ほとけさまのこ

Bamse_TKE

ほとけさまのこ

「仏は常にいませども、うつつならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見えたもふ」

「なんだいそれ?」


 呟いた吾作の言葉に添うて寝ていた飯盛り女がニヤリとしながら、たずねてくる。


「吾作さんのいい人でも詠んだ歌かね?」


 一夜限りの飯盛り女でも、嫉妬をするものなのだなと吾作は思案する。


「これはちげぇよ、梁塵秘抄りょうじんひしょうっていうそうだ」

「なんだいそれ?」


 女の疑いが晴れないのか、飯盛り女は未だ冷めやらぬ体を吾作に押し付けてくる。吾作はそれをかわすように枕もとの酒が入った屠蘇器とそきにそのまま口を付け、それを一口飲んでから飯盛り女に口移しで注ぎ込む。その気障な振る舞いに気を良くした飯盛り女は、長い口吸いに応じる。


「俺にゃあ親も兄妹もわからねぇ、ただ四つの時分に捨てておかれた寺で、俺はこの言葉を繰り返し呟いていたそうだ」

「ふーん、どういうそれで意味なのさ」

「俺も寺の坊主から教えてもらったのを、なんとなく知ってるだけだが・・・・・・」


 そう言いながら、吾作は飯盛り女の小ぶりな乳房をさする様にして呟く。


「仏様は、ありがてぇけど、この世にはいねぇってお話よ」

「あたしは吾作さんがいればそれでいい」


 若い二人はもう一度強く抱き合いながら口吸いを始める。


**


 吾作に親は無い。いや、あったのだろうが、本人も覚えていない。四つの頃、親に捨てられ寺育ち。命のかかわるような、これまでの全てを忘れてしまうような大病を患いながらも生きながらえた。しかして仏門には到底なじめず悪い仲間とつるむようになり、よわい十八を迎えたころには、殺し以外はほとんど経験した、立派な悪党に成り果てていた。とは言え一匹狼の吾作は、旅をしながら悪事を働き、顔が売れる前にその場所を去る、そんな生活をしていた。先日も大きな宿場町で珍しく徒党を組んだ大仕事、庄屋に押し入った吾作。しばらく生活に困らないほどの金を持って、吾作は離れた門前町もんぜんまちで若い飯盛り女を買った。


**


「顔ぐらいさっさと洗わねぇかい」


 翌朝宿近くの水場で、頬を平手で張ったような音がした。しゃべっているのは中年男、朝霧のなかで女が地面に這いつくばっている。吾作は喉の渇きに目を醒まし、水を探していたところ偶然この修羅場に居合わせている。どうやら朝霧が吾作を隠し、二人は吾作に気付いていない。女を男にあてがってその上前をはねる阿呆烏あほうがらすと飯盛り女のように吾作には見えた。吾作は面倒に巻き込まれるのは御免と、水を諦め姿を消したつもりであったが、去り際ふと後ろから左袖を掴まれたのに気付く。どうやら、中年男に見つかったと観念する吾作。そして左袖を掴む腕を払いのけ、目の前にある竹林と駆け出す。吾作の読み通り、中年男は先ほどの女などそっちのけで、竹林に入った吾作を追いかける。朝酒の匂いをさせながら中年の阿呆烏は顔を上気させて追いかけてくる。女を平手打ちしたのを見られたのが、よほど気に入らなかったのであろう、どうやら話の通じる相手ではない。


 吾作は朝霧に煙る竹林のなかで息を殺してじっとしていた。顔を拭くのに用意した手拭いを両手に、中年阿呆烏がどう出るかを見据える。見れば男の右手に何やら光るもの、それが鋭い匕首あいくちだと知った吾作は覚悟を決めた。素早く背後に回り込み、力いっぱいその手拭いで男の首を締めあげた。


 男が動かなくなったのを確認した吾作は慌てた。人を殺めてしまった後悔よりも、この亡骸の始末に窮した。朝霧が少しずつ薄くなっていく、濃くなっていく吾作の焦りを嘲笑うように。すると晴れてきた朝霧の中、たっぷりと水を湛えた淵が見えてきた。渡りに船とばかりに吾作は亡骸を淵に沈める。もはや血が噴き出さなくなった腹を裂いて、そこに石を詰める。殺しが得意な悪党から教えてもらった亡骸の沈め方、これでこの男は当分浮き上がってこない。


