二人だけの慰安会

灰庭たま

二人だけの慰安会

「お疲れ様でしたー!」

「また来週」


 街にイルミネーションが瞬いて年末が近づく頃。忘年会の二次会のカラオケを終え、すっかり酔いの回った社員たちが挨拶を交わしながら、それぞれ帰路に向かっていく。


 私——朝倉美咲も他の社員に別れを告げて駅までの道を歩いていた。

 ポニーテールをゆるく結っていたヘアゴムをほどくと、髪がはらりと肩に落ちる。ふわっと首を振って髪が夜風になびく。

 今日の会話を思い出しながら、ヒールの音をコツコツ立てて歩く。


 酔いが程よく回って気分がいい。でもなぜか"あの笑顔"を思い出して、胸が少しだけ軋んでいた。


 この時間だとまだ電車あるかな。

 でもなんとなく飲み足りない。一人で飲んで帰りたい。そんな気分だった。


 駅のロータリー。タクシー乗り場。

 そこで見覚えのある姿を見かけた。

 花森さんと…田村さん?

 二人でタクシー乗り場に立っている。


 ああ、そういうことね。

 すぐに勘づいた。


 邪魔しない方がいいな、と踵を返しかけたその時。タクシーが二人の前に着いた。ついその行く末を眺めてしまう。

 花森さんが何かを田村さんに告げて、なぜか花森さんだけがそのままタクシーに乗っていった。


 タクシーを見送った田村さんがこっちを向いた。目が合ってしまった。


「あれ。朝倉さん、お疲れ様です」


 田村さんが軽く手を上げる。


「お疲れ様です」


 私も軽く会釈をし、笑顔で返した。


「花森さんに振られちゃったんですか?」


 冗談ぽくからかうように言うと、田村さんは少し目を丸くして首を横に振った。


「いやっ、そんなんじゃないんですけど」

「残念でしたね、ふふっ」

「いやだから、そういうんじゃ…」


 田村さんは頬が少し赤くなっている。酔いのせいなのか、照れてるのかは分からないけど。田村さんは否定しながら、困ったように眉を下げて手を振る。


「朝倉さんもタクシーで帰るんですか?」

「いえ、私は電車で。でも何となく駅前で飲み直そっかなって」

「そっか。自分もそういう気分でした。じゃあ——」

「そうですか。じゃあ、お疲れ様でした」

「えっ……、あ、お疲れ様です」


 そう言ってふっと田村さんに笑いかけて背を向ける。私は行きつけの駅前のバーに向かった。


 こじんまりしていて、店主は落ち着いた年配の男性。

 煙草も吸えて、落ち着く場所だ。カウンターに腰を下ろすと、店主が笑顔で迎えてくれた。

 なんとなく少し辛口のカクテルが飲みたい気分だった。


「マンハッタンお願いします」

「かしこまりました」


 運ばれてきたグラスを受け取り、軽く一口含む。電子タバコを取り出してふかす。煙をゆっくり吐き出すと、ようやく肩の力が抜けた気がした。


「いらっしゃいませ」


 店主の声の先。田村さんがいた。


 店の入り口で少しきょろきょろしていた田村さんは、私を見つけると軽く会釈して、私から一つ空いたカウンター席に座った。


「もしかして、追いかけてきたんですか?」


 私はグラスを傾けながらからかうように言う。


「なっ、違います。俺も行きつけなんです、ここ」


 田村さんは慌てたように言った。


「ふぅん、そうなんですね」


 そう言って電子タバコから紫煙を吐く。カクテルと煙草と酔いが入り混じり、いい感じでクラクラする。気持ちいい。


 田村さんはライラを注文すると、ポケットから煙草を取り出した。ジッポの火が小さく揺れる。煙を吐き出して、田村さんは少し表情を緩めた。


「ここ、いい店ですよね」

「そうですね。静かで落ち着くし」


 そこから、なんだかんだと田村さんと話をした。仕事の話。趣味の話。お互いにグラスを傾けながら、時折煙草に火をつけながら。

 何となく心地いいな、と思った。


 田村さんは煙草を吸うとき、少し目を細める癖があることに気づいた。普段の会社ではあまり見せない、リラックスした表情だった。


 気がつくと話題は恋愛の話になっていた。

 ふとまた、「あの人」の顔が浮かぶ。「別の人」を見る時のソワソワするような、愛おしいものを見るような、そんな表情。


「失恋しました。今日」


 飲みかけのマンハッタンの入ったグラスを見つめたまま、ぽつりと言った。


「え、今日?」


 田村さんが少し驚いたように顔を向ける。


