三十路のおっさん、魔王になる〜『ガチャ』から出てきた配下のせいで異世界に行っても中間管理職は辞められないみたいです〜

張田ハリル

プロローグ

序章

「黒島係長……また残業ですか」

「あ、ああ……仕事が残っているからな」


 また残業、そう言われたが俺には普通の事だ。

 現在午後十時、確かに外の明かりは薄くなっており、ビル街の下では呑んだくれ達の咆哮が聞こえてくる。女がどうだの、上司がどうだの、売れないバンドマンの声だって響いているんだ。それに慣れてしまったせいで遅い時間である事すらも気が付けていなかった。


「それ、新入のミスでしょ。なんで係長がやっちゃうんですか」

「いやー……最近は人事もうるさくてな。ミスをミスだと言うだけで怒られちまう。それにやっとかないと明日に響くだろ」

「はぁ……確かに意図は分かりますけど」


 世間としては働ける奴は扱き使うだけだからな。

 そのせいで出来る奴にはシワ寄せが来て、出来ない奴には何のお咎めも無い。役職が上がれば、そんなものはただの幻想だ。責任や仕事が増えていくだけ。それこそ、本部所属にでもなれば話は変わるかもしれないが……そうなっていない時点でゲームオーバー、今更後悔したところで遅い。


「それに出来る奴が支えないと仕事が溜まるばかりだからな。青木だってさっさと帰れ。少し前に子供が産まれたんだろ」

「はぁ……それ、二年前っすよ」


 二年前……そうか、そんなに昔だったのか。

 って事は、結婚したのは三年前……俺って何をしていたんだろうな。別に青木に対して不満は持っていない。それでも……三年前に動いていたのなら、ギリギリ二十代で転職でもしていたのなら話は変わっていたのかもしれないんだ。何も後悔なんてないとは、大見得であったとしても口に出来やしない。


「大雅さんがやるのがおかしいんすよ。それだけ周囲の事も目に見えていないのに、何が怒られちまうっすか。田中部長なんて『エミちゃんと飲めるー』とかセクハラする気満々で帰りましたよ」

「は、はは……まぁ、それは部長の」

「そんなに俺は頼れないっすか」


 頼れない……そうか、そういう風に見えるのか。

 青木は本当に優秀だ。係長になってからというもの仕事量が阿呆みたいに増えたが、コイツだけは俺の手を借りずに業務を終わらせてくれる。もっと言えば皆の仕事も少しだけ引き受けているって聞いたからな。




 そんな存在を……頼れないように見えるのか。


「頼れる、だから、休んで欲しい。どうせ、こんな体制はすぐに取り返しが付かなくなる。その時に未来を担う君にまで被害を受けて欲しくない」

「……なんすか、縁起でもない」

「俺はやる事はやる。やらなければ困る人間がいるのは目に見えているし、生憎と家に帰れば寒いだけの空虚さしかないからな。だったら、やれるだけやってみるのが男だろ」


 仕事場とは男にとっての戦場だからな。

 廃れた考えだろうとも、疎かにする輩は確実に痛い目を見る。今が良ければ、来年が良ければだなんて考えでは先が見えてしまう。だから、手に職を付けてきたつもりだ。必要だと思うから幾つもの資格だって取った。……そんな馬鹿と同列にいて欲しくないんだよ、お前だけはな。


「俺だって、男っすよ。先輩に憧れた一人の男なんすから寂しい事は言わないでください。役職が離れようとも大雅さんは大雅さんっすから」

「……そうだな。今度からは少しだけ頼む事にするよ」

「そうっすよ。エミとか、ナナとか見てください。アイツら、働かない癖に職場の男漁りに勤しんでいるんすよ。部長が馬鹿なせいで本当に空気が悪いっていうか……マジで全員、消えてくれれば嬉しいんすけどね」


 消えてくれれば……はは、確かにそうか。

 でも、そんな事はすぐに起こりはしない。願いや祈りが通じるのならとっくの昔に俺達は妥当な評価を受けている。全ては成果だけを横取りして、低い評価を下す馬鹿達のせいでしかない。分かっている、分かっているが……今の俺には縋るしかない立場なんだ。


「縁起でもねぇな。聞かれていたらどうすんだ」

「……俺の場合は辞めても問題が無いんで。本音を言えば引き抜き来てるんすよ。ライバル社なんで名前は出せないっすけど、給料も役職だって十分なものっす」

「さすがだな。やっぱり、俺以外の」

「大雅さんの部下だから来たんすよ。それにスカウトにも言ってやりましたもん。大雅さんも込みなら喜んでいくってね」


 その言葉を聞いてパソコンを叩く指が止まった。

 俺らしくない、普段なら聞き流しながら仕事に打ち込めていたというのに……いいや、そういう事は心を許した本物の部下の前で考えるべき事では無いか。どこかでずっと考えていたんだもんな。一緒に救われたいってさ。


