第60話 不穏な気配

 シズクが洞窟の床を磨き終える頃には、空気のざらつきが消えていた。


 湿り気はある。冷たさもある。けれど、それは不快じゃない。


 整った湿り気。

 清浄な冷たさ。


 精霊のシズクは、ただ綺麗にしてくれただけじゃない。浄化も同時に行ってくれていたんだ。


 洞窟ダンジョンが、静かに落ち着いたのが分かる。


「……よし」


 僕はコンソールを閉じて、洞窟の外へ出た。


 霧の森は変わらず、僕の呼吸に合わせるように薄く揺れている。


 でも、さっきまでと違う。


 どこか地面の奥が、しっかりと繋がった感覚があった。


 ダンジョンがレベル2になった。


 それだけで、領地の芯が太くなった気がする。



 白亜の屋敷の前で、僕は立ち止まった。


 改めて、領地を見渡す。


 森に囲まれた草原。


 遠くに山々が連なり、その稜線は青く霞んでいる。空は広くて、風は冷たくて、魔力の匂いが薄く甘い。


 草原の中央には洞窟。


 入口は黒いのに、もう禍々しさより「中心」になっている。


 ここが僕のダンジョンで、僕の器官で、僕の国の心臓だ。


 洞窟の反対側には、白亜の屋敷。


 石ではなく、僕の領地の魔力で組み上がった清潔な居場所。


 その横には畑。


 畝が整えられ、芽が揃い、土が柔らかく呼吸している。ジャガイモ、トウモロコシ、そして、リアが愛おしそうに育てる薬草の区画。


 ここも、僕の国の胃袋だ。


 気づけば、子供たちの声が聞こえてきた。


 笑い声。


 走る足音。

 鍋の蓋が鳴る音。

 生活の音。


 庭の端で、白跳兎がぴょん、と跳ねた。


 ルナが追いかける。追いかけすぎて転びそうになって、白跳兎がわざと止まる。


「待ってくれた!」

「ほら、言ったでしょ! うさぎさん優しいの!」


 ルナが笑う。テルが土穿鼠の出入口を覗き込んでいる。


「モグラさん、今日も畑の下で働いてる?」


 返事はない。けど、地面がモコ、と動いて、テルの足元の土がふわっと整った。


「……返事した! 可愛い!」


 アルマは、角歯鼠に木の実を置いている。


「食え。……腹が減ってるなら、盗むな。ここでは、分ける」


 角歯鼠がちょん、と木の実を前足で抱え、尻尾を立てた。


 魔物と子供達が交流を深めている。それだけで十分に尊い。


 霧梟が屋敷の梁で片目を開けて、子供たちを見ている。


 見張りのはずなのに、今はただの眠っているみたいだ。


 銀狼が外縁を巡回しながら、時々こちらを振り返る。


 守るための目。だから怖い目じゃない。


 ……同じ狼なのに。あの街道で死んだ狼の姿が、ふっと頭をよぎって、僕は小さく息を吐いた。


 守れなかったものがあるから、今ここがある。


 踏み越えたものがあるから、今ここが動いている。


 だから、僕はこの景色を、目に焼き付ける。


「これが……僕が作っていく領地なんだな」


 声に出すと、現実味が増した。


 僕はただのフリーターだった。


 家族に捨てられた。

 ゴミスキルだと言われた。


 それなのに今、僕の目の前には森と草原と洞窟と屋敷と畑。眷属がいて、領民がいて、子供たちが笑っている。


 そして、その真ん中に、僕がいる。


 リアが畑の向こうから歩いてきて、僕の横に並んだ。


 作業着の袖をまくり、土の匂いをまとったまま、優しく微笑む。


「領主様。……いい顔をしています」

「そう?」

「はい。……この領地が好きだ、と顔が言っています」


 僕は苦笑して、空を見上げた。


 雲がゆっくり流れて、山の向こうに消えていく。


 世界は、残酷だ。王国は腐っている。盗賊は笑って人を殺す。


 でも、この領地の中だけは。


 今だけは温かい。


「好きだよ」


 僕が言うと、リアの耳がぴこ、と動いた。


「……私もです。ここが、私の帰る場所です」


 その言葉を聞いて、胸の奥がまた温かくなる。


 僕は、もう一度だけ領地を見渡した。


 守るために整える。

 増やすために回す。


 そしていつか、力を振るわなくても守れる仕組みを作る。


 この景色を、未来にする。


 それが、僕の領地経営だ。



side佐藤朋(JDSA那須支部)


