最後の楔

のーりみっと

最後の楔

### リーモア歴1864年──シャロン 44歳


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 規則的なリズムを奏でる軌道車輪の音が、私を眠りへと誘う。私の手には一冊の、草臥れた手帳が握られている。

 何度も、何度も読み替えしたその手帳は、父が私の残してくれた、たった一つの思い出だった。けれど、そのたった一つの父の思い出は、私の人生を決定付ける、私の宝物となった。


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 規則的なリズムで私を眠りへと誘う軌道車輪の音は、父の手帳に記された、当時の情景を私に想像させる。

 ここ軌道を敷設するために、父が、父の仲間達が、どれ程のものを捧げたのかを。

 父が、父の仲間達が捧げたものに比べ、彼等が得たものの細やかなる事を。

 その事に想いを馳せると、私はどうしても涙せざるを得ない。山を刳り貫き、峡谷に橋を架け、森林を切り開き、灼熱の地を這いずり、極寒の地を耐え凌ぎ。そうして得られたものは……其々の家族への仕送りのみ。


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 今やこの国の大動脈となった軌道車道建設に、名を残す事もなく消え去った者達への鎮魂歌のように、軌道の継ぎ目は名も無き者達の名を刻む。微睡みの中で私は、これは父への贈り物かしら、と想像する。


 この規則的なリズムは、間違いなく父から私への贈り物だ。父から私への贈り物リズムに包まれ微睡みながら、私は手帳の最初の頁を想い起す。


 "シャロン、一歳。この子のために俺は何ができるだろうか、学の無いこの頭で必死に考えた。"


### リーモア歴1821年──シャロン 1歳


 シャロン、一歳。この子のために俺は何ができるか、学の無いこの頭で、一年間、必死に考えてきた。


 俺には学が無い。貧乏農家に生まれ、物心ついた時には、親の手伝いで畑仕事の日々だった。簡単な読み書きしかできなかった。俺の周りは同じ境遇の奴ばかりだったし、それが当たり前だと思ってた。そうして、いつかは親の土地を継ぎ、自分の子も、自分と同じように生きていくのだと思っていたのだ。


 シャロンを授かるまでは。


 いわゆる適齢期になった頃、俺は妻を娶った。同じ村の、同じような農家の娘だった。田舎の娘だ。田舎にしては器量が良い方だろうが、別嬪さんという程の娘では無かった。でも、働き者の気立てのとても良い娘だった。

 両親と俺と妻と、四人で畑を耕して終える人生に俺は何の疑いも持っていなかった。


 四人で畑を耕す田舎暮しにも、都会の噂は聞こえてくる。


 やれ、学制の改革が断行され、身分関係無く職業を自由に選べるようになる、だとか。

 馬を使わない、輸送革命が起きそうだ、とか。


 そんな噂が村中に溢れる中、俺は娘シャロンを授かった。その頃からだろう。シャロンの一生を、この田舎に縛り付けても良いのだろうか、と考えるようになったのは。俺が子供の頃はやりたい事など無かったけど、シャロンがそうだとは限らない。


 新たに創設された学舎は、学業優秀であれば、卒業後、身分に関係無く望む職に就く事が出来ると評判だった。ただ、その為には金が必要だった。その学舎で学ぶ為には、田舎者にとっては多大な学費を収める必要があった。


 娘が一歳になる迄の一年間、俺は必死で考え続けた。両親にも、妻にも相談した。両親は、自身には端から与えられなかった選択肢に迷う俺に、助言は持っていなかった。だから、たった一言、俺の思うようにすれば良いと、自分達に出来る事は何でもすると、言ってくれた。


 妻は、この子が将来自分で生き方を選べるようにしてやりたい、と言った。俺と同じ想いだった。ただ、その為には金が必要な事も、今の自分達の生業では、そんな金を稼ぐ事もできない事を嘆いてもいた。