「はい。何となくですけど、いいなと思ってた人がいて。でも、あぁ、私じゃ敵わないなぁって気づいちゃって」


 電子タバコを口に運んで煙を吐く。少し苦笑いを浮かべながら。


「そう、ですか」


 田村さんは煙草をトントンと灰皿に当てて灰を落とす。少し考え込むような表情で、自分の煙草に目を落とした。


「田村さんは?いるんですか、付き合ってる人」


 私が聞くと、田村さんはライラを一口飲んで答えた。


「ああ、俺ですか?俺は二ヶ月前に大学からの彼女と別れて、それっきりです」

「へえ、大学から。結構長かったんですね」

「はい。八年ぐらいかな。まあもう長すぎてお互い家族みたいになってたんでしょうね。好きな人ができたって振られました」


 田村さんは目を細めて自嘲のように苦笑いしながら煙草の煙を天井に向けて吐いた。


「じゃあお互い、慰安会ですね」

「そうですね、慰安会」


 田村さんと顔を見合わせてクスッと笑う。お互いにグラスを傾けた。


 ***


 二杯目のカクテルが運ばれてくる。グランドスラムを注文した。また少し冷めていた酔いが戻ってくるのを感じる。


「浅海さんと花森さんってどう思います?」


 電子タバコを灰皿に置いて、私は田村さんに聞いた。


「え、浅海と花森ですか?二人ともよく頑張ってますよ。浅海は割と新人の頃からしっかりしてましたし、花森も浅海の教育がいいのか最近数字も伸びてきてますし」


 田村さんは煙草を持ったまま、真面目な顔で答える。


「そうじゃなくて」

「えっ?仕事の話じゃないんですか?」

「違いますよ」

「えぇ?……そっち、ですか?」


 田村さんは少し考えた後に戸惑った様子で、煙草を灰皿に置いた。それからライラを一口飲んで続けた。


「いや、花森が全然興味ないでしょ。浅海も花森みたいなタイプは苦手そうですし。あんまり仲良さそうなイメージはないですね」


 田村さんが首を傾げながらそう話す。その真面目な表情がおかしくて、私は思わずくすくす笑ってしまった。


「分かってないなあ。田村さん」


 カクテルを飲みながら笑うと、田村さんは不思議そうに眉を寄せた。


「え?」


 その困惑した表情に、私はもう一度笑った。


 ***


 またしばらく会話を続ける。お互いに二杯目のグラスが空になりかけている。


「もう諦めるんですか?好きな人」


 田村さんが煙草の煙を吐き出しながら、こちらを見てふと聞いてきた。


「気になります?」


 私はカクテルを軽く揺らしながら聞き返す。


「え、い、いや、そういうんじゃないですけど」


 田村さんは少し慌てたように視線を逸らした。

 私は電子タバコをふかしてぽつりと言う。


「諦めます。でも、もうちょっとだけ揶揄っちゃおうかなって」

「え?」

「なんか今日、ちょっとだけムカついちゃったから。私のことなんか全然興味ないんですもん」


 私は少しむくれて、ふふっと笑いながら言う。田村さんは苦笑いを浮かべた。


「……女って怖いですね」


 煙草を持つ手を少し上げて、肩をすくめる仕草。

 田村さんは煙草を一度ふかす。少し考えた後、煙草の灰をトントンと落として言った。

 

「じゃあ、ちゃんと諦めついたら教えてください」

「え?」


 私は電子タバコを持ったまま、田村さんを見た。


「また慰安会しましょう」


 田村さんがこちらをじっと見てそう言葉を落とす。真っ直ぐな視線。優しい目。温かい声。口元も少し微笑んでいる。正面を向いて少し俯いた後、田村さんは三杯目のライラを飲み干した。


「好きなんですね、そのお酒」

「え?」

「三杯目だから」

「ああ、ウォッカがぐっとくるのが好きで」


 そう言ってグラスを回しながら田村さんはふっと笑う。

 仕事中は割とキリッとした表情が多い印象だった。笑うとかわいいんだなって思った。少し目尻が下がって、笑い皺が見える。そんな表情を初めて見た気がした。


 心臓の鼓動が少しだけ早い。カクテルグラスを持つ手に力が入る。


 ——飲みすぎちゃったかな。


 そう思いながらも、私はグラスを傾けて残ったカクテルを飲み干した。三杯目にメリーウィドウを注文した。


 心にちくりと刺さっていた棘が、なくなった気がした。

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