標準設定

百合未

標準設定

私、渡潮 美照夜(わたしお みてよ)は自分を無難な人間だと思っている。嫌われない、空気も壊さない。職場では「感じのいい人」と言われる。悪い響きではない、そう思っていた。そう思いたかった…


きっかけは会議の後だった。資料をまとめ直すよう言われ、上司のデスクに向かったとき、隣の席で小声の会話が聞こえた。

「では、この件、渡潮さんに任せましょうか」

「うん、そうしよう」

声の主は確かに私を呼んでいた。しかし指は私を指していなかった。

その瞬間、胸の奥で何かが冷えた。


その夜、スマートフォンに通知が届いた。


-認識補正フィルター仕様変更のお知らせ。

〈社会的に好ましい表示を維持するため、本機能は段階的に無加工表示へと移行します〉-


私は初めて、その機能がONになっていることを知った。なんだ、補正がかかっていたからみんなの私への評価はただの「感じのいい人」になっていたのか。補正なんてかけなくてもいい。私は私でありたいし。

そう思いながら設定画面を開くと、そこには簡素な説明があった。


〈他者からの認識を最適化します。無加工表示へと切り替えますか?〉


私は はい という文字にしか目がいかなかった。ただの感じのいい人で終わりたくない。

私は補正を外した。

画面に映る自分の顔はやけに疲れて見えた。目の下のくまも、表情の乏しさも、今まで見えていなかっただけだと分かった。


翌日から、世界は私を丁寧に扱わなくなった。


挨拶は返ってくる。でも会話は広がらない。会議で発言しても、誰も私の方を見ない。

議事録には、私の名前だけが載らなくなった。


悪意はなかった。

それが一番、はっきりしていた。


私は再び設定画面を開いた。元に戻そうとしたが、そこにはただこう記されているだけだった。


〈現在の状態が標準です〉


エラーも、不具合報告もない。

私はそっとスマートフォンを伏せ、オフィスを見渡した。

驚くほど人は足りている。仕事も回っている----私がいなくても、最初から。

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