【恋愛】冬の蠍座の匂いがする
花田(ハナダ)
第1話
痛いほどに風が冷たい1月のド深夜。コンビニまで歩きはじめてすぐだった。
「コンビニくらい明日にしたら?」
あんまり寒くて、俺はつい文句をいった。
「嫌なら一人で行くからいいよ」
茜はこちらを見もしないで言い放つ。
「おいおい」
連絡してきたのは茜なのだ。そうあっさりといわれると呆れてしまう。
「絶対に買いたいものがあるからついてきてほしいっていうから、わざわざこんな時間に出て来たのに」
茜はたまたま近所に住んでいる、大学時代のただの友人なのに。
「ごめん」
隣を歩く茜は、前をまっすぐ見つめながら言った。いつもなら「いいじゃん」とか言って笑ってごまかしそうだけど、今日は真顔だ。
(悪いことでも言ったかな)
コンビニは住宅街を通り抜けた先にある。街灯の照らす夜更け過ぎの街はガランとして、静かすぎた。
「まあ、どうせ暇だからいいよ」
できるだけ明るく軽く言う。嘘ではなく、本当に暇だったから丁度良かった。
「ごめんね。悠輔のお人好しに甘えました」
振り返った茜は笑っていた。俺はホッとして、少し足取りが軽くなる。
「それで、何を買いたいの?」
「食べ物」
「食べ物って。そんなにお腹が空いていたの?」
「そういうことにしておいて」
何だかはっきりしない。 もしかして、買いたい物なんてなくて、俺をおびき出す口実なのではないだろうか。そんな思いがよぎったとき、
「冬なのに蠍座が見える」
ふと、茜が指さした。
「はっきり見えるね」
冬の星座が西に沈み、更けきった夜空に夏の星座の代表格の蠍座が堂々と居座っている。ここでは冬でさえ街明かりが邪魔してしまい、大して星は見えないけれど、蠍座くらいはちゃんとわかる。澄んだ空に輝いて見える。
「星の匂いがしそう」
茜が呟いた。
「星の匂いってどんな?」
「美味しい匂い」
「食べるのかよ」
「だってお腹空いてる」
俺は思わず笑ってしまった。
「じゃあ悠輔はどう思うの?」
「星ってガスでしょ? 臭いんじゃない?」
「夢がないなぁ」
茜に言われて、改めて蠍座を見上げる。真ん中でアンタレスは赤く光っている。星々は銀色に瞬いている。
「俺に夢はない」
夢なんてない。
「茜さ。もしかして、同情で呼び出したの?」
俺は、大学時代から4年間付き合ってきた彼女にプロポーズして断られた。それまでは結婚資金を貯めるために頑張って仕事をしていた。
「心配はしてる」
彼女は茜の友人でもある。
「俺を心配してるの?」
「してる」
「……そりゃそうか」
プロポーズを断られたひと月後、彼女はSNSで婚約したことを知らせたのだから。写真には俺ではない男が彼女の隣で笑っていた。共通の友人は驚いただろう。
正直なところ誰にも会いたくなかった。誘われても何もかも断っていた。扱いにくい腫れ物の俺に誰も連絡をよこさなくなっていった。
茜以外は。
「星はきっと、北風の匂いがするよ」
隣で茜が言う。俺の隣で、俺と同じように、じっと蠍座を見上げている。
「北風って無味無臭じゃない?」
「冬の空の匂い。冬に浮遊する匂い」
「ダジャレかよ。くだらねぇ」
茜がチラリとこちらを見た。
「元気出た?」
やっぱりそういうことだ。
「寒くなった」
茜はプロポーズを断られた情けない俺を元気づけようとしているんだ。それが嫌で、誰にも会わないでいたのに、結局こうなるのか。
「やっぱり同情か」
「同情じゃない」
「同情じゃなければ何?」
「策略」
茜はため息をついた。息は白くなって消えていく。策略という言葉の違和感だけが残っている。
「弱っている男に付け入ろうする狡賢い女」
茜は、やっぱり蠍座を見上げている。
「長いこと片思いしていたから、今がチャンスとか思っている。とても悪い女」
「片思い?」
出会った頃から茜とは不思議と気が合った。 初めて会った時、俺には他に好きな相手がいたし、茜には彼氏がいた。そうじゃなければ違ったのかもしれない。 そんなことを考えたことはあったけれど。
「誰に片思い?」
茜は答えない。
(茜にだって彼氏はいたじゃないか。俺の彼女とも普通に話していたじゃないか)
片思いなんて。そんな素振り、一度も見せなかった。
「誰に片思いしているかなんて、誰にも知られたくなかった」
「どういうこと?」
「彼女一筋の人だったから」
俺は何もいえなくなった。
二人とも黙り込んだまま、しばらく歩いていると、コンビニの看板が見えてきた。気まずさを何とかしたくて、俺から口を開く。
「そういえば、買いたい物って何?」
茜が顔をあげる。
「そろそろ教えてよ」
俺をじっと覗き込んで答える。
「蕎麦」
「蕎麦?」
「そばにいてほしいから」
またダジャレだった。
「つまんねぇ」
つまんないけど、体の真ん中が揺れたのだ。茜が必死に伝えたかったことが、ようやく流れ込んできた。それは温かくて泣きそうになる。
「茜はダジャレなんていうタイプじゃないだろ?」
「元気が出る方法を考えたの。どうにかして笑わせたくて」
「無理すんなよ」
蠍座を背にして茜が振り向いた。
「ちゃんと会いたいって言えばよかった」
顔が赤い気がする。寒さだけではないはずだ。
「悠輔はコンビニで何がほしい?」
訊かれた俺は、どんな顔をしたらいいのかわからない。
「アイスかな」
「この寒いのにアイス?」
「コタツで食べるアイスは美味いよ」
「いいね」
コンビニまではあと少し。
「手でも繋いでみる?」
コンビニまでの10分間ももうすぐ終わるけれど、ほんの少しだけ繋がっていたい。
「うん」
二人は並んで歩き出した。
「ダジャレはいつ考えたの?」
「仕事中」
「仕事しなよ」
照れ隠しのお喋りは続いていく。きっと帰りも。冬の蠍座に見守られながら。
【恋愛】冬の蠍座の匂いがする 花田(ハナダ) @212244
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