退魔巫女ハナミズキ

あるべぇ

第一話:自由を謳歌する囚人

 ふわぁ、と大きく口を開けてあくびをする。

 いつもなら高校の教室で退屈な授業を聞きながら休み時間を心待ちにしている頃だが、今日は休日。何者であろうと私がコタツでぬくぬくするのを妨げることはできない。

 上半身をコタツ布団に滑り込ませ、居間のカーペットに体を横たえる。

 幸福。

 日本で生まれ育った感謝と誰にはばかることなくこれができる自由を噛み締めていると、伸ばした足をペシペシと蹴られた。

「ハナ、邪魔」

 一瞬遅れて聞こえたのは、小さな抗議の声。

 見ると、コタツの反対側では双子の姉──ツキが読書をしていた。

 文句を言いながらも、手元の本から視線を上げない。

 それがなんとなく悔しくて、足を引っ込める代わりに頭から突っ込む。

 完全に油断しているツキににじり寄り、コタツから飛び出すと同時に抱きついた。

「ちょ、ハナ!」

「ツキもぬくぬくしようよ〜」

 抵抗するツキにぎゅーぎゅーと抱きつく反動で体がバランスを崩し、二人揃ってカーペットに倒れ込む。

 下敷きになっているツキを見て「やってしまった」と後悔する。

 口数は少ないが、怒らせると怖いのがツキだ。次に発する私の一言が、今日の残り時間の平穏を左右すると言っても過言ではない。

 考える時間は少ない。

 IQ8192の頭脳を高速回転させながら、パチパチと瞬きをするツキの顔を見てついにその答えへと至る。

「まつ毛が長いぞっ⭐︎」

 べしっ。

 私のおでこに無言のチョップが炸裂した。

「ご、ごめんじゃ〜ん!」

 不機嫌そうに眉をひそめるツキに抱きつこうとするが、今度は頬をぐいっと押されて叶わなかった。

 その瞬間、悪寒のような感覚を覚える。

 同じものを感じていたのだろう。ツキと視線を合わせると、二人同時に立ち上がった。

「<風神・招来>ッ!」

「<雷神・招来>」

 短い詠唱の後、私たちの全身から光が溢れる。

 それが収まるといつも着ているパジャマではなく、私たち専用の巫女服。退魔巫女の装束に身を包んでいた。

 私の風神とツキの雷神。一対の神をそれぞれの体に招いたことを確認すると、私たちは身を翻す。

「花美、美月」

 背後から呼ばれて振り返る。

 お母さんがテーブルでみかんの皮を剥いていた。

 キレイに剥けたそれを置き、いつもの優しさの中に確かな鋭さを秘めた眼差しで私たちを見据える。

「今日の夕飯、何がいい?」

「このタイミングで?」

「ハンバーグ」

「じゃあハンバーグにしましょう」

「え、ズルい! ハナはカレーがいい!」

「ダ〜メ〜。ツキが予約したも〜ん」

 いたずらっ子の表情でツキが窓から飛び出し、私も慌ててそれを追いかける。

「お昼ご飯までに帰ってくるのよ〜」

 呑気な声を背中に聞きながら、私たちは宙を跳んだ。


  *


 最初はなんとなく感じるだけだった。

 それが近づくにつれてハッキリと感じ取れるようになり、やがて肌を刺すような気配に晒される。

 ようやく見えたそれの周囲に人影はなく、土曜日の午前中だというのに駅前は不気味なほど静まり返っていた。

 妖魔。人の大きすぎる感情が溢れ、形を成した怪物。

 個人か、あるいは集団か。どちらかは知らないが、ともかく誰かから発生したそれがいる。

 まるで人形を墨汁に漬けたような人型の影は、刃物で裂いたような口からぶつぶつと言葉をこぼしながら誰もいない交差点をうろうろしていた。

 私たちは妖魔から少し離れた場所に降り立つと、なるべく大きな声で言う。

「霧島花美です!」

「美月です」

 せーの、とタイミングを計り……

「ハナミズキです」

 ……と声を揃えて自己紹介する。

 何事においてもまずは挨拶だ。忍者だってそうする。

 対する妖魔は明らかな戸惑いを見せた後に。

「ア、エ、自由、デス」

 と挨拶を返した。そのワードが名前なら、だけど。

 妖魔によっては理性なく暴れるだけの場合もあるが、今回は違った。

 そして困ったことに、このタイプの妖魔の方が強い傾向にある。

 先手必勝。

 よしんば一撃で祓おうと、拳に風を集めて距離を詰める。

 私史上最速の判断と動きだと自負していたが、しかし妖魔の方が一枚上手だった。

「自由ダァァァッ!!」

 耳をつんざくような叫び声。

 その咆哮が大地を揺らし、駅ビルの窓が次々に割れていく。

