俺がトモコばあちゃんのションベンを飲んだ話
加藤よしき
17歳の俺がトモコばあちゃんのションベンを飲んだ話
17歳で、初めて見たんっすよ。ションベンを街中でジャージャー漏らしてる人を。もちろんガキの時に見たことはあるっすよ。でも、それは学校とか、俺自身が漏らした時は家とか、そういう場所でした。俺が見たのは町中で、しかも東京23区の駅の前でした。人とかバンバン行き交ってるし、駅員さんとか、なんなら交番も近くにあるんですよ。
そういう場所で人が、それもおばあちゃんがションベン漏らしてたら、そりゃ声のひとつもかけるのが普通じゃないっすか。でも、みんな無視してる。灰色の上下スウェットで、仁王立ちのばあちゃんがジャージャー漏らしてる。道行く人も、警官も、駅員も、言ったら社会全部が無視してる。そんなん、異常じゃないっすか。
で、俺は声をかけたんですよ。
「大丈夫? どうした? トイレ?」
おばあちゃん、無反応でした。目は開いてるし、キリっとしてるのに。
それで俺、次は周りに訴えたんです。さっき言ったけど、駅員さんとか、警察官もいますからね。
でも、誰も相手しないんっすよね。
それで……俺、この駅は普段は使わないんっすよ。塾に行くための道なんですけど、たまたま定期が切れていたから、この駅を使って……。だから分かってなくて。やっと捕まえた駅員さんから聞いたんですけど、無視されてるのは、こういうことでした。
おばあさんがこうなのは、けっこう前かららしくて。「いや、無駄なんだよ。いつものことだから。あの人、ここに毎晩きて、何回も漏らすの。あと3~4時間くらいしたら帰るから、それから掃除するんで。大丈夫ですよ」そういう感じで言われました。認知症だって。
俺は納得しましたよ。そりゃね、東京ってメチャクチャに人が多いから。変な人もたくさんいるし、イチイチ相手してらんねぇなって、そういう場合もあるのは分かるっすからね。
俺も普段なら流したかもしんないっすね。でも、なんか分かんないけど、気になったんですね。そん時は。
こういう経験ないっすか? 感情が先に来て、そのあとに理屈が来る、みたいな。嫌とか、好きとか。腹減ったとか、眠いとか、ついつい食べ過ぎたり、寝すぎたり、サボったり。そういうのと同じで、「あのおばあちゃん、何かあるぞ。気になるぞ」って思ったんっすよ。
それから俺、何回か行って。そしたら本当に毎日いるの、おばあちゃん。で、毎日毎日、漏らしてる。でも、誰も相手にしてないの。
俺ね、毎日、話しかけ続けたんですよ。塾への道も、そっちのルートに変えて。
最初のうちは、おばあちゃんは何も答えてくれなくて。それにあんまり長くいると、駅員や警官に注意されました。「関係ないでしょう」って。そりゃそうなんですけどね。
おばあちゃんは、何を言っても答えてくれないんですよ。ただ黙ってションベンを漏らすだけ。意味不明なことを喋るとか、そういうのも無し。マジでずっと沈黙です。でも、それがますます俺の中で、ある疑惑を高めていって。この人、実はボケてねぇんじゃないかな?
そんで2週間くらい経った頃でした。初めてね、会話ができたんですよ。
「おばあちゃん、名前は?」
「トモコ」
そう言われたときに、俺は確信したんですよ。このおばあちゃん、ボケてねぇなって。街中で棒立ちでションベンを漏らしてる老人なんて、そりゃ誰だって認知症だと思うし、俺も最初はそう思ってました。いや、実際にボケてる部分もあったんかもしんないっすけどね。
でもね、それだけじゃねぇなって。この人は、ただボケてるだけの人じゃない。根拠は、経験っすね。俺、おじいちゃんが認知症になったんですけど、その時は本当にワケわかんなくなって。とにかく弱々しかったんですよ。ずっと怖がってる感じ。自分も他人も分かんなくなって、ここがどこかも分かんない。そういう感じでした。
トモコばあちゃんは違ったんですよ。受け答えの声がしっかりしてた。弱いって感じより、強いって感じ。それで、俺はそう思ったんですよね。この人はボケてるんじゃない。
気が付いた途端、世界がひっくり返った気がして。ああ、この人は自分の意志で漏らしてんだ。ワケわかんなくなって漏らしてるんじゃない。ここで漏らすぞって決めて、それで漏らしてんだ。そう気が付いたら、次に俺、「ああ、俺もなんかカマさねぇとな」って気分になって。
実はこの頃、俺、かなり精神的に参ってて。イジメられてたんですよ。学校で。学年中から、ずっと無視されてて。
無視って一番キツくないっすか? 俺が近寄ったら、みんなパッと散って。別のところでまた集まって話し始める。会話に混ざろうとしたら、そこで会話を切り上げられる。で、遠くで落ち込む俺をニヤニヤ笑ってるんですよ。俺が怒って「無視すんなよ」って言っても、怒ることも反論することなく、さっと消えていく。これ、本当に心に来るんですよ。いや、マジで。実際……俺、自殺しようとしたんっすよ。手首を切って、傷口を風呂場につけて。気は失ったんですけど、普通に起きちゃって。ミスったんです。結果的には良かったけど。
そういう生活してたせいでしょうね。トモコばあちゃんが町中でションベン漏らしてるのみて、しかもそれが意志をもって、わざと漏らしてるのが、すげぇ食らっちゃって。カマしてんなぁって。
