第十話「無職・カラテ!!」

 誰が合図をしたわけでもない。だが、動き出したのはほぼ同時だった。


 カルシノンが一歩先行して踏み込み、ヒイロは半歩後ろからそれを追う。

 対するアブレヒムは、両手を大げさに広げてみせた。


「さあ来たまえ、神の子らよ。無職の真価を見せてやろう」

「無職に真価とかあるんですか、先輩」


 シムクが吐き捨てるように言いながら、アブレヒムの前に出る。手の中の短い棒が、カチリと音を立てて伸びた。

 棒が唸り、ヒイロの肩口を狙った横薙ぎの一撃が空気を裂く。


「──っぶな!」


 ヒイロは剣を立てて受け止めた。重い。棒の軌道の周りだけ、風が巻いているみたいに、妙な圧が腕に食い込んでくる。


 その脇をカルシノンはするりと抜け、アブレヒムの喉元を狙って突く。

 アブレヒムは、動かない。


「──っ!?」


 カルシノンは目を見開く。確かに当たったはずだが、鋒は肉を貫くことなく、喉の表面で止まっていた。


「いい突きだ。刺さっていたら、痛かっただろうな」


 すぐさま剣を引き、今度は横薙ぎに斬り込む。

 刃が服をかすめる。だが、血は出ない。肉も断てていない。

 まるで、斬るという行為そのものを、途中で無かったことにされたみたいに。


「何だ、お前……?」

「カルシノン!後ろ!」


 疑問を口からこぼすカルシノンに、ヒイロは叫んだ。

 シムクの棒が、横から伸びてくる。

 剣を返して受け流そうとしたが、風を纏った一撃に、体が弾き飛ばされる。


「ぐっ……!」


 土を抉りながら、カルシノンが転がる。


「先輩、大丈夫ですか?」

「問題ない、無職だからな」

「無職関係ないですよね、それ」


 シムクが、ため息混じりに棒を構え直す。

 ヒイロは、一歩前に出ながら、アブレヒムの胸元を見る。血は一滴もついていない。

 カルシノンの剣筋がそこまで甘いとは思えない。何故斬れていない?


「ヒロ、無理に男は狙うな!おそらく奴の祝福エウロギアだ、攻撃が通らねえ!」


 起き上がりながら、カルシノンが叫ぶ。


「マジで?そんなんチートじゃん!」


 シムクが突っ込んでくる。

 棒が、斜め下から跳ね上がるように振るわれた。足元から、突風が一緒に吹き上がる。

 ヒイロはとっさに飛び退く。膝の裏を風に撫でられ、足が浮きかける。

 地面に靴の裏を叩きつけるようにして、なんとか踏みとどまった。


「……風か」


 口の中で呟いた言葉が、自分の耳にも小さく届く。

 シムクの一歩ごとに、空気の流れが変わる。

 棒の先にまとわりついた風が、一撃ごとに膨らんだり、散ったりする。

 恐らくはこの風がシムクの祝福エウロギアだ。

 側に駆け寄ってきたカルシノンに声をかける。


「大丈夫か?」

「ああ」


 カルシノンが短く答える。


「てか、信号弾は?」

「いらねぇよ、そんなの。俺たちだけでもやれるって見せつけてやろうぜ」


 ヒイロの問いに、カルシノンはにっと笑う。

 強がり半分、本気半分の笑みだった。

 ヒイロも笑みで返し、剣を構え直す。


 正体不明の攻撃無効化能力と、風を操る能力。

 先にやるべきは──


「そりゃ、こっち来ますよね」


 二人同時に駆ける。狙いは、シムク。

 カルシノンの一閃。シムクはそれを棒でいなし、器用に攻撃へと繋げる。

 そこへ、ヒイロの横槍が入る。シムクは攻撃を中断し、棒で剣を受けた。

 カルシノンが追撃に突きを繰り出す。シムクは体をそらしてかわし、そこにヒイロが更なる攻撃をお見舞いしようとした時だった。


「無職・カラテ!!」


 アブレヒムの正拳突きが、ヒイロの脇腹に命中する。


「がっ──!?」


 息が詰まる音がして、湿った地面を転がる。


「無職の最大の武器は、有り余った時間。オリジナルの格闘技を創造することなぞ造作もない」


 奇妙な構えをとりながらアブレヒムが言う。

 

「さあ、第二ラウンドといこうか」

「どこがラウンド分かれてるんだよ……!」


 脇腹の痛みをかみ殺しながら、ヒイロは体を起こした。肺の奥で鈍い熱が燻っている。さっきの一撃は、見た目よりもずっと重かった。


(なんであの“予感”はこないんだ?)


