨大卵は現在完全に停止している。どのくらい絶食できるかと聞けば、累依の体を維持するための物理的な食事の他、定期的に生き物を殺す必要があるが、屠畜とちく場に通っていれば、百年くらいは我慢できるらしい。


 俺の役割は、ルイの疑問を解消するための話し相手ではあるが、完全に解消させることのないよう、束の間の平和を引き延ばし続けるということになった。かといって、ルイがもういいやと飽きてしまってもいけないので、程よく答えていく、という微妙なさじ加減が必要になっている。


 そんなことができるはずもないので、俺は普通に答えることにしていた。聞かれたことに、自分なりの答えを返すだけだ。


 ルイ(と話し相手である俺)に危害を加えられたら人類が滅亡しかねないので、俺たちは陰ながら政府の監視と警護を受けている。


 しばらく家で過ごしていたルイは、そのうち中学に通うようになった。病気の後遺症で記憶があやふやだということにしてある。本当は人格も異なっているのだが、ルイは累依の友人たちにも受け入れられたようだ。


 突拍子もない言動は絶えないが、累依の記憶がベースにあり、学習能力も高いので、金を払わずに店から物を盗んでしまうとか、気に入らないから殺し喰ってしまうとか、そういう犯罪を犯すことがないのは幸いだった。


 ある日、ふと聞いてみた。


「なあ、一生独りぼっちだなんて、寂しくはないのか?」

「寂しい? 理解できない」

「死んでも、誰もとむらってくれないんだろう?」


 両親の写真がある仏壇に目をやる。累依の写真はまだそこにない。


「死んだら、その場で崩れて消える。何も残らない」


 そんなの、寂しいじゃないかと俺は思ったけれど、ルイにはやっぱり理解できないんだろう。




 そんな風にして、俺とルイの奇妙な同居生活は何とか続き、累依の十六歳の誕生日――。


 俺はオムライスとケーキを用意した。累依の誕生日はこれが定番で、両親を亡くしてからは俺が引き継いだ。


 ルイは誕生日という概念は知っている。だけど、「祝う」ということは理解できない。


 食卓につけば、「いただきます」と言う。ルールだからそうしているだけで、「食材や作った人への感謝の気持ち」の表れだということは、理解できない。


 スプーンで卵の皮を破り、ケチャップライスをすくい取って口に入れた累は、その瞬間、目を見開き、口に手を当てた。


「美味しい……」


 その仕草が、もう駄目だった。


 これまでも、ちょっとした仕草に、累依の片鱗へんりんを見つけてきた。だけど、これは駄目だった。


 似すぎている。姿形だけでなく、何もかもが。


 なんとなく、ルイのことを他人の空似のように思っていた。累依に似ているだけの別人だと。


 だけど今、これは正真正銘、累依の体で、中にいた累依はもういなくなってしまったんだと、唐突に理解した。俺の大切な妹だった累依はもうこの世にはいないのだ。


 ぼたぼたっ、と水滴がテーブルに落ちる。


 驚いて顔に手を当ててみれば、俺は涙を流していた。


 累依が死んでから三ヶ月、俺はようやく累依の死を実感した。


 ぼろぼろと泣き続けている俺を見て、ルイは立ち上がり、俺の背中をさする。


 そのせいで、さらに涙があふれてきた。


 ルイは、泣いている人にはそう接するべきだ、と知っているからやっているに過ぎない。「慰める」ということを、ルイには理解できないのだから。



 * * * * *



「結局、何もわからなかった」


 ベッドに横たわった、しわだらけのルイが言う。


「そうか」


 あれから八十年が経っていた。


 累依るいの体は老いた。もちろん俺も、だいぶ年を取った。


 ベッドの周りには、俺の子供や孫、ひ孫がいる。


 俺は結婚したが、ルイは独身を貫いた。「愛などわからない」「人間の繁殖には興味がない」と言って。


 代わりに、俺の子供や孫を可愛がってくれた。「可愛がる」を理解できなくても、可愛がっているような行動をしてくれた。だからみな、ルイのことが大好きだ。先立った俺の奥さんも、ルイの正体を知っていたけれど、ルイのことが好きだった。


 だけどそれもここまでだ。


 ルイとの契約はここで終わる。


 二十年くらい前に、榊原さんの何代か後の担当者が、累依の体の限界がきても、別の体に乗り移るなどして、どうにか破壊行動しょくじを止めたままでいてくれないか、と頼んだことがある。その時ルイは、きっぱりと断り、食い下がった彼に、それ以上しつこく言うならこの場で打ち切りにすると言い放ち、本体を地上に移してみせた。


 以来、交渉はタブーとなった。


 地球人はこの日に備えて、どうにか巨大卵への対抗措置を取ろうと様々な画策をし、攻撃手段も準備しているようだが……俺にはとても有効だとは思えない。


 だからきっと、近いうちに人類は滅亡する。俺の子供も、孫も、ひ孫も、巨大卵に喰われてしまうんだろう。


 それはもう、決められた運命なのだ。

 

「ばぁば」


 四歳のひ孫が、ベッドの縁に取り付いた。この子はまだ、ルイが最期の時を迎えようとしていることを、理解できていない。


 ルイが皺だらけの手をゆっくりと持ち上げて、頭をなでる。


 その手つきも、細められた目も、愛情に満ちているように見えるのに――。


「ああ、そうか。これが……」


 ぽつりとルイが呟いた。


 それを最後に、ルイは眠るようにして呼吸を止めた。

 

「おやすみ」


 それだけ言って、俺は病室を出た。


 後ろから、わっと泣き崩れる声がする。孫の一人だろう。


 俺は特安局へと連絡を入れた。まだ泣けない。これが終わるまでは。


「今、息を引き取りました。はい……え、消えた……?」


 通話の向こうから、宇宙空間にいた巨大卵が消えたという言葉が聞こえてきた。


『はい。消えてなくなりました』

「消えたっていうのは、どこかに転移して――」


 早速始まったのかと思ったが、そうではなかった。


『いいえ、砂の城が崩れるようにして、一瞬でちりとなって消えたそうです。現在官邸では――』


 俺はその場にうずくまり、声を上げて泣いた。

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