【短編/1話完結】既知、未知、無知ならどれがいい?

茉莉多 真遊人

本編

 年末の寒い頃。


 スチーム暖房のシューシューシューという音が聞こえてくる、とある普通高校の教室。


 冬至前後のこの時期は、放課後になるとすぐに陽が落ちて辺りが暗くなる。


「…………」

「…………」


 最終下校時刻間近のこの教室にいるのは女の子1人と男の子1人だけだった。


 しかし、2人は近くにいるも会話もせずに女の子の方は軽くそっぽを向いている。


「飛騨さん、どうしたんですか?」


 少し気まずそうに女の子を「飛騨さん」と呼んで話しかける男の子の名前は樋口ひぐち光也みつなり


 彼は男子高校生でも中性寄りな顔立ちをしており、ボサボサで癖の強いうねりを伴った黒髪はどこか寝ぐせの直らない幼い子どものように映る。ちなみに彼は身長が170cmをようやく超えたと喜んでいる素直さもあった。


 彼は、寒い時期だとカッターシャツに緑とえんじ色で縞々になっているネクタイ、クリーム色のセーターに紺色のブレザーまでしっかり着込んで、防寒対策がバッチリ整っていて、さらに外で出るなら紺色のショートダッフルコートも身に着けるほどの寒がりだ。


「別に? 何もないが? あぁ、樋口くんとは今日何もなかったとも」


 綺麗な顔立ちをぶすっとした表情で曇らせている女の子の名前は、飛騨ひだ満菜みつな


 彼女は綺麗な顔立ちに似合った艶のあるさらさらとしたセミロングの黒髪で、ツリ目がちな目の中にあるこげ茶色のつぶらな瞳で頬杖をついていた。


 彼女は、彼と同じく高校指定の紺色の制服やスカート、クリーム色のセーターを着込んだ上で、近くの机にキャメルカラーのダッフルコートとマフラーを無造作に置いている。


「……僕が来るのが遅くなったから、今日は飛騨さんの虫の居所が悪いようですね。すみません、もう帰りましょうか」


 樋口は取り付く島もなさそうな飛騨の態度に困った様子で帰宅を促す言葉を発する。それから、ガタタッと椅子を後ろに引く音を出してから、ゆっくりと立ち上がってカバンとダッフルコートを手に持とうとしていた。


「樋口くん、教えてくれないか?」


 樋口が帰りそうな音を出してから、ようやく飛騨がいつもより低めの声で彼に話しかけ始めた。


「飛騨さん、それはひみつ研究同好会の活動でしょうか?」


 ひみつ研究同好会。


 この2人は高校で出会い、お互いに苗字と下の名前から「ひ みつ」と言うことで秘密研究同好会という集まりを飛騨の方から発足した。なお、飛騨も樋口も同級生であり、同好会に部費は出ないため、言わずともただの放課後仲良し倶楽部である。


 これまでの活動は基本的に放課後に勉強したり、お喋りしたり、図書室の本を読み合ったり、一緒に帰ったりという学生らしい過ごし方をしているだけで「秘密」という言葉に関する活動はほぼ皆無だった。