 ミノタウロスに襲われた時と、模擬戦でゼウクシアと戦った時。今まで二度、“死の予感”を感じることがあった。だが、今回はうんともすんともいわない。

 自分の祝福エウロギアは、今の今まで分からずじまいだ。


(けど今、泣き言を言ってもしょうがない!)


 思考を切り替え、剣を構える。

 息を吸って、吐き出す。


 カルシノンがシムクと数合打ち合い、後ろへ下がる。

 ヒイロの耳元で囁いた。


「少し、あいつらの気を引けないか?一瞬でいい」

「……まかせろ」

 

 腰の投げ槍を手に取る。一見すると三十センチくらいの棒状のそれを展開させて、アブレヒムめがけて思い切り投げる。


「ふ、無駄だよ。無職に働けと言っているようなものだ」


 槍は当たったが、当然アブレヒムにダメージは無し。


 だが、一瞬だけ意識を逸らせた。


 カルシノンが風を裂くような踏み込みで飛び出す。シムクは反応できない。

 カルシノンは、ヘルメスの息子だ。神々の使者であり、商人、旅人、盗人の神。ありとあらゆる「道」を司るその神の血族に共通するものの一つが、足の素早さ。

 瞬きする間に距離を詰め、アブレヒムに、剣の一撃を食らわせる──のではなく、剣を捨て、タックル気味にアブレヒムの腰に飛びついた。


「流石にこれなら無効化できないだろ!」


 カルシノンが腰を切って体重を預けると、アブレヒムの体がぐらりと浮き、そのまま背中から叩きつけられる。打ち込む一撃は無効化されても、組みついて投げる力までは殺せないらしい。

 勢いのまま二人して地面に転がり、腕と首を絡め合って、ぐしゃぐしゃな体勢のままもつれ込む。


「ほう、見事だ」

「先輩!」


 駆け寄ろうとするシムクに、ヒイロは斬りかかる。

 シムクは棒を振る。が、アブレヒムのピンチに焦ったのか、力の制御が動揺に合わせてぐらついていた。起こる風は弱く、散漫だった。

 ヒイロは思い切り剣を振り、棒を弾き飛ばした。シムクの手から棒が離れ、飛んでいく。


「勝負ありだ」


 喉元に剣先を突きつけられたシムクが、悔しげに眉を寄せる。


「おい、無職先輩!大人しくしろよ。これ以上動いたら、後輩の命は保証できない」


 ヒイロの声に、カルシノンと組み合っていたアブレヒムの動きが一瞬だけ止まる。

 その隙を狙って、カルシノンがアブレヒムを制圧した。


「……なるほど。君たちの勝ちだ。神の子らよ」


 アブレヒムはゆっくりとこちらを見る。


「よし、これで──」


 なんとかなった、と言葉を紡ごうとした、次の瞬間。


「ヒローー!カルシノーーン!!」


 悲鳴にも似た声が、森の奥から飛んできた。

 振り向いた先、木々の間から、ティモテオスが飛び出してくる。

 キトンは泥と血でまだらに染まり、片方の袖は肩口から破れている。身体中擦り傷だらけで、薄く黒いモヤが立ち昇っていた。

 三叉槍トライデントは何処かで落としたのか、手ぶらだ。代わりに、何かから必死に逃げるように、空を掻くような仕草で手を振っている。


「やべえのが、やべえのが──!!」


 ティモテオスが足をもつれさせながら、ヒイロたちの方へ一直線に駆けてくる。

 