 あまりの衝撃に私たちも吹き飛ばされ、背中からコンクリートに叩きつけられた。

 肺から空気が全て押し出され、間髪入れず流れ込んだ新鮮な空気に激しく咳き込む。

 死に物狂いで体を起こし、涙で霞む視界に飛び込んできたのは、無謀にも妖魔に歩み寄るツキの背中だった。

 呼び止めようとするも声を出せず、手を伸ばしても届かない。

 そんな私に気づいたのか。ツキは振り返ると、いつもと変わらない微笑みを浮かべた。

「大丈夫だよ」

 妖魔の叫び声にかき消されて私の耳には届かなかったが、その表情から言っていることはわかった。

「仕事、飲み会、終ワッタ……ヤット、自由ダァ……!」

 どうやらこの妖魔は、平日のお仕事から解放された社会人の感情から生まれたらしい。

 気持ちはわかる。私も自由を謳歌していたから。

 ツキが妖魔の前に進み出て、背筋を伸ばして対峙する。

 妖魔もまた、彼女へと向き直った。

 一触即発。両者の間に静かな緊張が走る。

「あなたは自由らしいけど……」

 先に口を開いたのはツキだった。

 いつもと変わらない静かな、しかしよく聞こえるようにハッキリとした口調だ。

「本当に自由なのかな?」

「……ハ?」

 おっと流れが変わった。

 激闘が始まりそうな気配から一転、なんかすごいことを言い出した。

「だって休日に入ったってだけでしょう? それは自由なの?」

「……仕事ガナイ。時間ヲ拘束サレナイコトガ自由ダ」

 お前も答えるんかーい。

 とりあえず何かあった時のため、こっそりとツキのそばに寄っておく。

 ツキは小首を傾げながら考えていたが、やがて再び口を開いた。

「お仕事で時間を拘束される。それは確かに不自由だね」

「ソウダ。ダカラ仕事ガナイ日ハ自由ダ」

「それは違うと思う」

「エ」

「休日は確かに"不自由ではない日"だけど、それと自由はイコールじゃないでしょ」

「ムゥ……?」

 今度は妖魔が小首を傾げて考え込む。

 仲良いな、こいつら。

「ナラ、自由トハナンダ?」

「うーん……束縛されないこと?」

「束縛トハナンダ?」

「何かに縛られることだね」

「ソウダ。ソシテ、法律ヤ常識モマタ、束縛ノ一種ダ」

「確かにそうかも」

「ナラ、ソレラニ縛ラレルコトナク好キニ行動デキル俺ハ、自由ト言エルノデハナイカ?」

 諭すように言う妖魔。

 言っていることは理解できるし、納得もできる。法律や常識に縛られない妖魔は自由を手にしていると私も思う。

 しかしツキは納得していない様子で、まだ「うーん」と唸っていた。

「でも、法律とか常識以外のものに束縛されてるじゃん、あなた」

「トイウト?」

「自分が自由だって主張」

「……ホウ」

「自由だと主張するってことは、自分の意思で自分の立ち位置を望む側に縛り付けようとしてる。それは真に束縛がないと言えるの?」

「グッ……!」

 妖魔の体がビクリと小さく跳ねた。

「そもそも考えるって行為自体が束縛だよね。だって自分の思考で視野を狭めてるんだから」

「ググッ……!」

「そう考えると、自分が自由であるってことの証明は難しいね。考えなければそうと言えるかもしれないけど、私たちが認識できない上位存在に操られてる可能性があるし」

「ウゥゥァァァァ……。オレガ……自由デハ……ナイ……?」

「それはわからないけど、一つだけ確かなことがあるね」

「ソレハ……?」

 すっかり自信をなくして……どうしてそうなったのかはわからないけど。小さくなってしまった妖魔に、ツキは胸を張って答えた。

「あなたが休日でも他に働いてる人がいるの! 迷惑かけちゃダメでしょ!」

「ウワァァァァアアアアア! ゴメンナサイィィィィイイイイイイイ!」

 断末魔をあげながら妖魔の形が崩れていき、やがて完全に消えてしまった。

 何を見せられていたんだ、私は。

 振り返ったツキは気持ちの良い笑顔を浮かべながら親指を立てると、糸が切れた操り人形のように力なく倒れてしまった。

「ちょっと! なにやり切った感じ出して倒れてんの!」

 体を揺すって起こそうとしてもダメで、結局、私がおんぶして運ぶしかなかった。

 二人が話していた内容はサッパリ理解できなかったけど、ツキがだいぶ自由に生きていることは間違いないと思う。

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