「返答はどうだった」

「もちろん、来て欲しいですよ。だって、俺を欲しいのと同時に大雅さんも欲しがってましたし。一緒に来てくれるのなら今の二割増にするって言ってましたよ」

「はぁ……ほんとうに抜け目がねぇなぁ」


 駄目だ……本当にニヤケが止まりやしない。

 昔の俺達が酒に落ちて叫んだ言葉が、バンドマンのように現実味の無い言葉が色の無い世界に何かを与えてくれた。一滴、二滴と確かに俺の体の中に枯れた何かを癒すように、潤すように回り始めて来たんだ。だから、続く言葉には意識なんてものはない。




「一緒にやめっか。こんな仕事」

「いいっすよ。なら、話は進ませていいっすね」

「ああ、まぁ……今だけの我慢だと思えば多忙も楽しめるからな。青……涼太は涼太で好きな事をし続けろ。そっちの方が余っ程、お前らしいし見ていて楽しいぞ」

「そうっすね。あ、これ奢りっす」


 乱雑に投げられたブラックの缶コーヒー。

 昔なら苦いだのなんだのと飲むのすらも嫌っていたというのに……今となっては本当に掛け替えの無いものになってしまったな。ってか、お前もお前で買っているのかよ。いいや、一緒に飲みたかったってところか。


 先にプルタブを引っ張って中身を開ける。

 涼太も開けたのを確認して端をぶつけあった。お互いに少し強かったせいで軽く溢れてしまったが今の気持ちからして悪くは思えない。全てを胃の中に流し込むように、それでいて光が差し始めた前を向くために一気に飲む。


「って事で、さっさと帰れ。来週くらいは息抜きに酒でも誘ってやるからよ。その時は一杯くらい奢れよ」

「はぁ、感謝は無いんすかね。まぁ……潰れないでくださいよ。大雅さんがいない職場とかやってられないっすから」

「うっせ、帰れ。嫁と子供が待っているぞ」


 俺がいるから働ける……ずっと言っていたな。

 二年だけ早く勤務しているだけだと言うのに、俺から仕事を教えられたから頑張れたとかさ。本当に馬鹿というか、可愛い後輩というか……そういう奴だから俺だって頑張って来れたんだ。努力したヤツが馬鹿を見る世界を変えたかったからな。


「俺、本気っすから。アンタと一緒なら」

「だったら、待ってろ。道を切り開く涼太が潰れたら何も残らねぇだろ。素面で語れる夢程、カッケェものは無いからな」

「……そうっすね。マジで懐いっすよ」


 酒に溺れてカラオケで歌ったもんな。

 そんな馬鹿げた未来が、今は少し先に見えている。革命だなんて大それた事は言わない。でも、俺達がナポレオンやジャンヌダルクを名乗ったところで誰が文句を言うんだ。俺達が酒を酌み交わして兄弟だなんだと大声で笑いあった過去だけは誰にも汚せない。


「俺は死ぬまでアンタについていきます。気持ちは変わんねぇから頼みますよ!」

「任せろ! クソガキ!」

「うっせぇ! クソ上司!」


 久し振りにぶつけ合った拳は弱かった。

 分かってはいた、俺だけでは無かった……だから、俺は負けられない。先に帰った馬鹿が笑えるように俺はしなければいけない。それが例え、残るべき価値の無い空間だとしても、必要な事があるから戦うしかないんだ。どうせ、死ぬのなら背中に傷は負いたくないからな。


「……後二時間、それだけありゃ、終わるか」


 冷蔵庫からエナジードリンクを取り出す。

 席に座ると同時に開けて少しだけ口にした。いつもよりも味が悪く感じたのは涼太が帰ってしまったからかもしれない。でも、こんなクソみたいな味も少し経てば思い出になるんだ。だから、静かに、それでいて一気に飲み込む。


 ドロっとした嫌な味が口元に広がる。

 だが、不思議と気分は……いいや、良いとは言えないか。まぁ、これで五本目なんだ。多少の気分の悪さならいつもの事、この程度で俺が屈する訳がねぇだろ。今の俺に必要なのは糖分とカフェインだからな。


「……と、終わったか」


 十一時、いつもより早く仕事が終わったな。

 それもこれも、このエナドリ達とアイツが残してくれた思いのおかげか。本当に助かるよ……ようやく、この手に幸せが掴めるかと思うとドキドキで胸が止まらないんだからな。




 って、ちょっと待て……この速度は……。

 いや……そう考えるのも遅かったか。どうにか仕事に打ち込めていたのはアドレナリンでも出ていたからかな。当の前から俺の体は限界を迎えていたらしい。だって、この心臓の速度も身体中を巡る血液の速度も異常だ。


「あ、あ……そっか……死ぬ、のか……」


 未来が見えた時に死ぬ、本当に馬鹿らしいな。

 ごめん、涼太……お前の掲げた未来に、俺はいないらしいわ。でも、十分に教えてやったよな。何をどうすれば仕事が早く済むかなんてさ。どこまで行っても腐れ縁、あの世で幸せに生きる姿でも見届けてやるよ。


「少し、くらいは……幸せ、に……」








 はは……クソみてぇな人生だったな……。

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