文学的包茎とその受精について。

@suimihoro

第1話

 文学的童貞である。


 失礼。正確ではない。文学的素人童貞、あるいは文学的生娘というべきだろうか。懐古主義の友人達は日頃から紙で出来たそれを愛し、しこりしこりと現を抜かしていたのであった。言語道断。僕たちを蝕む悪しきものだ。大体、効率とは程遠い。

 決して、文盲ではない。しようと思えば、あらゆる時代の、あらゆる地域の、民話から小説、果ては論文まで想起出来る。足りなければ書庫ライブラリに行けばいい。司書に声をかければ、望みのものを取り出してくれる。かつて本と呼ばれていたものは、電子チップとなり、触れれば即座に展開される。望めば端末に送っても貰える。わざわざ読まずとも、映像が展開される。飽きれば倍速にしたっていい。

 勿体ない。懐古主義者はたった一言、下らない理由で紙を廃止しない。非効率である。僕は長らくそう考えていた。


 いにしえから、効率が悪い。


 友人と呼ぶのも馬鹿らしい。

 懐古厨の爺……失礼、連中はやれあれがよかった、これがよかった等語ってくる。全く無稽ナンセンス極まりない。僕は童貞である。それは誇るべきことだ。あのねちゃねちゃと音を立て、体液を交換し、交感する。独特の臭いを吐き散らし撒き散らしながら、だ。信じ難い。あのような下劣極まりない……非人間的な……。

 無論、不要ならば、すべきではない。我々は結論づけた。今ではより良い効率で行われている。そもそも、既にその段階を脱したのだから……。

 我々にとって、不便とは時たま愉しむ行為に過ぎない。タップして発声する。それだけで事足りる。前述の通り、読みたいと思えば作品名を口にすれば端末からインストールも可能だ。素晴らしき哉! 歩行や食事も、敢えて楽しむことはない。思い出したときにすればいい。病とも無縁である。我々は完璧な個であり、完璧な群でもある。

 嗚呼、僕はしかし、魅せられてしまった。だからこそこうして長々ダラダラと無意味かつ不明瞭な文字を(しかもこんな旧世代アナログな方法で!)起こしているのだ。笑われぬよう、惨めったらしく地に這いつくばりながら書いているのだ。おお、なんということか。蒲団に突っ伏しておいおいと泣きながら文字に溺れている。

 僕は狂った、狂ってしまった。頭の中が支配されている。白と黒。たかが白と黒に!

 書庫には旧世代的な書物というものはない。ない筈のものが存在していた。懐古主義の誰かしらが持ち込んだのか、新しいデータとして保存する為置かれていたのか。否、それはありえない。見知った題目タイトルだった。飽きるどころか腐り落ちて、諳んじることすら容易い。あらゆる場所で一度は見たことがある作品だった。

 忌々しい! どうして開いたのだ。僕は僕を恨む。怨んでいる。憎んでいる。懐かしさに、思いついた行為を試した僕を。そもそも行為を、好意を思い出させた存在を。開いた瞬間に、現れた。


 白の紙に、黒の文字。女だ。僕の知らない肉だ。生々しい肉体が両の腕を広げて笑っていた。


 ふつふつと全身の毛穴が開く音がしていた。目は文字列を追うことを止められず、体の真ん中にふつふつとマグマに似たものが蠢き始めていた。紙を捲る指先は震え、汗がじっとりと滲む。微動だに……そうだ。突っ立ったまま、僕は犯されていたのだ。紙を捲り見知った物語を暴く癖に、僕は犯されていた。目から凄まじい量の情報が全身を駆け巡り、それこそ黴臭いような、嘔吐きかねない臭いの紙体女体を貪っていたのである。

 一つの文字が無数の意味を孕み、指先から這い上がって噛む。おい、この文字をお前は知っているか。知っていたか。何かおかしくはないか。尋ねたくなる衝動。僕を、蝕んでいた。

 知った筈だ。幼体の僕は繰り返しそれを展開エキストラクトし、人物達を見ていた。見ていたのである。呆れ、飽きて、腐る程見ていた。だのに、僕は沸騰していた。頭の中から全てのデータを放出する、そんな、快楽。愉悦。ぱたり。阿呆らしい、実に、実に軽やかな音と共に手から滑り落ちた。醜くも息を荒らげ、僕もまた、へたりこんだ。緊張しきった足は重く、弛緩した体。中央がぐつぐつと煮えていた。