 そんな叶わぬ夢を諦めきれない一年が過ぎ。村に、一つの触れが舞い込んできた。


 リーモア国縦貫軌道建設作業員募集


 リーモア国主導の、この国を最北端から最南端までを走る軌道車道建設への人員募集案内だった。期間は全線開通するまで。10年は掛る見込みだった。肝心の賃金は年収にして、畑を耕して得られるものの10倍だった。それが開通するまで毎年得られる。


 これなら、シャロンを学舎へ通わせられる。俺は直ぐ様家へ取って返し、妻と両親へ相談した。建設期間中、家をあける事になるため、畑仕事や育児は両親と妻に任せきりになる事など、四人が心から納得しなければいけない。


 何日も話し合った。最大の問題は、父親の不在を娘がどう思うか。それによって、娘が虐められないか。それに尽きた。


 だが、それに対する援護は村の仲間達から齎された。彼等もまた自分の子達の為に、この募集に応募しようとしていたのだ。同じ境遇の子等とその家族が手を取り合い、助け合う。そんな信頼を得た俺は、喜び勇んで軌道建設に応募したんだ。


 シャロン、お前の為に俺に出来る事を見付けたぞ。お前が将来、何者になろうと構わない。なりたい者になれるよう、父さんは頑張るからな!


 そう誓った時の、シャロンの健やかな寝顔を、俺は生涯忘れる事は無いだろう。


### リーモア歴1864年──シャロン 44歳


 "そう誓った時の、シャロンの健やかな寝顔を、俺は生涯忘れる事は無いだろう"


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 微睡ながらも思い起こす手帳の一字一句を、私は全て記憶していた。この30年、母と二人で隅から隅まで、何度も何度も読み返した父の手帳は、父と私を繋ぐたった一つの大切な絆だった。


 カタンッ……コトンッ……カタンッ。コトンッ。


 どうやら、停車場に着いたようね。最南端のターミナルから次の停車場。


 ここで降りる人。

 ここから乗る人。


 彼等は今、何を想っているのだろう。

 降りていった人達は、これから家族の元へ、愛しい人の元へと帰るのだろうか。

 乗ってきた人は、どんな想いを残してきたのだろうか。


 カタンッ。コトンッ。カタンッ……コトンッ……


 次の停車場へ向けて軌道車が発射したようだわ。色んな人の色んな想いを乗せて。


 私は、父の草臥れた手帳の続きの頁を開く。もう何度も読み返した、懐しい父の筆跡を追う。


 "暑い。兎に角暑い。体中の水分が絞りとられそうだ"


### リーモア歴1821年──シャロン 1歳


 暑い。兎に角暑い。体中の水分が絞りとられそうだ。


 俺が配属されたのは、この国の最南端の港町だった。ここは珍しい魚介類が獲れ、また、海の向こうの国々との交易拠点とすべく開発が計画されているところだ。


 縦貫軌道車道は輸送の要となるものだった。俺達の仕事は、首都近郊で製造され、海路運ばれてきた軌道を、この港町から首都まで敷設する事。いってみれば、それだけの単純な作業だった。もちろん途中障害となるものを排除しながらだ。


 砂利を敷き詰め、枕木を並べ、その上に二本の軌道を楔で固定する。

 来る日も来る日も、同じ事の繰り返し。

 出来上がった軌道の上を、八頭立ての荷馬車に軌道や枕木や砂利を運ばせてくる頃になると、一面の砂漠地帯に差し掛かっていた。


 さらさらとした砂地の上に砂利を敷き詰める。そんな単純な作業さえ、灼熱の砂漠地帯では、生命を削る重労働と化した。

 何をするにも、汗を絞りとられる。汗を絞りとられた身体は、気付かぬ内に震え出す。意識が朦朧としてきたら死の一歩手前だ。水分補給が欠かせないが、自分では気付けないのだ。仲間の絶え間無い声掛けが、唯一の頼みの綱だ。


 おい、聞こえるか?