 なお、同好会の会員は2人だけであり、正式名称は「秘密」と漢字だが、2人の間では「ひみつ」とひらがなのイメージで通っている。


「どうだろうな。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない」


 もったいぶっているのか、はたまた、本当にどちらとも言えない内容なのか、飛騨は歯切れの悪い言い方をして樋口の問いに答えた。


 樋口は飛騨に聞こえないように小さな溜め息を吐く。


「分かりました。僕に答えられることなら答えますよ」


 樋口が再び椅子に座り飛騨の方を向いて話そうとするが、飛騨は先ほどと変わらずにそっぽを向いていた。


「樋口くんは、既知、未知、無知……の女の子ならどれがいいんだ?」


 飛騨の唐突な問い。


 樋口は眉間に軽くシワを作りながらしばらく考えてみた後に降参とばかりに両手を軽く上に挙げた。


「……えっと、質問の意味がまだ分かっていないので、詳しい説明をお願いできますか?」


 もちろん、樋口の降参ポーズを飛騨が見ているはずもないが、飛騨は樋口の「分からない」と素直に答えた雰囲気を察して口を開く。


「あくまで、恋愛漫画の話だがな」


「あぁ、恋愛漫画の話なんですね?」


 樋口は「恋愛漫画」というキーワードと3種類の女の子の話から、好きな女の子のタイプを聞かれているのだと察し始めてゆっくりと頷く。


「男子の読むラブコメの女の子は、その3つのカテゴリなのではないかと思っている」


「割と強引な気もしますが、続けてください」


 樋口はもっといろいろなタイプがいると思いつつ、飛騨の話の腰を折っても仕方ないと判断してひとまず聞く体勢に入った。


 飛騨が説明を始める。


「既知の女の子とは、つまり、幼馴染の女の子だ」


「なるほど。昔から知っている幼馴染は既知ですか。同い年に限らず、年上でも年下でも、幼馴染は王道ヒロインですからね。僕には幼馴染と呼べる子はいませんから共感が難しい部分もありますけど」


 既知の女の子は幼馴染のこと。


 樋口はそうインプットした。その上で、自分にはそう呼べる者がいないと飛騨に告げる。


 飛騨は樋口の見えない所で小さくガッツポーズを取った。


 そう、飛騨は樋口に片想い中なのである。


「次に未知の女の子とは、つまり、これからもっと知りたくなったり、そもそも知ることもできないようなミステリアスな雰囲気を持っていたりする女の子だ」


「なるほど。これから仲良くなれるような女の子とか、なんだかんだで主人公を助けてくれたりするいい女の子のことですね。このタイプの女の子は魅力的だから、コアなファンがついていることもありますよね」


 樋口は先ほどよりも食いつく感じで答えている。


 樋口にとって、目の前の飛騨こそもっと知りたくなる未知の女の子だからだ。


 樋口もまた飛騨に片想い中である。


 飛騨と樋口はいわゆる両片思いの関係にあり、互いに特別な感情を持っているものの、普段の距離感に安心しているためか、2人の仲の良さを示すと同時にどこか性別を感じさせない悪友どうしのような中途半端な雰囲気を醸し出していた。


「最後に無知の女の子とは、つまり、『えー、私、これ分かんないんだけどぉ、ひぐっちゃん教えてぇ? 勉強得意なんでしょぉ? ねぇ? お願い♡ お願い♡ お願い♡』とか言って、1時間も時間を割いてもらっておきながら、聞いてきた勉強と関係ない雑談をしつつも、しっかりと色目を使ってくるような輩だ」


 飛騨は先ほどまでと打って変わって、説明の途中にいつもなら絶対に出さないような甘ったるい声にキャピキャピしたような感じのセリフを入れ込んだ。


 さらには、「女の子」ではなく、「輩」と呼ぶあたり、彼女の無知な女の子に対する心象ははっきり言って良くないだろう。


「……なんか説明に棘がありませんか?」


「ないが?」


 樋口が当然の聞き返しをするが、飛騨は先ほど以上にムスッとした声色で樋口を突き放すように呟く。


「その、説明が具体的すぎるというか、1時間ほど前に聞いたセリフに似ているような」


 樋口が「ひみつ研究同好会」の集合に遅れた理由は、まさにクラスメイトの女の子に勉強の教えを請われたからであり、応用問題を2,3問だけ指を差されたのでかかっても20分程度だと思っていたら、雑談の方が多くて1時間ほど費やしてしまったためでもある。


 ただし、「ひみつ研究同好会」は参加に無理強いをしない活動であり、どちらかに用事があれば別に帰ってもいいことになっている。


 つまり、樋口が遅れて飛騨に非難される理由もない。


「な、い、が?」


「……えっと、あれ、ですよね。無知やちょっとだけ常識外れな感じを武器に主人公に近付いてくるタイプですよね。このタイプは割とボディタッチが多くて、ドキドキさせてくる感じもあって、あとは後輩系女子もその立ち位置にいることありますよね」