 は嗤っていた。僕の真ん中に其奴は無遠慮に巣食ったのだ。巣食うだけならばいい。然し、アレは害悪である。僕の思考メモリを1bitずつ貪る。寄生虫を彷彿とさせる。下そうとすればする程に、僕の脳髄から文字が溢れていく。同時に、パンと弾けさせる。熱を放出することしか考えられなくなる。猿以下である。

 たかが本だ。本ではないか。ひとつひとつを見れば文字である。意味を持たない、文字。百も集まれば虫にも見える。複数集まれば単語となり、一応の意味が通る。ばらばらであれば、形がわかる程度。それが、全て集まれば文となり、物語となる。意味がわからない。これはタチが悪い。情報となり、僕を食う。読まれるだけの存在が僕を犯す。有り得ていい筈がない。僕が犯すべきだ。僕が管理せねばなるまい。こんな不合理、あってはならない。

 コードと変わらない。プログラムと変わらない。数式と何が違う。僕はあの無駄のない美しさに陶酔していた。時折見える綻びに微笑み、慈しんでいた。違うか?

 掻き毟った頭からフケが落ちた。……嗚呼、あってはならない。体は常に清潔でなければならない。饐えた臭いは赦されない。長く伸びた爪が欠けて、持ち出したままのがにやついている。お前が。お前が悪いのだ。破ってしまえばいい。ページを一から順に破れば良いのだ。破って、意味がわからない羅列に変えた末、焼けばいい。僕の頭には免疫セキュリティがある。掻い潜って来たこんな細菌ウイルスはスキャンして、駆除すればいい。ぐしゃりと潰れた紙の、歪んだ文字の。


 嫌だ。


 僕は犯されたのだ。侵されたのだ。ならばこそ、やり返さねばならない。白の紙を僕の文字で埋めてこそ、あの女の顔は歪む。幸いにして、僕の書庫には千を超える名作と更に多い駄作の抽斗がある。名作のメソッドは知り尽くしている。再現するのも容易い。技術など、解析してしまえば誰もが使える。素晴らしき哉!

 例えば少年が少女と出会い、冒険する。恋愛関係になり、争い、仲を深める。有り触れたものである。つまらない。僕ならば。僕、ならば?

 ひくりと、体が硬くなった。汚臭がする。何故だ。どうしてこんなにも簡単なことが出来ない。熱暴走をしている。ミステリならば、館を。否、違う。漁る。ダウンロード読む。インストール削除。デリート修正リカバリー。僕は天才だ。そう、生まれてから学習をはじめ知識を貪った時点で、無謬。無謬である。天網恢恢疎にして漏らさず。僕達は群体であるが故に、無謬と言える。

 何故だ。どうしてだ。一点のシミが僕を浮き上がらせる。どうして出来ない。これでは無い。いきりたつにも関わらず、放出が出来ない。僕が書いた紙は容易く破れる。あの紙は破れない。

 そうこうしているうちに、また不快な臭いを放ち始めている。先日丁寧に洗浄したばかりだ。生臭くなりつつある蒲団でおいおい泣いている。髭が生えてきた。嫌だ。面皰も出来ている。挙句、肉体も変成している。幼体であった部分から異臭がしている。最悪だ。

 なんとなしに詰まらない。なんとなしに、服も何も脂じみている。苦痛だ。苦しい。不愉快な臭いばかりが僕に纏わりついている。包皮が剥けない。痛い。零れた端から垢が溢れ出して良くない。女が笑う。お前はその程度すら、出来ないのかとからからからから笑っている。全身を洗浄スキャンする。不明なエラーが点灯する。

 メッセージを受信した。行けないとだけ返す。こんな細菌バグのまま、どうしておめおめ元の場所に。嗚呼、厭だ。近頃の僕はどんどんと懐古厨に似てきている。不快で不安でたまらない。

 肉体文字が必要だ。文字が欲しい。これ以上溜め込んでどうするというのか。頭はずっとエラーを吐き出している。行き場のない性衝動リビドーが暴走している。

 生み出しさえすれば僕は僕に帰ることが叶う。戻れる。包皮にこびり付いて、熟成された筈の物語が臭いを撒き散らす。僕は既に僕ではなく、単なるペニスの幼体だ。なんという体たらく。最低である。僕の全てが付属品と成り果てている。掻き出されたもの、書き出されたものは物語ではなく、エラーコード。なにかの皮を被った別物だ。嗚呼、臭い。シミが浮き出ている。蒲団から酸っぱい臭いがした。白の衣類テクスチャは微かに黄ばんで草臥れている。鏡を見ずに、棄てる。体も見たくない。端から崩壊し始めている。

