死神アイスブレイカー

桜木 菊名

第1話

 長い受験生活が終わり、期待に胸をふくらませながら訪れた大学の入学式に、死神がいた。


 いや、私は霊感れいかんもないし、隣に座った女の子も驚いたように凝視ぎょうししているから、やっぱりただのコスプレした人間だろうか。

 だとすると完全にヤバい奴である。


 死神は、真新しい黒いスーツを着込んだ新入生の群れに混じって、黒いローブに骸骨がいこつのような仮面、そしてダンボールで作られた鎌を持っていた。花粉症なのか、時折くしゃみをし、その度にダンボールの鎌が揺れる。

 

 私は笑いを堪えるのに必死で、おごそかな式典の間、学長先生の言葉も、来賓らいひんからの挨拶も全く耳に入らなかった。


「なんかすごい人いましたね……」


 集中出来なかった入学式を終え、学科ごとに教室へ移動しているところで、隣に座っていた女の子から話しかけられた。

 ぞろぞろと講義棟に向かう新入生の波に、もちろんあの死神もいた。


「あれも、新入生なんですかね……」


 不安そうに眉をひそめる私の隣で、彼女はもう堪えきれないというように腹を抱えて笑う。

 その鈴を転がすような音に釣られて、私も強張っていた緊張が解けていくのを感じた。


「私、経済学科の松野梨花まつのりかっていうの」


 一通り大笑いした後、彼女は笑いすぎて出た涙を拭きながら自己紹介をした。


「私、三島あおい。私も経済学科!」


 じゃあ、一緒だね、と梨花りかちゃんは微笑む。

 大学で、初めて友達が出来た喜びを噛み締めながら、私達は指定された教室へ向かった。



 高校とは違う、真っ白な床に無機質な長机が立ち並ぶ教室へ入ると、また死神がいた。よりにもよって教授達がいる真ん前の席に。

 教授は、そんな異常な生徒がいることなんて気にも留めないように、すました顔で並んでいた。


 ーー大学ってタヨーセーってやつを受け入れてくれるのかな。

 

 高校だったら、変な格好をした生徒がいただけで職員室へ連れて行かれていただろう。だから、死神を見ても咎めもしない教授の姿は新鮮だ。

 ここにも、見た目は普通だけど、中身は個性的な人がたくさんいるかもしれない。

 私は新しい仲間達に期待を膨らませながら教室を見渡した。


「はい、では、これからみなさんに自己紹介してもらいます」


 新入生が一通り教室へ入ったことを確認すると、にこやかな女性の教授が教室の右端に座っていた男子学生を指名した。


 彼は戸惑いながらも、自分の名前と出身地、趣味なんかを答えていた。

 後ろの学生もそれに倣い、次々と自己紹介をしていく。ついさっきまで、「ただの学生」だった人達がパズルのピースが嵌るように、「本田くん」や「山本さん」に変わっていく様を、私は興味深く眺めていた。