 那須支部の空気は、いつも牧歌的だった。


 窓口の端末は古い。電話もよく途切れる。来る探索者は、スライム相手に小遣い稼ぎをする学生か、薬草を採りに行く老人がほとんど。


 だから私は「警戒レベル上昇」の赤い表示が、支部の掲示板に点灯した瞬間、息を止めた。


 ピッ、ピッ、ピッ。


 まるで心電図のアラームみたいに、警告音が鳴る。


【那須支部:緊急】

【未確認高危険体 出現報告】

【現地通信障害 継続】


「……え?」


 その横で、職員の誰かが、紙コップを落とした。


 カラン、と乾いた音が床に響く。


 郷田支部長が、奥の部屋から出てくる。


 元Aランク探索者。今は巨体をスーツに押し込めた、那須支部の“最後の砦”。


「佐藤。何だ」


 私は端末に目を落としたまま、声が上手く出なかった。


 画面には、現地班の報告が流れている。文字が乱れて、途中で途切れて、また繋がって。


 通信が不安定だ。


「……未確認、です。強い魔物が出たって……」


 郷田支部長の目が一瞬で変わる。


 牧歌的な支部の顔が消え、昔の目に戻った。


 獣を前にした目。


「場所は」

「那須町付近の山中です。……未登録ダンジョンの疑いが出ているところ」


 支部長が舌打ちした。


「……また、そこか」


 私は喉が乾いて、唾を飲む。頭の中に、あの黒い穴のヘリ映像がよぎる。規制線。通信障害。霧。音が遠い、という証言。


 そして今、未確認の強い魔物。


 端末が、ぶつぶつと音を立てて、通話が繋がった。


『……こ、こちら……現地班……』


 ノイズが酷い。声が割れて、途中で消える。


「こちら那須支部! 状況を!」


 郷田支部長が、電話に向かって怒鳴る。


 返ってきたのは、息の上がった声だった。


『……ダンジョン……入口、じゃない……』

『……森の……外……街道側にも……出る……!』


「何が出た。個体名!」


 沈黙。ノイズ。風の音。


 そして、男の声が、かすれて出た。


『……見たこと……ない……』

『……影が……二重に……見える……』


「幻惑系か?」


『……違う……』

『……足跡……残らない……』

『……地面が……溶けて……』


 職員たちが顔を見合わせる。


 地面が溶けるは比喩かもしれない。だが現地班がそれを口にする時点で、まともな状況じゃない。


 支部長が、声を落とした。


「負傷者は」


 通話の向こうで、一瞬だけ呼吸が止まった気配がした。


『……一人……やられた……』

『……近づいた瞬間……消えた……』


 私は椅子の背に爪を立てた。


 消えた。


 この言葉、最近よく聞く。通信障害、霧、方向感覚の狂い、そして“消える”。


『……支部長……これ……』

『……こっちの……スキル……通らない……』


 支部長の眉が跳ねる。


「スキルが通らない?」


『……縛れない……止められない……』

『……ただ……“見られてる”……』


 通話が、ぷつり、と途切れた。


 次の瞬間、端末に赤い文字が出る。


【通信断】

【現地班ロスト 可能性】


 静かになった。


 支部の空気が、凍る。


 郷田支部長が、ゆっくりと拳を握りしめた。


「……総本部に連絡。那須支部単独では対応不能だ」


 私は反射で頷いた。


 手が震えて、キーボードを打つのに時間がかかる。


 那須は田舎だ。


 事件も少ない。


 だから忘れていた。


 ダンジョンは、自然災害みたいに突然牙を剥く。


 そして、今回は災害ではない。


 何か意志の匂いがする。


 支部長が窓の外を見た。


 那須の山並み。穏やかな空。何も起きていないように見える。


 でも、端末の赤は嘘をつかない。


「佐藤」


 支部長が、低い声で言う。


「これから那須は、平和じゃなくなる」


 私は、背筋が冷たくなるのを感じながら、もう一度画面を見た。


【未確認高危険体】

【危険度:不明】

【特徴:接近阻害/視覚異常/地形影響】


 未確認。


 不明。


 つまり――知らない、ということ。


 知らないものは、いつだって人を殺す。


 私は唇を噛んで、電話を握り直した。


 次に鳴るのは、救助要請か。


 それとももっと嫌な知らせか。

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2026年1月14日 12:00

現代ではゴミスキルだとバカにされた領地経営。田舎に住んだら異世界への扉が開いたので、ダンジョンで一攫千金して成り上がる イコ @fhail

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