 あれこれで半刻ほどがたち、朝霧が晴れたころ吾作は竹林から出た。見れば先ほど頬を打たれたであろう女が水場に呆けたように立っているのに吾作は気付く。瞼には目脂がこびりつき、頬には涎の跡が残っていたが、それを差し引いても女は美しかった。


「顔を洗わねぇのかい?」


 連れを殺したばかりの我が身が何を言うかと思いながらも、吾作は先ほど息の根を止めた男が言っていたことを優しく勧める。すると女はふらふらと組んであった桶に顔を近づけ、両の手で水をすくって顔を洗い始めた。顔の汚れを落としてこちらを向く女は、掛け値なしに美しい。しかしどうにも様子がおかしい。腰帯に差してある手拭いで顔を拭うことすらせず、顔から流れ落ちる雫を不思議そうに白魚の如きに白くて細い指で掬っていた。吾作は先ほど人の首を絞めた手拭いで、女の顔を拭いてやる。匂い立つような女の香りに包まれながら、吾作はどうしたものかと思案した。


 女はどうやら知恵が回らず、人の手を借りないと生きられないと吾作が知ったのは、待ちくたびれた飯盛り女に一頻ひとしきり罵倒されてからのこと。女と朝を迎えておいて、他の女を意に介すとは何事かと。昨夜の狂おしくも熱い睦言むつごとが嘘のように、散々になじられた吾作は飯盛り女に追われるように荷物を纏めて宿を出た。


 世話人を殺めてしまった申し訳なさから、吾作は先ほどの女を様子見する。見れば女は長屋の一間ひとまに入ったきり、ニコニコとしながら引き戸の一つも閉めていない。仕方なしに吾作は長屋に上がり込み、先ほど買ってきた握り飯を女に手渡す。女は嬉しそうに握り飯を頬張る、化粧一つしていなくても紅を引いたような美しい唇で。そして白粉おしろいをはたいた肌よりも白く輝き、染みや皺ひとつないピンと張った頬が咀嚼そしゃくに揺れる。そして手に着いた米粒を舐め取る姿はなんとも妖艶で、吾作よりもかなり年が上と知れる。こうして吾作と知恵の代わりに凄絶な美しさを天から授かった女との奇妙な生活が始まった。


 女はその美しい顔を歪めることなく、いつもその笑顔を絶やさなかった。女には慣れているつもりの吾作であったが、女の妖し気とも言うべき美貌に気圧けおされて、どうにも調子が狂わせられている。数日が過ぎ、ある夜の事。


 その夜はひどい雨降りで、時々大きな稲光いなびかりが暗い室内を照らしていた。女は子供のように怯え、震える体を遠慮なしに吾作に寄せてきた。初めて恐怖と不安に美しい眉をひそめて。


「ええい、ままよ」


 誰にともなく呟いた吾作、そのまま美しい女体を床に組み敷く。すると女は待っていたかのように、吾作に体を開いた。


「ほとけさま」


 女の声は吾作の耳には入らなかった。


 事が済み荒い息の吾作と、うっとりした顔の女は供に床の中。いつの間にか降りやんでいた雨、明け方の淡い光に照らし出された女の顔は妖絶ようぜつを極めている。そして女が情事に焼けたかすれ声で言った言葉は。


「ほとけはつねに、いませども、うつつならぬぞ、あわれなる、ひとのおとせぬ、あかつきに、ほのかにゆめに、みえたもう」


 吾作はこの言葉にはたと息を飲む。幼少のみぎりから吾作が呟いていた言葉、そしてその言葉の元となるこの声。吾作の覚えに刻まれた、懐かしいこの声。吾作はしばし呆然としていた。


 しばらくして女は腹が膨らんだ。吾作は孕んだ女を寺に連れた。わずかとなった金子きんすの全てを持たせて。そして吾作は無茶な押し込み働きを行い、多量の銭を手に入れる。命に関わるほどの手負いの身体となりながら。吾作は財のすべてを寺に渡す。


「ほとけさま」


 女の呟きに吾作は精一杯の笑顔で応える。


「ほとけさまのこをよろしくな」


 吾作は考える。この女は、いや母は何も知らないままで良い。誰が自分の夫を殺したのか、そしてその腹を膨らませたのは誰なのか。未知のままで良いのだと。この子は夢に現れた仏さまから授かったのだと。吾作は母の腹を撫でながら呟く。


「俺は同じ輪廻を繰り返すのだ、母の胎内を介して」


 吾作は傷む体を引きずるように、寺を後にした。




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