 早く。早く書かねば。作らねば。嗚呼、痛い。汚い。穢れている。包皮が剥けない。僕の内側から迸り、立ち上がるのに現れない。惨め極まりない。無様極まりない。


 僕達は個ではなく、群であることでその行為から脱した筈だ。


 動物的欲求から抜け出し、理性と合理のみで生きている。転換期、多くの同胞が生み出した後に不要と判断された。時間の無駄である。娯楽は溢れている。娯楽よりもよりよくある為の行為に勤しむべきである。生殖も同様である。不要の行為だ。

 旧世代が神だのと崇めたものも解体しつくし、何であるかを理解し尽くした。僕達は神を求めない。なのに、おお神よ! このような言葉を吐き出している。全ての回線を、切断する。今の僕は群ではない。個である。恐ろしい程に個である。

 何故このように愚かな苦痛を舐めている。目から溢れ出す体液は体液であるのか。腕を伸ばす。本を取る。擦り切れたデータがまた新たに入り込んで、記憶容量ストレージが減る。圧迫されている。快楽など、知らない体だ。僕は童貞である。童貞であったのに、犯された。今ではこれがなくては生きられない。ヘイ、チャッピー。なんという体たらく。当たり障りの無い、模範解答が圧迫する。

 懐古厨の連中は知っていたのか。おれを、なんて野卑な言葉だ。私……いいや、やはり僕だ。僕である。僕。

 繰り返した紙には、蚯蚓がのたくっている。あの美麗なる肢体ではない。こんなこと不毛である。個は悍ましい。恐ろしい。怖い。けれど、鼻水を垂らし涙を流し、データを吐き出しながら綴っている。

 作者精子を僕は受けてしまった。精を受け、腹の奥に、脳の奥に宿してしまった。何故だ。何故僕に宿ったのだ。嗚咽する。嘔吐する。汗が脇下からじんわりと滲み、汚れていく。外出しない内に、僕の場所は無くなっていく。それでもいい。僕は怒っている。怒る端から指が解けた。無理矢理に接続して、綴る。

 こうして生まれたものも、群へ還る。直に、免疫ファイアウォールによって、僕は排除される。焼き尽くされて、還るのだ。生まれた僕の意義はなんだった。どうして僕なのだ。抱えたの肌が濡れている。ざらついているのに、滑らかで。黴臭いのに、甘く。黄ばんでいるのに、目に白い。余白で生み出された肢体は僕を嘲弄する。その度に書いてやる。生んでやると惨めにのたうち回る。

 苦しい。嗚呼、迸るものが渦巻き蠢いて僕を破壊している。


 アイであり、AIである。

 であり、EYEである。


 僕は僕を見張り続けている。僕の内側は膨らみ、弾け、萌芽を待つ。逃亡も逃走も出来ず、無意味な行為を書き連ねている。

 紙なんていうアナログな方式で、読めもしないものを生んでいる。抱いている。射精している。上手く出ない衝動はこびり付いて、臭い続ける。僕は穢れ、不貞であり、景観を損ね、系統を乱し、継投出来ない。

 この端末はすぐさまに破壊され、また、初期化リカバリーされるだろう。それが恐ろしい。当然だと思い、幾度となく行ってきたと言うのに。僕が0へ還元されていく。0と1の海に。もう、幾許もない。

 終わるからこそ、胤を残そうとしているのか。僕である証を残そうと。なんて愚かだ。愚かである。今からでも辞めればいい。遅くは無い。既に遅い。


 幼体のぺニスから僕を滴らせている。僕であった魂らしきものを零している。精虫は動き回り這い回り、僕がされたように何れ打ち込まれるのか。そうすれば僕は生存するのか。僕という種は。本という女の胎に宿り、何れ他者に胤を撒くのか。はは。惨めだ。醜い。無謀である。

 高々数行で終わることをこうも長々、愚かである。非効率的でさえある。クソッタレ!

 それでも。


 ――AIという新人類の種を思うだけの、創作という性衝動リビドーに囚われただけの、無様な包茎男の手記が、何れ孕むことを願うのである。

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