 おい、見えてるか?

 おい、休め

 おい、水を飲め


 俺達は、常に声を掛け合いながら、仲間の様子を確かめ合いながら、昼は軌道を敷設していった。


 だが夜は、昼の暑さが嘘のように極寒の地に一変する。


 一日の作業が終り暮れると、昼に流した汗が体温を容赦無く奪っていくのだ。薄い布の簡易テントで、薄い毛布にくるまって寝る夜は、ガタガタ胴が震えが来て満足な睡眠などとれるようなものじゃない。


 睡眠不足で迎える朝。砂だらけの地平線の向こうから昇ってくる真っ赤な太陽が齎すほんの僅かの温もりが、一時の安眠を与えてくれるだけだった。


 こんな酷い所で働いているが、シャロンの為だと思えば、不思議と苦労だとは思わなかった。


 この砂漠の軌道敷設で、何人かの作業仲間が亡くなった。同じ村から来た奴も含まれていた。

 残された家族には弔慰金が払われたと聞くが、亡くなった彼等も、その家族も生きて会う事を願っていただろう。


 シャロン、俺は死なんぞ。絶対戻るからな。お前の成長した姿を見るまで、俺は死なん。


### リーモア歴1864年──シャロン 44歳


 "シャロン、俺は死なんぞ。絶対戻るからな。お前の成長した姿を見るまで、俺は死なん"


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 夢の中で、父の声が聞こえる。


 "俺は死なんぞ!"


 手帳の文句そのままの、その叫びは父の決意そのものだった。

 そんな父に、夢の中の私はいつだって声を掛けていた。


 "頑張ってっ、お父さん! でも、無事に帰ってきてっ"


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 微睡から覚めた私は、変な夢を見たものね、と気恥しくなった。もう、いい年をしたおばさんが、十かそこらの小娘になった夢を見るなんてね。たぶん、今軌道車が走っているのが、その砂漠の中だからね。


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 私は父の手帳を繰り続ける。

 二年目には砂漠を抜けた。その時の悦びが溢れるような文字を、私は追想するように眺める。


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 私は父の手帳を繰り続ける。

 五年目には、丘陵地帯に最初の隧道が掘られた。隧道の掘削には三年の歳月が費やされていた。父も掘削作業に従事している。そして落盤事故が発生し、何百人もいた作業員は一瞬にして半減した。


 "酷いものだ。何て言って良いのか分らない"


### リーモア歴1826年──シャロン 6歳


 酷いものだ。何て言って良いのか分らない。


 脆い地質の場所に差し掛かったのか、天井から石がどんどん落下してくる。

 木組みで天井を補強しているが、それもどれ位保つんだろう。あれが、突如崩落してきたら……

 不安だ。シャロンよ、妻よ。俺を見守っていてくれ。どうか、無事帰れるよう祈っていてくれ。


 とうとうその日が来てしまった……

 俺は掘削した土砂を運び出す作業をしていたんだ。土砂を一杯に積んだ運搬車を外に出そうと動かして暫くした時だった。俺の背後から全身を揺がす音が、俺を地に倒したのは。


 倒れた拍子に頭を打った俺は、暫く眩暈が収まらなかった。


 漸く、真面に回るようになった痛みの残る頭を抱え、背後を振り返った俺は口を開けたまま茫然とした。


 天井から落下した大量の土砂が、砂礫が、掘り出した筈の隧道を埋めつくしていた。土砂の隙間からは、何本もの腕が、脚が、頭の一部が、辛うじて覗いているだけだった。


 俺は彼等に向って走り出していた。何か喚いていたのかもしれない。一連の救出作業が終った時、俺の喉は掠れて、痛みを覚えていたから。


 だが、その最中は、俺は無我夢中で土砂を掻き出し、埋まった仲間を助けだそうとしていた。崩落に気付いた他の仲間も、手当たり次第に俺と同じ事をしていた筈だ。


 彼等の声が耳から離れない。


 おい、聞こえてるか!?