でも、それと同じくらい勝手に泣きそうになって。だって、こんな目立つ行為をしている人を、みんなスルーしてるんですよ? 俺、トモコばあちゃんが、自分みたいに見えて。そんなことしてんのに、誰にも振り返ってもらえないって、可愛そうじゃないっすか。無視されてるんですよ。俺みたいに。
そこらへんに気が付いたら、次々に点と点が繋がって。たぶんトモコばあちゃんが何も喋らないのも、無視されまくって心が死んだんだろうなって思ったんです。俺もそういう気分になりかけてましたからね。誰も何も相手してくれねぇ。だったらもう俺も、誰とも話さないようにして、何も喋らないようにして、石みてぇになろうって。でも、そうなるのは嫌でした。絶対に嫌でした。俺はね。
それで、俺は思ったんですよ。カマしてやろうって。俺が周りの連中が振り返って、俺とトモコばあちゃんに注目せざるをえない状況を作ってやろうって。俺らを無視なんかさせねぇぞ。俺らがここにいるってこと、見せてやろうって。俺らを無視する世間にも、無視されて石になったトモコばあちゃんにも、俺は俺のやり方でカマしてやるって。俺とトモコばあちゃん、ふたりでカマしてやろうぜって決意したんです。
それで俺、トモコばあちゃんのションベンを飲んだんですよね。
いつもの時間に行くと、やっぱトモコばあちゃんがションベンを漏らしてたんですよ。グレーのスウェットごしにジワーっとシミが広がって行って。俺、スライディングで行ったっすね。中学までサッカー部だったんで。
そしてトモコばあちゃんの股間に口をつけて、ズーって飲んだんですよ。苦いし、臭いし、酷いもんでしたよ。でもね、そしたら――。
「うおっ、すげぇ変態っ」
トモコばあちゃん、叫んだんですよ。やっぱボケてなかったんっすよ。口調、ハッキリしてましたもん。しかも、すげぇ嬉しそうだったんです。
「見てごらんなさい! 見てごらんなさい!」
トモコばあちゃん、そういうことを叫びまくって。そしたら、これまで俺らを無視してた駅員さんや警官さんらが飛んできて。
「君! 何をやってるんだ!」
「頭がおかしいのかい!?」
なんかそういう事を言って、俺を羽交い絞めにして。もう大混乱っすよ。でもね、俺は不思議なくらい冷静で、嬉しかったですね。ぶちカマしてやった。どうだ見やがったっか。俺とトモコばあちゃんを今まで無視しやがって。俺らは確かにここにいる。二度と無視すんじゃねぇぞ。
警官さんと駅員さんに物凄く怒られたけど、それっきりでしたね。トモコばあちゃんは「変態」だと騒いだけど、俺に対して何らかの罪を問うとか、そういうのは一切なくて。もちろんトモコばあちゃんが失禁しまくってたのは罪ですけど、それを法律でどうこうするのは筋が通らんじゃないっすか。今まで散々にションベンを漏らしまくってるのを無視してきたんっすから。
で、凄い怒られて、解放された時っすよ。トモコばあちゃん、俺に言ったんですよ。満足そうな感じで。
「いやぁ、ケッサクやったね」
そう言ったんですよ。そのあとは、ずっと笑って、いつまでも手を振ってました。ああ、俺は正しかったんだと思いましたね。やっぱ。
でも、次の日からトモコばあちゃんは駅に現れなくなって。それから二度と見てないっすね。
あれから相変わらず、俺は学校で無視されてます。トモコばあちゃんとの話が行ったみたいで、ドン引かれて。「あいつ、駅前で痴ほう老人のションベンを飲んだらしいぞ」って。そりゃ話しかけてこないと思いますよ。
でも、いいんですよ。だって俺はトモコばあちゃんのションベンを飲んだんですよ。いざとなったら、何でもできるな~って思うんです。だから飲んでよかったとは思いますね。やっぱ。今は無視されるのも耐えられてます。
それで……時どき、気になるんですよ。トモコばあちゃんは今は何してるのかなって。どっかの施設に入れられてんのか、ぜんぜん別の街にいるのか、死んだ可能性だってあると思いますよ。スゲーばあちゃんだったし。刑務所もあるかもっすね。どんな罪かは知らんし、立ちションでそんな何年も懲役を食らうとは思えないっすけど。生きててほしいっすね。
俺、やっぱトモコばあちゃんが好きなんですよね。男女の好きとは違うっすけど。人間としてっていうか。トモコばあちゃんは、私のことを無視させてたまるかって、無視するんなら、意地でも世間にこっちを向かせてやるって、そういう人。ションベンを漏らすのはどうかと思いますけど。まぁ、飲むのもどうなんだって話っすけど。
そういえば、こんなことも思うんですよね。もしもどこかで、またトモコおばあちゃんみたいな、「この人と一緒にカマしてやろうって」思えるような、そういう人に出会いたいなって。きっと楽しいと思うし、ワクワクするんっすよね。出会える確率って、メチャメチャ低いんでしょうけど。それでも、もしまた出会えたら、それはたぶん、すげえ幸せっすよ。きっとね。
だから、まぁ、未来に期待して、これからも生きていこうかなって。
俺がトモコばあちゃんのションベンを飲んだ話 加藤よしき @DAITOTETSUGEN
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