 私と梨花りかちゃんも自己紹介が終わり、次はとうとう死神の番だ。心なしか、みんな固唾かたずを飲んで見守っている気がする。


 そんな期待に応えるように死神はボソボソと話し始めた。


「名前は死神です。あだ名は山口健斗やまぐちけんとです。福島から来ました。趣味はゲームです」


 教室が一瞬、静まり返った。ふと、隣を見ると、梨花ちゃんの肩が小刻みに震えている。

 次の瞬間、どこからか、吹き出す声が聞こえると、教室は一斉に笑いに包まれた。


「あだ名が山口って……」


 梨花ちゃんはツボに入ってしまったのか、とうとう机に突っ伏して笑い出してしまった。


 教授は、そんな学生の様子を微笑ましそうに眺めている。


「はいっ、では、みなさん一通り自己紹介が出来ましたので、これからの学生生活について説明しますね」


 そう言って、これからの大学での過ごし方や、授業の取り方をスライドに映しながら説明してくれた。

 一通り説明が終わると、今日は解散だ。

 死神は、教授の話が終わるや否や、そそくさと教室を後にした。


「結局、どんな人かわからなかったね……」


 梨花りかちゃんは死神がいなくなった席を寂しそうに見つめながら「話しかけてみたかったなあ……」と呟いた。

 その言葉を聞きつけた周りの女の子達が、ぞろぞろと集まって来て、先程の死神についてみんな思い思いの感想を述べた。


「大学って個性的な人がいるって聞いていたけど、こんなにぶっ飛んだ人がいるとは思わなかったー」


 そう言って笑ったのは、サラサラのセミロングに笑窪えくぼが可愛い結衣ゆいちゃん。


「でも、なんで死神の格好してるんだろう?」


 眉をひそめながら「厨二病かな?」と言うのは、赤い縁のメガネにふんわりボブのゆかりちゃん。


 意気投合した私達は、連絡先を交換して、大学から駅までの道を歩いて行った。別れ際に、明日の履修相談会で会おうと約束して。



 そして、その翌日は、雨だった。私は春らしいピンクのトレンチコートに花柄の傘をさして意気揚々と大学へ向かった。

 講義棟の前には、昨日仲良くなった梨花りかちゃんと結衣ゆいちゃん、そしてゆかりちゃんがいた。

 みんなで経済学科の履修相談会をしてくれる教室へ向かうと、そこには二年生の先輩と、私達のような新入生が何人も集まっていた。


 入り口のあたりで戸惑いながら立ちすくんでいると、一人の先輩が優しく声をかけてくれた。その人に促されて、私達も履修相談の席に着く。


 高橋さんというその先輩は、シラバスの使い方、一年生の前期で取らなければいけない授業、単位認定の甘い教授の話など色々と教えてくれた。

 真っ白な時間割の八割がた埋まったところで、後ろの方でざわめきが聞こえる。

 気になって振り向いてみると、扉の前に、あの死神がいた。

 雨の中、傘も刺さずに歩いて来たのか、ダンボールの鎌はへにゃりと曲がってしまっている。


 私がその様子を呆然と見つめていると、死神は私達の前までやって来て、飴玉と、「歓迎会のお知らせ」と書かれたプリントを渡してくれた。


 私が怪訝そうな顔で、飴玉を見つめていると、後ろで、高橋さんが「健斗けんとさんおつかれさまでーす」と笑いながら言った。


健斗けんとさん?」


 驚きながら高橋さんと死神を見比べていると、死神はおもむろに濡れたローブのフードと、骸骨のようなマスクを脱いだ。


「もー、雨のせいでマントも鎌もビチャビチャだよ」


 サイアクーと呟きながら濡れたローブも脱ぎ捨てる。中から出て来たのは、日に焼けた快活そうな男性だった。見た目だけで言えば、厨二病のヤバいやつには見えない。


「どういうことですか……?」


 不思議に思って高橋さんに尋ねてみると、彼は笑いを堪えながら説明してくれた。


 曰く、この学科の伝統として、三年生が仮装して新入生の入学式に参加する、というものがあるらしい。

 だから、教授も死神を受け入れていたのか、と私は妙なところで納得した。


「でも、一体なんのために……?」


 怖がってしまう子もいたんじゃないだろうか、と思って顔を顰めると、高橋さんは気まずそうに答えた。


「まあ……。最初は悪ノリだったんだろうけど……。意外に、新入生同士が話すきっかけになるなって話になったらしくて……。

ほら、ヤバいやつがいたら、隣の人に『何アレ』って思わず言っちゃうでしょ?」


 なるほど……。確かに私達が仲良くなったキッカケは死神だった。


「でも、なんで死神……?もっと可愛いのは無かったんですか……?」


 ゆかりちゃんが尤もなことを言う。確かにおめでたい入学式に死神は縁起が悪すぎる。

 梨花ちゃんや結衣ちゃんも同意するように頷いている。


「いや、最初は、うさぎの着ぐるみとかも考えられてたらしいんだけど……。目立ちすぎて恥ずかしいからって、同じ黒い色の魔法使いの格好になって、でも顔が見えるとニヤけてるのがバレるからって、最終的に死神になったらしいよ」


 私達の追求に、高橋さんはしどろもどろになりながら答えた。


「まあ、大学って、高校のクラスとは違って、みんなで何かをする機会ってあまりないから、死神で新入生を驚かせるってやってみると楽しいよ?」


 そういうものだろうか?

 私は釈然としないまま、教室の隅に脱ぎ捨てられた死神の衣装を見つめていた。


 あの頃の私は、大学という場所そのものが未知の世界だった。高校よりずっと個人主義で、自分から積極的に動かないと友達も出来ない場所だなんて考えもつかなかった。

 だから、高橋さんの言った意味がよくわからなかったのだ。


****


 あれから十年近くが経った。

 梨花りかちゃんは結婚して専業主婦に、私とゆかりちゃんはOLに、結衣ゆいちゃんは中学の先生として、それぞれの道を歩んでいる。


「あおい?どうしたの?」


 梨花りかちゃんに声をかけられて、私はハッと我に返った。

 今日は久しぶりに四人で会う約束をしたのだ。桜並木が見えるカフェで、お茶をしながら、ふと私達が出会った日のことを思い出していた。


「なんかさ、うちの学科の死神コスプレ、何年か前に廃止になったらしいよ」


 私が言うと、梨花ちゃんが「なんでー?」と不思議そうに首を傾げる。


「 SNSで受験生とかにバレるようになったからなんだってー」


 スプーンでミルクティーをかき混ぜながら答えると、紫ちゃんは「時代だねー」としみじみ答えた。


 そう。時代だ。

 SNSのおかげで、卒業してから何年も経った後もお互い何をしているかなんとなくわかるし、気軽に集まろうと言い合える。

 だけど、瞬時に情報が共有されるおかげで、大学の学科内でひっそりと行われていた伝統行事は白日の元にさらされてしまった。

 あの驚きが無ければ、死神は役目を果たせなくなっていっただろう。


 最初は騙された、揶揄からかわれた、と思った死神だけど、彼が居なかったら、引っ込み思案な私は、入学式で話しかけて、みんなと仲良くなることが出来ただろうか。


 ふんわりと飲み頃になったティーカップに口をつける。優しいミルクの味と、くっきりとしたアールグレイの味が口に広がる。


 新しい大学生活に緊張していた私の前に現れたあの死神の衝撃。今の学生はその気持ちを味わえないのか、と思うとなんとなく残念に思える。


「なんか寂しいね……」


 結衣ゆいちゃんが私の気持ちを汲み取ったようにしんみりと呟く。


「ね。あの死神、今思い返すと楽しかったよね」


 梨花りかちゃんも頷きながら答える。


 みんな同じ気持ちであることに、私の胸に温かいものがじんわりと広がった。


 何年経ってもあの日の衝撃を語り合える。

 その思い出をくれた死神に感謝しながら、私はティーカップの残りを飲み干した。

 外には、あの日と同じように桜の花びらが舞っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

死神アイスブレイカー 桜木 菊名 @sakuragi-kikuna

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画