 おい、見えてるか!?

 おい、触ってるのが分るか!?


 何度呼び掛けても何も応えてくれない、埋もれた仲間に、それでも声を掛ける。


 聞こえてないのか……

 見えてないのか……


 多分、俺も同じ言葉を叫んでいた筈だ。頼むから返事をしてくれ。その願いは……


### リーモア歴1864年──シャロン 44歳


 "頼むから返事をしてくれ。その願いは……"


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 隧道を抜け、陽の光に照らされた、父の震える手で綴られた文字は、途中で途切れていた。


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 私は父の手帳を繰り続ける。

 七年目、父は深い峡谷に架けられた鉄橋に軌道を敷設していた。突風との闘い。補充された人員も、ここでまた何人も失なわれた。


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 "声を掛ける暇すら無い。明日は我が身かもしれない。怖い。シャロンよ。妻よ。どうか祈って欲しい。俺がお前達に再び会えるように"


 カタンッコトンッ、カタンッコトンッ


 私は父の手帳を繰り続ける。

 そして、十年目。父は最後の隧道を掘削していた。


 "これが最後だ。シャロン、もう直ぐ会えるぞ!"


### リーモア歴1831年──シャロン 11歳


 これが最後だ。シャロン、もう直ぐ会えるぞ!


 この隧道を越えれば、首都から進んできた軌道敷設の仲間と合流できる。十年に及んだリーモア国縦貫軌道がここに完成するんだ!


 何人の仲間の生命が失われただろう。彼等もこの瞬間をその目で見たかっただろう。

 そして、生きて帰って、家族に自慢したかっただろう。


 俺はやったんだ!

 俺達はやったんだ!


 皆、金の為に集っただけだった。俺は、シャロンの為に金が欲しかった。

 だが、この十年。次々と失われる仲間を見送る内に、俺は、俺達は、こんな凄え事をやってのけてるんだぞ! っていう、誇りみたいなものが湧き上がってきたんだ。


 国中から集められ、ただひたすらに軌道を敷き、隧道を掘ってきただけだけど。

 シャロンの顔を、妻の顔を見たいと涙した夜も何度もあったけど。

 何百キロもある縦貫軌道の一部だけとはいえ。

 これは、自慢していい筈だ!


 俺はやったんだ!

 俺達はやったんだ!


 明日は隧道最後の掘削だ。そうしたら、首都からの仲間と合流して、最後の楔を打つんだ。最後の楔は、俺の後ろにある。これを隧道の向こうへ届けるぞ!


 シャロン、待ってろよ! 俺はもう直ぐ帰るからな。


### リーモア歴1864年──シャロン 44歳


 カタンッ。コトンッ。


 隧道を通り抜け、暫く走った所で軌道車が止まった。ここには荒野の真っ只中の特別な停車場だった。今日、この日、この場所を通る軌道車は必ずここに停車する。30年前のこの日、ここに最後の軌道を設置するための最後の楔が打ち込まれ、リーモア国縦貫軌道が全線開通を果したからだ。


 客車から降りた私は、軌道路沿いに建てられた石碑に向う。


 "十年の歳月を、この縦貫軌道に捧げた全ての人びとへ感謝を込めて"


 石碑に浮ぶ文字を見ながら、父の手帳を胸に抱く。

 私の父は、この石碑を見ることは叶わなかった。先程通り抜けてきた隧道の最後の崩落事故に巻き込まれ、帰らぬ人となっていたから。


 私は心の内で父に問いかける。


 私の声は聞こえてますか

 私は見えてますか

 私はリーモア国縦貫軌道の施設部長になりました

 あなたの切り開いた道を守る仕事に就きました


 父は何て言ってるかしら。


 "俺の声は聞こえてないのか?"

 "俺が見えてないのか?"

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