「みんな、逃げ──!?」


 ティモテオスの目が、大きく見開かれる。

 その胸から、鈍く光る鋭利な剣先が顔を覗かせている。血が溢れ出し、胴を赤く、紅く染めていく。

 ごぽりと口からも血がこぼれる。

 膝ががくりと折れて、そのまま前のめりに崩れ落ちる。胸を貫いた剣が、地面に突き立ったまま体を支え、妙な格好で止まった。


 ティモテオスが、死んだ。


 すぐに立ち上がって、快活に叫び、三叉槍トライデントを振り回す──そんな光景を、頭のどこかがまだ期待していた。だが、そこには何も戻ってこない。血の匂いだけが、湿った土の上に重く残っていた。

 脳が「死んだ」と告げるのに、感情の方が追いついてこない。驚きも、悲しみも、怒りも、生まれそこねたまま胸の中で固まっていた。ただ心臓だけが、場違いなほど規則正しく脈を打っている。

 死んだ?ティモテオスが?なんで?どうして?

 声も出せずにただ呆然としていると、暗い木立の向こうから、何かがゆっくりと姿を現した。

 それは、人型だった。布に覆われていない肌は、剣と同じ鈍い銀色。頭髪は一本も無く、滑らかな金属の頭蓋が剥き出しになっている。顔に当たる部分には、口も鼻もない。ただ、抉り取ったような窪みの奥で、黄色い瞳がぎらぎらと輝いている。

 この世界には似つかわしくない。

 神々の血族でも、怪物でもない、アンドロイドとか、ロボットとでもいうべき存在。


「あ、待て!」

「無職とはすなわち背負わざる者。故のこの敏捷性!」


 気を取られていたカルシノンの拘束を抜け出したアブレヒムが、シムクを伴って一目散に逃げ出す。


 ロボットの顔がこちらを向いた。


 無機質で、何を考えているのか分からない瞳。

 足元のティモテオスの身体から剣を引き抜き、首を刎ねた。


 そして、一切の予備動作なく、ヒイロに向かって駆ける。


「──っ!?」


 死の予感。

 未来予知にも似たそれは、ヒイロが剣で心臓を貫かれると告げている。


 咄嗟に剣を振り、ロボットの突き出してきた剣を弾く。

 しかし、死の予感は終わらない。

 刃が翻って、首元に迫る。

 すんでのところで受け流す。

 今度はこちらの番だ。剣を握りしめて、横に一閃。ロボットは防御が間に合わず、剣は胴体に当たる──が、高い音を立てて弾かれた。


「固っ!」


 手に返ってくる感触に、思わず顔をしかめる。

 ロボットの方も多少のダメージはあったのか、動きが鈍くなって妙な挙動をする。

 その隙に後ろへ下がり、カルシノンへ声をかける。


「カルシノン!信号弾を!」

「お、おう!」


 もはや見栄を張っている場合ではない。

 カルシノンが慌てて銃を取り出し、空へ向けて引き金を引く。

 乾いた破裂音と共に、眩い光が尾を引いて空へと駆け上がる。

 木々の隙間から、昼の空に咲いた一本の光の筋が見えた。


「よし、これで──」


 カルシノンが安堵の声を上げかけた、その時だ。

 少し離れた方向で、もう一発、信号弾が上がる。色も音も、さっきと同じ。間を置いて、さらに別の方向から、三発目。


「え……?」


 ヒイロは思わず顔を上げた。

 木立の向こう、空のあちこちに、白い光の筋がぽつぽつと打ち上がる。


「ヒロ、危ねえ!」


 カルシノンが叫ぶ。

 死の予感が、再び頭の奥をかき回す。

 ヒイロは反射的に飛び退いた。さっきまで自分が立っていた場所を、銀色の剣が薙ぎ払う。

 ロボットが、いつの間にか間合いを詰めていた。


「くるぞ……!」


 カルシノンが剣を握りしめる。

 ヒイロも構えを取り直す。

 信号弾の煙がまだ空に残る中、銀色の人形が、音もなく踏み込んできた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年12月23日 18:09
2025年12月24日 06:00
2025年12月24日 18:02

ヘレニカ〜冥き影、古代ギリシャ風異世界で英雄になる〜 りくさんどろす @Rik9983

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画