 樋口はいろいろと諦めて、恋愛漫画の話だと気持ちを切り替えた上で率直な感想を述べる。


 樋口も男だ。女の子からのボディタッチがあれば、意識をせざるを得ないのだろう。そのため、彼はドキドキという言葉でそれを表現した。


 もちろん、飛騨がそれを聞き逃すわけもなく、ピクリと小さく反応して、樋口から見えないことを知っていて、表情がものすごく険しくなっていた。


「ふうん……ボディタッチでドキドキか……で、どれだ?」


「どれ、とは?」


「どれが好きなんだ?」


「あ、あぁ、そうでしたね。そういう質問でしたね」


 すっかり元の質問を失念していた樋口は飛騨から改めてどのタイプが好きかと言われて、少し唸ってみて悩んだふりをする。


 彼がちらりと時計を見ると、時間はあまり残されていなかった。


「…………」


「ところで、飛騨さん、こっちを向いてくれますか?」


 樋口はいまだに自分の方を向いてくれもしない飛騨にそうお願いをした。


「…………」


「飛騨さん、答えますからこっちを向いてほしいです」


 樋口の2度目のお願い。


 答える代わりにこちらを向いてほしいという要求。


「……嫌だ」


 樋口のお願いは虚しくも聞き入れてもらえず、飛騨の答えはつれない感じの「NO」だった。


 しかし、ここで諦める彼ではない。


 彼はすっと立ち上がって回り込み、そっぽを向く飛騨の顔を向き直す前にしっかりと目線でがっちりと捉えた。


「飛騨さん、僕は飛騨さんと顔を見てお話をしたいです」


 とっさに目尻を拭いていた飛騨がその手で口元をさっと隠した。


「あ、あぁ……そうか。私もそろそろ樋口くんの方を向こうと思っていたところだ」


 樋口は近くにあった椅子に座ってじっと飛騨を見つめる。


「そうでしたか。それで、僕は、未知の女の子がいいですね」


「……ほう」


 樋口の回答に、飛騨は嬉しそうな高めの声で反応する。口元こそ隠していて誰にも見えないようにしているが、目元はしっかりと笑みを浮かべていた。


「既知の女の子もいいなと思いますけど僕にはいませんし、無知な女の子よりも、これからもっとお互いに知っていこうと歩み寄れるような未知の女の子に惹かれます」


 樋口が誰をイメージしているかは一目瞭然だ。


「そうか」


 ただし、飛騨を除いて。


 いつもならここで普段通りの会話になる2人だが、樋口はここぞとばかりに打って出る。


「飛騨さんは僕にとって未知の女の子ですよ」


「えっ……あっ……」


 樋口の口から出てきた未知の女の子に惹かれると言った後の飛騨が自分にとって未知の女の子である宣言。


 飛騨はいつになく目をぱちくりさせて、普段の中性的な口調と雰囲気はどこへやら、顔をもはや隠せないほどに真っ赤にしていた。


「……ひみつ研究同好会、もっといろいろと活動していきましょうね」


 ここで樋口は押しきれなかった。


 告白の言葉を口から出すことなく、あと一歩というところで普段通りの会話に戻してしまう。


「あ、あぁ! ももも、もちろんだとも! と、ところで、樋口くん? もう1つ追加で質問だ……い、いいかな?」


 飛騨はまだ気持ちが落ち着かないようで、逸る気持ちから言葉がうまく出てきていなかった。


 そんな彼女が面白くて、樋口は思わず柔らかい微笑みを浮かべながら縦に数回頷く。


「はい、なんでしょう?」


「先ほどの質問に絡めてだが、ムチムチ、ミチミチ、キチキチの女の子ならどれがいいんだ?」


 笑みを浮かべていたはずの樋口の時間は数秒止まった。


 飛騨の質問の意図するところがまったく読めなかったためだ。


「……えっと……うーんと……ムチムチはともかく、ミチミチとキチキチに関して言えば、適切な服を着てほしいなって思いますね……」


 飛騨の意味不明な質問に、やはり困惑を隠しきれずに素直にそう答える樋口だった。


 2人の恋の成就はまだまだ遠い。

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